2011年9月号
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「ベトナムのための祈り」
クリスチャンの生活と迫害
五十年余にわたって吹き荒れた戦争と共産主義の嵐によって、宣教師にとってベトナムの少数民族は近づくことのできないはるか遠い存在でした。しかしそれでもキリスト教は国の北部と中部で広がり、特にモン族やジィア・ライ族などの多くの少数民族の中に主を信じる人々が起こされ、部族の教会が北部山岳地域と中部の高地エリアに生まれました。他の少数民族にも福音に心を開いている人がごく少数存在しますが、多くの人々は今も先祖崇拝や、無病息災・家内安全を願って様々な霊をあがめ続けています。
現政府は北部、特に少数民族間のキリスト教に対し全く否定的で、クリスチャンであることには仕事、家、財産、時には命までも失う危険が伴います。クリスチャンだと知られた場合、信仰を捨てるよう命じられたり、信仰を破棄したことの証しとして、祖先や様々な霊への礼拝行為を公に行わなければならないこともめずらしくありません。
※このような迫害に耐えている ベトナム人クリスチャンたち のためにお祈り下さい。
消された市民権
トゥイエットがクリスチャンになり、彼女の夫がそれを知った時、夫は彼女に暴力をふるうようになりました。ついに彼女は警察に駆け込みましたが、警察は夫の肩を持ち、何もしようとはしませんでした。その上夫は町役場に行くと、トゥイエットと娘を家族の戸籍から抹消してしまったのです。これは不法な行為でした。しかし役所に異議を申し立てに行ったトゥイエットに担当者らはこう言ったのです。「ベトナムには一つの党、共産党しかないのですよ。」
トゥイエットは女性組合にも助けを求めましたが、支援を拒否されてしまいました。「あなたはクリスチャンだから」というのがその理由でした。
※キリストへの信仰のゆえに迫害されているトゥイエットのようなクリスチャンのためお祈り下さい。
孤児となって
タムは田舎の貧しい農村で生まれました。しかし既に七人もの子供をもうけていた両親にとってやっかい者でしかなかった彼は、口減らしのために孤児院に送られてしまいました。
タムはその孤児院でキリストと出会いました。彼は福音を受け入れて喜びにあふれ、会う人すべてにキリストを伝えずにはいられませんでした!学校を卒業し、大学に進み、彼の信仰もさらに成長していきました。
タム自身がよく知っている通り、ベトナムで生きていくことは楽ではありません。様々な困難の中、人々は育児放棄、家庭崩壊、自殺などへ追い込まれ、子供たちは全く身寄りのないまま取り残されていきます。飢えや絶望の中、そんな子供たちにとっては、毎日が生き残りをかけての戦いなのです。
※成人して孤児院から社会へと出ていき、自活し、新たな人間関係を築こうとしている青年たちのためにお祈り下さい。
弟子とされること
リンはみことばをこよなく愛する牧師夫人です。しかし彼女は典型的なベトナム方式でみことばを学んできた人でした。ベトナム式教育は大人数で一方通行的に講義を聞く形で、議論することはありません。そのため聖書の学びも教師への尊敬から、教えられることに対して質問することなしに、意味の理解や適応よりも、機械的に聖句を丸暗記するという方式で学んできました。
リンと私は一緒に聖書を学ぶことにしました。共に話し合い、祈りあう内に彼女は目覚ましく成長し、さらに二人の姉妹を招こうと言い出しました。その二人も信仰を持ってから少なくとも十五年経っていましたが、聖書を知らず、生活への適応もできていないようでした。リンは今、この学びのグループをさらに八人に拡大し、自分たちでも新たなグループを始めたいと願っています。
ベトナムの文化においてコミュニティはとても重要な存在なので、小グループで話し合う形の聖書の学び会は、すばらしく絆の深い交わりとなります。公にクリスチャンの集会を持てない大学などでは、このようなグループが必要に迫られて生まれています。主はこうした学び会を用いて下さり、そこから霊的に成熟し、将来クリスチャンのリーダーとなるかもしれない青年たちが育っています。
家族からのプレッシャー
生前チャムの伯父は著名な高僧でした。そのため死後その伯父が家の神棚に祭られることはごく自然なことでした。チャムがホーチミン市の有名大学に入学できた時も、この伯父さんの霊が霊界に及ぼしたご加護のおかげだと、家族全員が信じていました。
チャム自身はやや懐疑的でした。公立の学校では無神論と共産主義的世界観が教え込まれていましたが、両親の宗教も共産主義も人生に関する質問に答えてくれないと、自分の目で見て実感していたからです。
大学で彼女は何人かのクリスチャンと出会いました。そこでついに彼女は探し求めていた答えを見つけたのです!しかし家へ帰れば、そこには神棚の前で祈っている家族の姿があるのでした。
そうした家族行事に加わらないことは、家族との関係をひどくぎくしゃくさせるものでしたが、彼女は牧師から神棚に供えられたものは一切食べたり飲んだりしないようにとアドバイスを受けていました。新しくクリスチャンになったほとんどの人がそうであるように、チャムは様々な難しい決断をしなければなりませんでした。ベトナムではキリスト教は「祖父母を投げ捨てる宗教」という異名がつけられています。どのようにしてチャムはクリスチャンでいながらも、同時に家族に敬意を払うことができるでしょうか?
チャム自身はクリスチャンではありましたが、彼女は二十五歳で仏教徒の男性と結婚しました。ほとんどのベトナム人の例にたがわず、彼女も結婚後すぐに夫の実家に移り住みました。 しかし婚家に入った最初の日から、夫の家族は新しい夫婦につらくあたるようになりました。チャムがクリスチャンであることを嫌い、無理やり婚家の先祖をおがませようとしたのです。
七年後にチャム夫妻は自分たちの家を買うことができました。しかしそれでも状況は全く変わりませんでした。夫と子供はひっきりなしに病気になり、チャムも自宅で常にひどい頭痛に悩まされました。いったい何が問題だったのでしょう?
実はチャムの義母が霊媒師に嫁に対する呪いをかけさせていたのです。それを知ったチャムの隣人の霊媒師が、お返しに自分が義母に呪いをかけてあげようと申し出ましたが、彼女は「私の神様が守って下さるから。」とそれを断わり、祈りました。その後間もなく、義母の霊媒師は突然亡くなり、すぐにチャム一家の病気もなくなりました。
※神がベトナム人のクリスチャンに知恵を与えて下さり、彼らが信仰的に妥協せず、同時に家族を敬うことができるようお祈り下さい。
「36年ぶりの再会」
日本 菅家庄一郎、容子
二〇一〇年九月号のOMF宣教ニュースに、カンボジア人のソーポン・パウ先生のお父様が見つかりますように、という祈りの課題をあげました。主は見事に皆様のお祈りに答えてくださいました。お祈りを心より感謝し、報告させていただきます。
一九七五年四月ポルポト派がカンボジアを支配し始めた時、パウ師のお父様、パウ・ナムさんは内務省の役人でしたが、七人の子供達とポイペットという町でカンボジア新年を祝っていました。その時、彼はポルポト派の兵士達に連行され、ひどい拷問を受け殺されかけましたが何とか生き延びたのです。彼の妻と七人の子供達は一九八二年に難民としてカナダに移住します。 長い月日が過ぎ、二〇〇九年のクリスマスの日、パウ師はお父さんがまだ生きている夢を見ます。それから兄弟達と協力し、父を捜し始めるのです。パウ師の弟のピルンさんが一五〇〇枚のお父さんの写真入りの「人探し」のチラシを生き別れた町で配ると、その一枚を見たある人が「この写真は自分の若いころに似ている」と思ったのでした。それがパウ・ナムさん本人でした。パウ・ナムさんは今では別の女性との間に六人の子供が出来ていました。六月にパウ師はプノンペンで三十六年ぶりに八十六歳になられたお父さんと再会されたのです。(庄一郎)
ある晩クメール語で電話がかかってきました。以前にも宣教ニュースに紹介しました市川在住のカンボジア人留学生ペァッさんがひどい腹痛のため助けを求めてきたのです。すぐに主人が行き救急車で病院へ。虫垂炎ということでしたが、一応薬で治まり一週間後退院しました。 しかし発熱と痛みがあり、退院した日の夜、今度は私が付き添い病院へ戻り、翌日彼の学ぶ東京医科歯科大学の病院へ移り、すぐに手術となりました。大学の担当の先生や彼の友人たちも来てくださり、本当に心強く、こちらの病院に移れたことを感謝しました。彼の携帯にはカンボジアの奥さんや弟さんからもひっきりなしに安否を問う連絡があり、携帯を預かっていた私はご家族と話すチャンスもありました。日本で一人生活する(ペァッさんの奥さんは第二子出産のためカンボジアに戻っていました)留学生が病気になったら、救急車を呼ぶことさえままならず、どんなに心細いことか、またそれだからこそ留学生たちが本当に助け合い、絆を深めて生活している様子も目の当たりにしました。術後お見舞いに来てくれた友人たちの一人、フェイスさんは彼と同じ研究室で学ぶフィリピンからの留学生。フィリピンKGK卒業生で熱心なクリスチャンです。彼女と一緒に来たジョン君は、なんと私が二十二年前フィリピン留学中通っていたフェイスバプテスト教会出身で、当時親しくしていたフィビー姉の甥であることが分かりびっくり仰天!もう一人のフィジーからの留学生アナさんも熱心なクリスチャンです。 ペアッさんの周りにこんなにも多くのクリスチャンを備えられた主は、どんなにかこの家族を愛し導こうとされていることでしょう。ペアッさん、ピアップさんご夫妻の心を主が捕え、信仰が与えられますようお祈りください。皆様のお祈りを心から感謝しつつ。(容子)
「雨にも負けず」
タイ 坂本朋子
タイは現在雨季真っ最中です。北はバンコクなどに比べると湿度が低いので、雨が降った後は涼しくなって過ごしやすくなります。いつも皆さまのお祈りに心から感謝いたします。七月は二つの短期宣教チームが来たり、バンコクに所用で何度か出向かなければならず、何となく落ち着かない月でした。ニュースでご存じかもしれませんが、去る七月三日にはタイ下院選がありました。タクシン元首相の妹インラク氏率いる野党のプアタイが圧勝し、投票率は過去最高の七五%という全国民が関心を寄せた大きな選挙でした。国内で大きな混乱はなかったものの、ちょうどこの日私はビザの更新のためにバンコクに行かなければならず、この一大イベントに翻弄されるはめになりました。 夜行バスに乗るためにランパーンのターミナルに行くと、タイ旧正月並みの混雑ぶりで、すし詰め状態のバスも見かけました。タイでは住民登録してある市町村でしか投票できないので、この選挙のために多くの国民が里帰りしなければならないとのこと。更にびっくりしたのはバンコクに着いてからの状況でした。北バスターミナルへ続く道が地方からやって来たバスでぎっしり詰まってしまい前に進まないのです。九時までにOMFのオフィスに行って書類にサインし、スタッフと一緒に入国管理局に行かなければいけないのに、このままでは間に合いません。必死で祈ってようやくバスターミナルに着くと、今度はタクシーを待つ長蛇の列、しかもタクシーはまったく来る気配なし‥‥。このままでは絶対に間に合わないと思い、最終手段として仕方なくバイクタクシーを使うことに。バンコクの高速道路をバイクタクシーで突っ走り何とか間に合ったものの、もう二度とこのような心臓に悪い経験はしたくないと思った総選挙の日でした。
近年車社会になりつつあるタイでは、朝と夕に子どもを学校や塾へ送り迎えする車で渋滞する光景はバンコクだけではなく、ランパーンのような地方都市でも当たり前となってしまいました。ちなみに今日はお寺のキッズクラブの日。しかし朝から雨が降ったりやんだり不安定な天気です。雨が降っても裕福な家庭の子どもならば親が車で送り迎えをしてくれます。しかしお寺のキッズクラブの子どもたちは、送り迎えしてくれる親も車もないため、今日は誰も来ないかもと思いながら現地へ向かいました。驚いたことにもう既に何人かが自転車でやってきて、私たちを待っていました。雨のせいで人数は少なかったですが、一緒に歌ったり笑ったり私にとっても子どもたちにとっても幸せなひと時でした。この子どもたちは貧しい家庭の出身ですが、素晴らしい能力を持った賢い子どもたちです。階層主義の強いタイの社会の中であっても、この子どもたちが社会の偏見に負けずに神に愛されていることを知り、自信を持って成長していってほしいと願わずにはいられません。
「体調がちょっと」
日本 木下理恵子
梅雨が明けたかどうかの猛暑の続いたある夜、夜中に急に気分が悪くなり目が覚めました。ちょっと動くだけで天井がグルグル回ります。ずっと台湾にいて、暑さには強いはずだけど、まさか熱中症?少し落ち着いて水を取りに冷蔵庫の方に行こうとしたら、バランスがおかしかったのでしょう、掴まる物の無い所で、そのまま横に倒れてしまいました。それが始まりでした。
最初は熱中症だと思っていたのですが、繰り返しめまいがあり、遂に病院に行きました。検査の結果はメニエール病。「熱中症ではないのですか?」と聞いても、医者はきっぱり「いいえ、メニエール。」「私がメニエール病?」と何だか自分でも信じられませんでした。
薬でめまいは治まったのですが、それから体力が異常なほど落ちました。未だに奉仕も必要最小限度しか出来ていません。一つ集会があるとその時はいいのですが、終わったらグッタリ。まるで力が体のどこかから漏れているようです。中国人たちの弟子訓練もしてない、祈り会も中止、連絡も取れていない。被災地にずっとボランティアに行きたいと願いながらも、それも出来ない。自分で「何もしていない。」と思うのがストレスにならないよう注意しなければなりません。
思えば今年は、電車に乗っていてひどい胸の痛みがあり、途中下車し病院に行ったりしました。生まれて初めてのホルター心電図だ、胃カメラだの検査もしました。結果は問題無しなのですが、いろいろ出て来る年になったのだなぁとしみじみ感じています。
今の自分に許されている体力で、託されている事を一つずつ忠実に出来るように、出来ない事でストレスを溜めないように、そして体力が早く回復するようお祈り頂けると感謝です。皆様のお祈り、ご献金、心より感謝しています。
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