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2015年10月号  page1  page2


「ラクダのように神様と ―OMF150周年関東宣教大会説教より―」
ジェニー・フン師

ジェニー・フン師(右は通訳の上野優佳子姉)  このように証ができる機会を頂きうれしく思っています。ある集会で私はラクダが好きな医者として紹介されたのですが、本当に私はラクダが好きなのです。なぜなのかを今からお話したいと思います。

 ご紹介頂いたように私は香港出身です。主人のパトリックと二人の子供たちと共にOMFで仕えてきました。OMFのオリエンテーションコースで牧野先生ご夫妻にお世話になってから、パキスタンに遣わされました。「男性医師に診察されるくらいなら死んだほうがまし」と言うパキスタン女性たちに仕えるようにとの召しを受けたからです。

男性医師に会えない女性
 このような女性たちのことを最初に知ったのは、私が医学部一年生の時でした。ネパールでは多くの女性が妊娠や出産の時に、そばに女性の医師がいないために命を落とす、と聞いたのです。そのような女性たちに仕えたいと願い、私は産婦人科医になりました。その後、それがネパールだけではなく、全てのイスラム教徒の女性も同じなのだと知りました。彼女たちは閉ざされた家の中で暮らし、身近な家族以外はほとんど人との接触がありません。親族の女性に連れられて産婦人科医の診察を受けに来る時の彼女達は、大変おしゃれをしており、それが彼女たちにとって大変特別なイベントであることがわかります。そして私たちは医療を通して、彼女たちに神様の愛を具体的に現すことができるのです。

なぜ来たのですか?
 パキスタンでは三百床のベッドがある病院で働きましたが、その半数が産科・婦人科用でした。毎月二百~三百人もの出産がある中、私たちは大忙しでした。五十人の医師の内、外国人医師は私たち夫婦だけで、クリスチャンも私たち二人だけでした。

 私たちに対して患者も医師も興味津々の様子でした。「なぜここに来たのですか?」と多くの人たちから聞かれたものです。当時のカラチは暴動や爆撃が頻発していました。「今日家の外で爆撃があったので、今日は働きに行けそうにありません」と職場に電話すれば、平然と「ああ、なるほどね。わかりました」と返事が返ってくるような、そんな状況だったのです。

 そんな所へなぜわざわざ逆に来たのかと、人々は不思議で仕方なかったのでしょう。そのため「きっと香港で患者を死なせてしまって、国にいられなくなったのだろう」とか、「中国に返還される香港にいたくなかったのだろう」とか、「金儲けをしたかったのだろう」などと言われました。それに対し私たちはただ笑って、「香港での給料はパキスタンでの給料の十倍はありますよ」と答えました。そして「私たちは神様が私たちの医療技術を通して、神様の愛をここの人々に分かち合いたいと願っておられる、そう思ったから来たのです」と答えました。どれほど犯罪率が高く、暴動が起こるところであっても、私たちに対する神様のご計画の中にとどまっている限り安全だ、と私たちはわかっていました。

弱さと痛みを通して仕える
 私たちが答えなければならなかった別の質問は、「何人子どもがいるの?」ということでした。

パキスタン人の家族にとって子どもたちはとても重要で尊い存在です。ですから、私が最初の子どもを妊娠したとき、友人たちは大喜びしてくれました。しかしその後、赤ちゃんがちゃんと育っていない兆候が見られた時には、私たちの憂いを分かち合ってくれました。友人の一人は、パトリックに「もし泣きたいなら私の家に来なさい。私と一緒に泣こう。ジェニーの前では泣いてはいけない。赤ちゃんのためにもよくないし、ジェニーが動揺してはいけないから」と言ってくれました。私達の弱さともろさの中で、パキスタンの友人たちは、私たち夫婦も彼らと同じ人間と見てくれ、私達はもはや必要なものや答えは全て持っているかのような、外国人の医者ではなくなったのです。

 私が最初の赤ちゃんを流産した時も、友人たちは「彼らは自分たちと同じなのだ」、と分かってくれて、私たちが痛みを分かち合う機会をも与えてくれました。神様は私達の罪のために、ご自身の愛する息子を十字架上で亡くされたので、赤ちゃんを失った私たちがどのように感じているかをよくご存じなのです、と私たちは彼らに伝えました。 I ペテロ三・十五には「むしろ、心の中でキリストを主としてあがめなさい。そして、あなたがたのうちにある希望について説明を求める人には、だれにでもいつでも弁明できる用意をしていなさい」とあります。弱さと痛みを通して、私たちはパキスタンの人々に福音を分かち合う機会が与えられたのです。

大好きなラクダ
 けれども香港の最先端の医療を恋しく思うこともありました。ある日、かつて共に研修期間を過ごした女友達から手紙をもらい、彼女が夫と共にイギリスのケンブリッジで新しい仕事を始めたことを知りました。友が今も最先端の医療現場で活躍し続けていることはうれしかったのですが、それと同時に私はうらやましさも感じました。

 病院から家に戻る途中、私がその気持ちをパトリックと分かち合っていた時でした。バスよりも背の高いラクダが、ぶらぶらと歩いて行くのが私の目に入りました。大きな目をしてゆったりとした笑顔を浮かべています。カラチの街中は人や乗り物、馬車やロバなどあらゆるものが行き交い、野次や騒音に満ちています。でもその中でラクダはゆうゆうと自分のペースを保って歩いていました。重い荷物を背負ってはいましたが、プレッシャーを感じることもなく、自分の道をしっかりと歩んでいました。そのラクダの大きな目と自信ありげな笑顔を見上げているうちに、私の心は慰められました。そして思想家のヘンリー・デイビッド・ソローの、ある言葉が浮かんできたのです。

「もしある人が 仲間と足並みがそろわないなら、それはその人が別の太鼓の音を聞いているからかもしれない。その音に歩を合わせるままにしてあげなさい。その音がどんなにかすかな音であったとしても。」

 そうです。私は友とは違う歩調で歩いています。私の神様が私を呼ぶ声を聞いたからです。神様が私の主です。私は神様についていき、神様の歩調で歩いていくのです。

 神様はあなたをどのように召しておられるかは私にはわかりません。でも神様と共に歩もうと願い求めているなら、神様はあなたと共にいてくださることを私は知っています。神様と歩調を合わせて歩みましょう。皆さんに神様の祝福がありますように。


「シエンパンの人々」
カンボジア 今村裕三、ひとみ

シエンパン地区の牧師会にて  シエンパン地区(ストゥントラエン州都から北へ百キロ、ラオス国境付近)は、町の教会を中心に、八カ所の村に家の教会があります。約二十年前に地域開発のキリスト教NGOの働きを通して福音が拡がっていきました。

 私たちが初めてこの地を訪問したのは三年半前、地域教会の合同聖会の時でした(二〇十二年四月号参照)。会堂には隙間ないくらい参加者が集い、熱心に学び、町の教会が中心となって、村の家の諸教会を助けており、非常に励まされました。ところが、二年ほど前から町の教会は急速に衰退し始めました。大きな原因は森林がなくなるくらいの違法伐採と、タイ・ラオスからやって来る違法薬物の取引による現金収入であり、物質主義でした。教会員の中にも現金の誘惑に勝てず、聖日礼拝そっちのけで働くようになった人もいます。また、キリスト教NGOの事業の縮小で雇用者が減り、教会には仕事の延長で来ていたと思われる人が来なくなりました。かつて四十人ほどいた礼拝も、先月は十人ほどでした。飾り付けが綺麗だった会堂は今では埃が積もり、会堂管理もうまくいっていないように見えます。今残っている教会のリーダーは、そのNGOで働いている人たちです。それ以外の方も、病気、偶像礼拝、家族関係の戦いの中に置かれています。ちょうど神様を真剣に信じているかどうかふるいにかけられている様です。

 町の教会と対照的に、村の教会は衰退せず頑張っています。昨年からカベット族の間にもリバイバルが起こり、励まされています。町の教会の希望の光は、若い夫婦(夫アンディと妻チャンリー)です。若者がほとんど都会に出て行ってしまう中、重荷を持って田舎に残り、教会学校や青年会で奉仕しています。妻のチャンリーは周囲を励ます賜物がある、明るい女性です。先月、第一子が与えられました。アンディは土管をつくる事業をしていますが、思うように収入が得られず落ち込み気味です。私はチャンリーと何回か会い、良い関係が与えられています。どのようにして教会を、若夫婦を支えることができるのか知恵が与えられるよう、また、戦いの多いシエンパンで真の信仰者が増し加えられるように祈りに覚えてください。(ひとみ)

 八月は腰を落ち着けてストゥントラエン州で奉仕することができました。シエンパン地区では前述のように、町の教会は課題がありますが、毎月の牧師の集いは大変励まされる時となりました。田植えで忙しい月のため、参加者はいつもよりは少なめでしたが、近況報告、祈りの時、御言葉の学び、食事の交わりを共にしました。ここに集まる牧師たちの半分近くは文字を十分に読むことが出来ません。そのため、時には全員が聖書研究に参加できない時もありました。しかし今回は、約一時間の学びの中で誰も席を立たず、携帯電話をいじらず、御言葉に集中し聴きました。分かち合いを通して、多くの参加者が御言葉から励ましを受け、新たにされたことが分かりました。村での伝道は本当に戦いが多いです。村の人からは馬鹿にされ、時に差別的な言葉を投げつけられますが、天地創造の神様を信じている者の幸せと約束を味わう時となりました。彼らがそれぞれの村で地の塩・世の光として歩めるようにお祈りください。(裕三)

【祈りの課題】
1.シエンパン地区の教会のために。特に町の教会の教会員が御言葉から真理を学び、主を恐れ仕えていくことができますようにお祈りください。
2.10月29日~11月3日で母教会から訪問ツアーがあります。宣教の現場を見て頂き、現状をよく分かって頂ける機会となりますように。旅の安全をお祈りください。


「Yes, I can できるできる」
日 本 主事 西村信恵

CSキャンプにて1  夕方の涼しい風、聞こえてくる虫の声が秋の到来を告げ、暑かった夏がもうすぐ終わろうとしています。いつも働きのためにお祈りくださり、感謝いたします。

 日本に帰国してからは、毎年夏に兄弟(けいてい)団山口県協議会のCSキャンプのメッセージの奉仕をさせて頂いています。二年前に参加者の子供たちが、一人ずつ友達の名前をあげてその子のために祈り、次の年にそれぞれ祈った友達を誘って参加してくれましたが、その子たちが今年も続けて集ってくれており、祈りを聞かれているのを見ることができ、主に感謝をささげました。それぞれの教会は小さく、毎週CSを行えない所もある中、毎年こうして子供たちが集い、少しずつ成長していっているのを見ることができるのは大きな励ましで、まわりの大人たちも続けて祈ろう、と思わされています。今年のキャンプでは三人の子供たちが主を信じる決心をし、信仰から離れていた三人の子供たちが、神様のもとへ帰ってきたいとの決心をしました。この子供たちがこの時にした決心を忘れず、「イエス様」を土台として歩んでいけるように、スタッフで共に祈りを合わせました。また、今年はこれまで子供時代にキャンプに来ていた青年たちがスタッフとして入ってくれ、子供たちにとってもその青年たちにとっても、よい時となったようです。青年たちが子供たちとのかかわりの中、神様から教えられ成長していくことができたらと思いました。

CSキャンプにて2  今年は「Yes, I can できるできる」というテーマでした。イエス様を土台として人生を歩んだハドソン・テーラーが、中国に行くまでのいくつかの話をして、「不可能を可能にしてくださるイエス様」を分かち合い、主にあって「主を信じること」「悔い改めること」「主を伝えていくこと」「主に従うこと」ができることを共に学びました。大人の私たちも今自分が所有しているもの、目に見えている環境だけに目を留め、その結果「無理でしょう」という結論になりがちですが、いっさいのものを満たしてくださるイエス様がおられる天に目を向け、祈り、進んでいけたらと、準備する中で私自身も励まされました。『通常、神の働きには三つの段階がある。第一に「不可能」、次に「困難」、そして「完了」』というハドソン・テーラーの言葉も思い出しました。目に見えるものにではなく、目に見えない神様に目を留め、「信仰に立つ」という歩みをもう一度振り返り、思いめぐらした夏でした。

【祈りの課題】
1.「M国の子どもたちに会おうツアー」に参加した一人一人が、神様から受けたチャレンジに応答する歩みをしていけますように。
2.10月16から17日まで九州KGK合宿で「宣教」というテーマで講師として語ります。そこでの学び、交わりのために。世界宣教について学生たちの理解が深まり、その一端を担う歩みに変えられていきますように。


「M国の子供たち」
日 本 菅家庄一郎、容子

M国の子供たち  「M国の子供たちに会おうツアー」のためお祈りくださりありがとうございました。私と十名の日本人が、宣教の自由のないM国を訪問しました。主が不思議なように、賜物豊かな一人一人を日本全国から集めてくださり、笑いの絶えない旅となりました。

 男性三名、女性七名のうち、大学生が四名、神学生が二名、主婦一名、社会人が三名という構成でした。体調を崩した人、パスポートをなくした人などハプニングもありましたが、大きな事故などがなかったことを心から主に感謝しています。今回の旅を通して一人一人が主からのチャレンジを受けたようです。参加された一人一人が、続いて主に従っていけますようお祈りください。

 私達は四か所の孤児院を訪問し、ゲーム、賛美、ショートメッセージ、古着やお菓子のプレゼント、などさせていただきました。子供たちが喜んで、大きな声で主を賛美している姿が今も思い出されます。ある孤児院の責任者の婦人の言葉が心に残っています。「この国には多くの孤児院がありますが、私たちのところに来て下さる方はほとんどありません。私が小学四年生までの学歴しかなく、英語ができないことが原因なのでしょうか。どうか孤児院の必要が与えられるようにお祈りください。」

 近所の方々からの差し入れなどによって、必要がなんとか満たされているようです。預言者エリヤがききんのイスラエルにあって、カラスによって養われたように、この国に多く存在する孤児院の必要も主が満たしてくださるようにと祈りました。また、一人一人の子供たちが困難な中にあっても、主に従い続けていけるようにと祈りつつ、帰国しました。(庄一郎)

 八月、記録的な猛暑のあと、台風の影響で驚くほど涼しい日が続いています。皆様にはお変わりないでしょうか。いつもOMFの働きを覚えお祈りくださり、お支え下さりありがとうございます。

 この夏も様々な出会い、訪問客がありました。シンガポール本部のメディア部門で働くトニーさんが、旅の途上日本に立ち寄って下さり、ビデオクリップの作成や、新しいホームページ立ち上げのため助けを与えてくださいました。映像で育っている若者たちに届く方法で宣教の情報、チャレンジを発信していく知恵が与えられますようお祈りください。

 また、かつてKGKの主事をしていた時、学生だったある姉妹が久しぶりに訪ねてくださいました。彼女は中国の奥地で宣教の思いをもってもう随分長く働いています。孤独な中、支えられている秘訣は?との問いに「祈られている、それだけです」とのこと。姉妹のうちに働く神様の恵みと力を見る思いでした。またその姉妹を通して、長く連絡をとっていなかったある姉妹との再会も果たせました。韓国系の教会で副牧師として奉仕している彼女の証に大いに励まされました。

 M国ツアーの前後には、参加者の何人かが市川に立ち寄って下さり、交わりの機会がありました。中には初めての海外、という方もあり、それぞれに忘れられない経験が与えられたようです。一人一人を主がどのように導き、用いて下さるのか楽しみです。

 八月末には北東アジア地区の責任者、マー師夫妻が訪問してくださり、チャペルや祈祷会で御言葉をもって励まして下さり、個人的な話し合いを通して、日本委員会の働きのため、良き助言を与えて下さいました。神の家族の交わりの喜び、宣教のチームで共に労せる特権を覚えたことでした。皆様のお祈りを心から感謝しつつ。(容子)

【祈りの課題】
1.10月5日に開催されるOMF日本委員会の準備のために。一つ一つの議題の上に主の御心が示されますように。
2.10月11日、総主事は西船橋キリスト教会の伝道集会と宣教セミナーで奉仕します。イエス・キリストを受け入れる方が起こされますように。また、宣教について教会の方々が理解を深めてくださる時となりますように。

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