2009年4月号
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「橋として」
派遣準備中 小川文子
出会い
九八年のカンボジアと二十一才の私の出会い、それはOMFカンボジア主催の学生キャンプに参加したことによるものでした。暑い国のために神様が造られた大きな葉の木々、登ったらつぶれてしまいそうな家々、その辺を歩いている鶏や豚、子供たちのくれた木の実や花、私の肩にとまっているカニ、よく笑う青年たち、クリスチャンたちの輝き。美しい大地、美しい人々、その下に、しかしなお深い戦争の傷あと。全てのものが愛しくて、幸福のあまり「ああ、このめちゃくちゃな交通の中で死にたい」と思ったくらい、自分の中から愛があふれてきてたまりませんでした。今まで知らなかったこの人々は、こんなにも愛してくれ、そして愛する友だったと知ったときに、「私にできることは何ですか?私を使ってください!」と祈らずにはいられませんでした。カンボジアとの最初の出会い、それは、涙と幸福感が栄光に輝いて同時にあふれてくるような経験でした。
召命の吟味
―「もしイギリス中の人が全員救われるまで誰もマレーシアに宣教に来てくれなかったら、私はキリストを知ることはなかったでしょう」― 日本の魂への思いがあり、「カンボジアに呼ばれてしまったら、日本を見捨てることになる」「行きたくないところに行くのが宣教で、行きたいところに行くのは自己実現」と思っていた私は、このカンボジアへの情熱に少し困りました。そんな時マレーシア人の友人が言ってくれたのが冒頭の言葉です。しかし、これが自分の思いなのか神様からの思いなのか…祈り吟味しつつ、その後一年間、日本で働き、マレーシアで英語を学びました。その間に、「この思いはやはり特別なものがあり、神様のカンボジアに対する愛が私に注がれているのだ」ということ、と同時に「日本の教会にも私は召されている」こと、つまり「橋」のように双方に召されていることを教えられていきました。指が指の働きをすることが体(からだ)全体の益になるように、「日本のキリストの体の一部として、私がカンボジアの上に伸ばされていくことは、日本を見捨てるのではない、むしろ日本の教会の祝福になるのだ」ということがだんだんわかっていきました。
神様の道備え
その後二〇〇〇年、日本キリスト教団ホーリネスの群(むれ)(以下「群」)の東京聖書学校に導かれました。これは、宣教師になるには回り道に思えましたが、入学後すぐに神様の御計画を感じ始めました。群の中で海外宣教への気運が高まっていくまさにその時期だったからです。卒業後、日本の教会にしっかりと「橋」をかけることを願い、島根県の秋鹿(あいか)教会で二〇〇四〜二〇〇八年、牧会の恵みにあずかりました。この四年間は本当に多くのことを学ぶ時となりました。そしていよいよ教会を辞し宣教師になるための準備を始めた二〇〇八年度には、群からのいわば最初の宣教師として祈って送り出して頂けるという喜びの展開となりました。この間に、横山師夫妻の存在を通してこの群とOMFがつながるという不思議なことも起こり、また「共に歩む会」の設立や、ニュージーランドとイギリスでの学びの道も驚くように開かれていって、神様のご計画の素晴らしさを改めて賛美しています。この十年間、早くカンボジアに行こうともがく私を根気よく導きながら、神様は本当に最善の道を歩ませて下さり、時が満ちるとあっという間に見事に扉を開き、全て「私ではなく、神様がなさる」ことを見せて下さいました。そして「いつもカンボジア、カンボジアと言っている文ちゃん」という印象だけは長年のうちにすっかり周りに浸透し、今もさらに日本各地で宣教の友との出会いを与えて下さっていく中に、主が日本の教会をその偉大な業に用いようとしておられることをひしひしと感じています。多くの方々と共に神様の愛を分かち合うという使命を果たせることは、何という喜びなのでしょうか。日本とカンボジアの教会の「橋」として、そして何よりも人々とイエス様をつなぐ「橋」として、用いて頂けたらと心から願っています。
「ユダヤ人とギリシヤ人との区別はありません。同じ主が、すべての人の主であり、主を呼び求めるすべての人に対して恵み深くあられるからです。…しかし、聞いたことのない方を、どうして信じることができるでしょう。…遣わされなくては、どうして宣べ伝えることができるでしょう」(ローマ十・十二〜十五)
【祈りの課題】
1.四〜六月は、日本にて教会訪問や健康診断、心理アセスメント、壮行会など、締めくくりと心を前に向ける大切な時期になります。よい結びができると次に進むことも容易になります。一つ一つの時を神様が良い時として下さり、心備えができますように。荷物整理や時間の使い方にも知恵が与えられますように。
2.カンボジア政府がOMFの働き人にビザを出さなくなる可能性がありましたが、この問題は解消しつつあるそうです。御心ならばどこへでも行きますが、まずはカンボジアへの道が開かれますように。七月にOMFのオリエンテーションコースに参加し、行けるならば八月からカンボジアの予定です。
「小川文子師を推薦します」
日本キリスト教団 東京新生教会牧師 横山基生
この度、小川文子牧師がOMFインターナショナル日本委員会を通してカンボジアに派遣されることを心から主に感謝します。小川師と私は、同じ日本キリスト教団ホーリネスの群に属している牧師です。私たち夫婦が英国でのディアスポラ日本人伝道をしている時に、小川師は私たちの働きに関心を示しつつ、ご自身のカンボジア宣教についてのビジョンを私たちに聞かせてくれました。十年前に初めてカンボジアを訪れ、かの地の青年たちと交わる中で、小川師はカンボジアへの使命を主からいただきました。このビジョンの実現のため、地道に歩みを進め、ついに派遣の時がやってきました。「小川文子先生といえばカンボジア」ということが、小川師を知るすべての人々の思いです。ご自身の様々な状況の変化がありつつも、十年間このビジョンを持ち続けてきたことに、多くの者たちが「主の確かな御心」を受け止めています。この年月を通して、小川先生を送り出す支援体制が、摂理のうちに整えられて来ていることに、主の御名を賛美します。
支援母体は、日本キリスト教団やホーリネスの群に属する諸教会・有志たちです。十年前では、小川師を送り出すことは難しかったと思います。しかし、主はまず私たち夫婦を在欧日本人宣教会・OMFを通して英国に派遣させ、またOMF日本委員会総主事代行の務めを経験させ、東京新生教会の牧師とし、小川師を派遣する責任を担うようにと道を整えられました。島根県松江市での小川師の四年間の牧会伝道活動を通して、日本キリスト教団をはじめ他の諸教派の教会の方々の祈りと支援をいただいています。小川師の母教会は、渋谷にある日本キリスト教団頌栄教会です。日本キリスト教団の諸教会から異文化宣教の働き人を送り出すということはあまり例をみません。新しい時代がやってきたことを覚えます。小川文子宣教師の働きに共に関わることによって、ホーリネスの群や日本キリスト教団、またその他のグループに属する諸教会に、主がどれだけ多くの祝福を注いで下さるか大いに期待しています。この恵みの故に、小川文子師を心から推薦します。
「想定外の時に」
カンボジア 今村裕三、ひとみ
先月号で「良い家が与えられて感謝です」と報告した直後、大家さんが真っ青な顔をして駆け込んで来ました。混乱していて何が本当に起こったのかを聞き出すのに苦労しました。最終結論は「私たちはその家を借りることは出来ない」でした。
カンボジア帰国後、OMF事務所での生活は二ヶ月を過ぎ、日本での一年間も殆ど仮住まいでしたので「いい加減落ち着きたい!」というのが本音でした。また、奉仕もビザの問題もはっきりしませんでした。第二期目の出だしにつまずいたようで「神様どうして?」と感じていました。
二月末現在、家が見つかり、奉仕・ビザもだいたいの見通しがついてきました。振り返ってみると、奉仕が始まらなかった二ヶ月半の間に、クメール語の復習、一年間会えなかった人や教会への訪問、またOMF宣教師や事務所で働いているカンボジア人の直面している問題を知り、共に祈る事が出来ました。また、北タイで短期宣教師として奉仕しておられる佐藤恵里華さんが訪問して下さったときにもゆっくり過ごすことが出来ました。
神様は私たちが「え!どうして!私の予定にはない。」と思うことをよくされる気がします。でも神様のなさることには無駄がなかったり、裏技が隠されていたり、味わい深いなと後になって感じます。計画通りに事が運ばない時に文句を言わず「来た来た!神様の計画は何?」と感じられる余裕が持てるようになりたいです。(ひとみ)
お家騒動では、カンボジアに帰ってきたことを実感しつつ(カンボジアでは想定外のことが起こる)、気を取り直しつつ新しく借りる家を探しました。なかなか良い家がなくあきらめかけた矢先、最初の家のご近所に「もっとよい家」が与えられました。急遽祈っていただいた皆さんのお祈りを感謝します。このニュースを書いている最中に引っ越しをしました。約二ヶ月半のミッションホームでの仮住まいも終えられました。感謝です。
今期の奉仕は、OMFが関わっている教会の群れに広く関わるようになりそうです。OMFが開拓した教会を中心にカンボジア教会交友会(FCC)という超教派の群れを形成していますが、そのFCCへの宣教師側からのアドバイザーという立場で関わります。今のところ、クラチェ教会を含めて宣教師から独立している教会は二つだけですが、カンボジア人が独自に開拓した教会やまだOMF宣教師が関わっている教会などが所属しています。将来、FCCがどのような群れになるのか、また、カンボジア人が主役として自立していくように現地のリーダーと協力しながら道筋を立てていくことになると思います。現地のリーダーとOMF宣教師がよい協力関係を築き上げながら主の教会を建てて行ければと願います。ひとみは、現地リーダーの夫人と家族への働きに関われればと願わされています。(裕三)
【祈りの課題】
1. 4月はカンボジア正月です。一年の間で一番暑い時期になります。健康が支えられて奉仕に励むことが出来ますように。また、カンボジア正月にあたって実家に帰る教会員たちがクリスチャンとしてよき証しができますように。
2. OMFが関わっているカンボジア教会交友会の働きのために。宣教師から独立している教会とまだそうでない教会とが一致して、交わりと訓練の時を持つことが出来ますように。近い将来、現地のリーダーたちが自主的に活動ができるようにロードマップを作ることに取り組みたいと思っています。5月中旬にリーダー研修会が行われます。その準備が守られ、必要な訓練の時を持つことが出来ますように。
「お葬式」
カンボジア・ニャックルアン 西村信恵
ある日の朝の祈祷会の後のことでした。プレアチャーム村から教会に最近集い始めた姉妹が二人、息を切らしてやってきました。「お母さんが、たった今亡くなった。どうしたらいい?」
その日はチョー師ご夫妻は、プノンペンへ行っていておらず、リーダーたちもそれぞれ田舎に帰ったり別の場所にでかけていて不在で、リーダーでいるのはワチャナー兄のみ。そしてクリスチャン式のお葬式を、まだ私たちは一度も行ったことがありません。どうしたらよいでしょう?お葬式はその日にしなければなりません。田舎に帰っていたリーダーに連絡を取り、帰ってきてくれるように頼んで、とりあえず彼女の家に伺いました。親戚の皆様も集まっています。いつも県内の牧師の祈り会に集い、熱心な牧師であるイエイ師に電話をすると、手伝いに来てくださることになりました。(同じ県内といってもバイクで三時間はかかるところです)母親をなくしたその姉妹の婚約者である方のお父様も牧師先生で、来てくださることになり、遠くから(バイクで六時間)駆けつけて来て下さいました。
彼らが来るのを待っている時間、親戚の人たちは「そうねえ、私の妹は天国に行ったのよねえ。キリスト教でいうと、どういうことなのかしら?」と質問され、神様の約束について語ることができました。また他の兄弟は、集っていたその地区のお坊さんに、生まれ変わりはないことと、何でイエス様が十字架にかかられたか?私たちはどこから来て、どこに帰るのか、証をしていました。お昼過ぎてやっと葬儀が始まりました。礼拝をし、イエイ牧師先生が、メッセージを語ってくださいました。近くの空き地で遺体を焼却するまで、神様はひとつずつ、プログラムを進めてくださり、よい証の時とされました。その週末の礼拝でこの二人の姉妹は、母親が亡くなる前にしっかり、神様のところに行くんだといっていたことを証しし、悲しいけれど天国に行く希望を持っていると言いました。この家族は、ほんの数ヶ月前に村に訪問に来られたクリスチャンによって神様の事を聞き、ご両親と子供十名の家族がその場で信じて救われ、一番近いニャックルアンの教会に集い始めたのです。病気だったお母様は、神様を信じてずっと天国に行くことを確信しておられました。プレアチャーム村で生まれたこのクリスチャン家族が、これからこの地区で主の証人として用いられますように、また、ご家族の上に豊かな慰めがあり、主の守りと導きとが豊かにありますようにお祈りください。 皆様のお祈りを心から感謝いたします。
【祈りの課題】
1. お母様を亡くされたスレイオン姉妹のご家族のために。特にお父様が力を落としておられます。神様からの慰めが豊かにあり、生活が守られますようにお祈りください。
2. カンボジアお正月の間、教会員は田舎に帰ります。よい証人として、用いられますように。
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