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2007年9月号  page1  page2


「祈りの旅」

ラオスの田舎道で  灰色がかった白いバスが、でこぼこ道を飛び跳ねるようにして、ほこりを舞い上げながら北に向かって走って行きます。乗客の中には何とか眠ろうと苦戦している人達もいれば、荷物を膝に置いたまま静かに座っている人達もいます。窓の外の美しいラオスの風景に見入っている人も一人、二人います。
 バスの後部席に座っている二人の女性は中でもとりわけ目立っていました。欧米人で先ほどからずっと英語でしゃべり続けています。
 ローラとジル(仮名)はあまり旅をしない人達でした。実際、ジルはこの時間に町の市場に行ったことすら、過去六年間に一度もなかったほどです。彼らの今回の旅行の目的も変わっていました。彼らは「祈りの旅」の途中だったのです。
 半年に一回、二人は特別に時間をとってラオスの人々のために共に祈ります。今回は、二人はそのためにラオス北部の小さい省にバスで向かうことにしたのです。
農村の子供たち(写真と内容とは関係ありません)  二人にとってもその地域へ行くのは初めてでした。バスの旅は祈りのために充分な時間と課題を二人に与えてくれることでしょう。
 バスが出発して一時間ほどたった時、ローラとジルの後ろに座っていた女性が突然、身を乗り出しました。「あなたたち、どこへ行くの?」
 こうして会話が始まり、ほどなく二人はその女性の家に宿泊させてもらうことになりました。その後、ジルは目を閉じ、汚れた窓に頭をもたせかけて、うたたねをしているふりをしながら祈りました。「主よ、ありがとうございます」こう彼女はつぶやきました。「この女性と出会わせて下さったことを感謝します。どうか私たちがあなたの愛を彼女に示すことができますように。この女性の人生にあなたという光を指し示すことができますように。」
 まもなくジルは本当に眠ってしまいました。彼女の頭が後ろにのけぞるたびに、その口が開くのを見て、ローラとそのラオス人女性は顔を見合わせてクスクス笑い、そうしてさらに親しくなっていきました。
農村の女性(写真と内容とは関係ありません)  何時間か経って、バスが最終目的地のバス停に近づく頃には、バスの中の欧米人達のニュースは既に広がっていて、彼女達を見ようと村中の人達が集まっていました。多くの村人にとって白人の女性を見るのは初めてだったのです。ローラとジルが村人の家に泊まったため、彼らはすぐに村人に受け入れてもらえました。
 それから三日間、ローラとジルは村に滞在し、そこの様子をさらに知って行きました。彼女達は出会った人のために、遠くから見える人々のために、簡潔な言葉で祈りながら村の中を歩きまわりました。
 ある午後、宿を与えてくれている女性の家に戻る道すがら、二人は彼女に主イエスのことを伝える機会を与えて下さるよう祈りました。「父よ、どうかお願いします」ローラは熱心に祈りました。「あなたのために語らせて下さい。私たちにそのための大胆さをお与え下さい。」
 家に戻ると、ジルが心の中で祈り続け、ローラは勇気をふりしぼって家の女主人にたずねました。
渡し舟  「この世界を創られた御方のことを、誰かから聞いたことがありますか?」
 「いいえ」女主人は答えました。
 「私たちはその御方を知っています。それで、あなたにもその御方のことをお話したいんですが、よろしいでしょうか?」
 三人は共に座り、ポケット版の新約聖書をテーブルに置いて話は始まりました。ローラとジルはイエスが誰なのか、という話から始めました‥‥。
 その村での一週間は飛ぶように過ぎ去り、互いに連絡を取り合おうと約束をし、村の女性たちは手を振って二人を送ってくれました。帰途についたローラとジルは、途中の河で渡し船に乗りました。そこにはマークという名(仮名)のオーストラリア人が乗りあわせており、船が川岸を離れると彼女たちに話しかけてきました。普通、ローラはあまり旅行者と接触を持つことはしません。時間を多く取られるのと、ラオスの人々に福音を伝えるという彼女の目的の妨げとなることがあり得るからです。
 しかしマークが既に話し始めており、ローラも今回は会話に応じるべきだと感じたので、二人は彼と話し始めました。結局、後でローラはそうしてよかったと思うに至りました。マークは最近クリスチャンになったのですが、まだその信仰に確信がなかったのです。
 船が対岸に着くまでのわずか三十分という短い時間でしたが、三人はあたかも数時間が過ぎ去ったかのように感じました。それほどに彼らは多くのこと―贖い、神と人との和解、救い―について語り合えたのです。まるでそれは船の旅というよりは神学の授業のようでした!そして共に祈った後、三人は別れました。
 早くシャワーを浴びたいと思いながら、ローラとジルは家に帰り着きました。旅と多く話したせいで疲れを覚えていましたが、二人は起こった全てのことに感謝し、賛美で満ち溢れていました。
 このようにしてローラとジルのこの一週間は、祈りと、ラオス人と欧米人への福音の分かち合いという、最高の旅となったのです。


「宣教師という不思議な人たち」
日本 木下理恵子

ほうきを買ったり、アイスクリームダイエットのカンボジアティームと一緒に  中越沖地震の被災地の皆様はその後如何でしょうか。本当に思いがけない災害の中、今この時も主が必要な助けと癒し、そして多くの恵みを与えて下さるよう祈ります。
 この中越沖地震が起こって数日後、マレーシアへと旅立ちました。初めてのOMF日本人宣教師リトリートです。いつもお互い宣教ニュースを読んでいるのですが、それぞれ宣教地にいる時がほとんどで、且つ日本に帰国する時期も違うことが多いので、実際余りお会いした事がなかったりします。そんな宣教師が全員一同に会しました。「長い間お名前を聞いていましたが、やっとお会いできました。」と言う方もおられました。またこれから宣教地に行こうとする、或いは短期宣教で来ている若い宣教師たちにもお会いしました。私は台湾の首都台北での大都市伝道だったのですが、所謂「宣教地」と言う感じの所で宣教している方々のお話に、しみじみ大変な所でよくなさっておられるなと感心しました。マレーシアの山の中の町でプラスチック製のほうきを見つけ、大喜びで買っている宣教師。「あなた、本当にそのほうきを持って飛行機に乗るの?」と聞きたかったですが、こんなほうきも買えないような所で伝道しているんだと口をつぐみました。すっかりスマートになってと理由を聞いてみると「大好物のアイスクリームがなくて食べられないから。」毎日の中華料理に最近はハーゲンダッツのアイスクリームまで手に入るようになった台北でぷっくり太って帰った自分に気が引けました。
劉先生ご一家と。エリーちゃんもこんなに大きくなりました  でもこうした中、不思議だったのはみんな生き生きと明るい事。そしてそうした宣教師が一緒になると笑い声ばかり。なんとも楽しくてしょうがありません。若い短期宣教師の「宣教師って、こんな素晴らしい生活、生き方があるってもっと早く教えて欲しかった。」「毎日こうやって宣教師と一緒にいられてうれしくてたまらない。」と言う言葉に、何か癒されるような、そして今の若い人たちでも、所謂流行の「勝組」には入らないかもしれませんが、こうした生き方を求め、素晴らしいと思う人たちがいるのだと、うれしく驚かされました。同時に海外宣教のビジョンをちゃんと伝えていかなければと自分の姿勢を正された事です。
 個性も何も全然違う者たち同士、主に使わされた国、民族、働きもいろいろ異なります。でもそれぞれが、日本のどこかで主の声を聞き、「全世界に出て行って福音を述べ伝えよ。」との召しに従い、実際に出て行き労している。主に従って喜んで生きている。何と不思議な、そしてステキな事だろうと思いました。収穫の主に、この日本からもっと多くの人たちを、青年たちを宣教師として召しだして世界中に送って欲しいと願わされました。お祈り感謝です。

【祈りの課題】
1.活水泉の家の陳さんが8月12日に洗礼を受けました。ハレルヤ。今までの長い間のお祈り感謝。陳さんが更に主の愛を知り、主を愛し、主を体験し、主に従って行ける様に。
2.主が日本から更に多くの人を、青年を召して世界中に送り出して下さるよう。そして宣教師と言う素晴らしい人生を体験する人が多く起こされるように。今準備中の人たちが更に宣教のビジョンに燃え、良き訓練ができ、宣教地に遣わされて行ける様に。


「シンガポール便り(1)」
シンガポール 菅家庄一郎、容子

DTCの卒業生でOMFフィリピン委員会の総主事になられるリバティさんと  DTC(弟子訓練センター)での生活の特徴は、聖書の学びだけでなく、共同生活をすることです。電話番、皿洗い、掃除や修理、植木に水をやること、など、交代でします。パキスタン、インドネシア、バングラデシュ、フィリピン、マレーシアからの学生がいます。芽生も結も、小さな子供たちの面倒をみてくれたり、皿洗いなど手伝って、皆に喜ばれています。ここでは、学長も含めた教師もこれらの奉仕に参加します。バングラデシュからきているエサウ兄は言います。「僕らの国では、学長にごみを捨てさせるなんてことはありえない。」DTCの創設者デビッド・エイドニー師も、アジア人の学生達が恐縮して反対する中、掃除や皿洗いを喜んでされたそうです。プノンペンにいたときは、家にはお手伝いさんがいて、OMFセンターにも、センターを管理するために働いているカンボジア人がいて、むしろ「仕えてもらう」ことが多かった気がしました。改めて「しもべとして他者に仕える」ことの大切さを教えられています。(庄一郎)
DTCでジャネールちゃん、アリタちゃんと遊ぶ芽生と結  七月、マレーシアにて日本から派遣されているOMF宣教師のリトリートがもたれました。全員が揃うのは、私たちにとっては初めてのことです。井戸端会議での会話、私たちの生活、奉仕のすべては、神様との時間にかかっている、というところに行き着きます。「あれもこれもあってできない、ではなく、それがないと何もできない、と考え方を変えること」「それぞれの状況、性格は違うから、自分にあった現実的な持ち方を見つけること」「継続させること」
 イエス様は、五千人の給食という大いなる業をなされた後、弟子たちを強いて船で向こう岸に向かわせ、群集を解散させられました。それは、父なる神様に祈るためでした。主の次の働きは、その祈りの時間から導かれていきました。主の模範と、弟子たちへの力強い助けに励まされ、信頼を教えられています。
 先輩宣教師、同労者の証に教えられ心燃やされ、また、これから遣わされようとしている姉妹たちの証に主を崇めました。宣教の主を見上げ、見つめ、従っていきたい、と新たに思わされました。宣教の同労者である皆様のお祈りを心から感謝しつつ。(容子)

【祈りの課題】
1.菅家師夫妻が英書を読むことや英語でのディスカッションに慣れていくことができますように。国際本部のフラー師が準備してくださっている総主事訓練からよく学ぶことができますように。
2.芽生さんと結さんがシンガポールの日本人学校に慣れて、よい学びができますように。また、日本人学校に通うための経済的必要が満たされますように。


「新しい名をください」
北タイ・ミェン族 有澤達朗、たまみ

リトリート(修養会)からリトリート(撤退)して看護を受ける  シンガポールは今度の村は二つ名前がある。古い名はパーカー村、タイ語で「萱の森村」の意、英訳すると「サッチ村」。タイのミェン教会の中で二番目に古い教会で、その名が呼ばれると、名誉と汚名の両方が聞こえて来る。主の働き人を多く輩出したこと、内部に権力闘争があり、古顔のわりには成長が沈滞していて、牧師も宣教師も赴任したがらないことが理由だ。現在も無牧。
 またの名をタンマジャーリク村。タイ語で「タンマ」とは仏法(日本語のダルマ)、「ジャーリク」とは巡歴の意。一九六五年に政府が仏教教団に山地民族への布教を依頼し「タンマジャーリク(法の巡歴)計画」を遂行した。その時に命名されたようだ。教会員が由来を知らず「タンマジャーリク教会」と呼んで久しい。日本のどこかの「山寺キリスト教会」か「浜寺福音教会」のようでもある。タイ語のバーリ語源・サンスクリット語源にうとい山岳民族にとってしかたのないことだった。
 緑の森の合間に点在する萱葺き屋根(サッチ)の家々を眺めると平和な気持ちになる。けれど「木、草、わら」のような内容の教会は「火で真価をためされ」ると消えうせる。サッチでもなく、タンマジャーリクでもない、新しい名前がこの教会にほしい。(達朗)
 七月前半、私達のチェンマイ到着をまっていたかのように、我が家の二匹の猫の内、息子猫が病気で死にました。お世話になった日本語教会の姉妹、獣医さん、チェンライでの埋葬を快く引き受けてくれたミェン族学生寮の人達に慰められました。
 七月後半、マレーシアでのリトリートでは、主人が床に臥せ、同宿した二人の医師、四人の婦長さん級の看護師さんという医療チームのお世話になりました。
 マレーシアからチェンマイへ帰ってきた日、今度は私が倒れました。チェンマイ日本語教会のご夫妻が、チェンライまで同行してくださり、私は三日間寝ていました。その間、そのご夫妻が荷物を整理して、チェンライの我が家はやっと家らしくなりました。助けが必要な時は神様は本当に送ってくださるという三つの例です。感謝です。(たまみ)

【祈りの課題】
1.9月上旬達朗師の母上がタイ北部に来られます。同行してくださる安並姉が主に用いられ、母上が神様に心を向けることができますように。旅の安全のためにお祈りを。
2.サッチ教会(タンマジャーリク教会)での月2回の礼拝説教、月6回の祈祷会での学びを通して「宝石」と「わら」が分けられますように。あとの2回の礼拝説教を担当する神学生のサーンツィン兄の学びと奉仕のためにお祈りを。

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