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2006年10月号  page1  page2


「あるベトナム人女性の証し」

街の市場で(写真と内容は関係ありません)  ホア姉はクリスチャンでホー・チミン市で活働く活発な女性です。結婚して二人の子供がいますが、子供達の話をする時、彼女は感きわまって、そのまぶたには涙が浮かび、どれほど彼女が二人が主を愛し、主に仕える者となることを願っているかがわかります。
 ホア姉は仏教徒の家で育ちましたが、学友から教会に誘われたことがきっかけで十七才で主を信じました。信じた当初は彼女も熱心でしたが、やがて信仰は弱まり、聖書の教えをあえて無視するようになりました。そして二十五才の時、やさしい、しかしクリスチャンではない仕事の同僚と結婚しました。
 多くのベトナム人がそうするように、ホア姉も結婚式の後すぐにご主人の家で生活するようになりました。彼女とご主人、そしてやがて生まれた二人の子供達は、親戚の大きな家の一室をあてがわれて住むようになったのです。
 新しい生活第一日目から、ホア姉の義兄、義姉たちはホア姉とご主人につらくあたりはじめ、間もなく姑も味方につけるようになりました。ホア姉が雇うベビーシッターをことごとく追い出し、ホア姉の子供達を叩いたりもしました。
街の市場でその2(写真と内容は関係ありません)  彼らのこんなひどい仕打ちにはわけがありました。ホア姉のご主人が家と仕事の相続することを妨げようとしていたのです。さらに偏見も追い討ちをかけていました。夫の家の人々は誰もホア姉の信仰を認めてくれませんでした。姑にいたっては無理にホア姉に先祖の霊を礼拝させようとしたり、二人の孫たちとだけの時は、彼らの母の信仰をなじったりしました。
 こうした困難の上に、仕事上の困難も抱えていましたが、こうしたことはホア姉に信仰をあきらめさせるどころか、逆に彼女を主の御腕の中へ引き寄せることになったのです。毎週礼拝へ行くことは難しかったのですが、それでもホア姉は再び熱心に聖書を読み、祈るようになりました。
 家の中の雰囲気はさらに険悪になっていき、ホア姉とそのご主人もどこかへ移らなければやっていけないと思うようになりました。でもそんな金銭的な余裕はありません。ホア姉は祈り続け、夫妻は少しずつ貯金を増やしていきました。
 祈りが答えられ、新しい仕事と昇進が与えられました。ついに七年経ってホア夫妻は自分達の家を持つことができたのです。ホアの姑は彼らの門出のために豚一匹をまるごと調理して祝ってくれました。
街の市場でその3(写真と内容は関係ありません)  しかしホア一家の困難はそこで終わりではありませんでした。自分達だけの場所を得て、大きな安心感を得た反面、新居に引っ越したその日から病気が一家を襲ったのです。
 子供達は具合が悪いままで、ホア姉のご主人は結核の初期段階と診断されました。ホア姉に関しては最も奇妙で、仕事中は全く問題がないのですが、帰宅途中にひどい頭痛を感じるのです。彼女は家の中で、特に日曜日には、ひどい疲労感に悩まされ、あまりのひどさに教会に行くことができないほどでした。
 姑が霊媒にホア姉に危険なのろいをかけていたと知ったのは半年後でした。しかし皆が驚いたことに、同じように霊媒の隣人がホア姉に復讐のため姑に呪いをかけることをすすめた時も、ホア姉は怒らず復讐しようともしませんでした。その代わりに彼女は、彼女を愛し、守って下さる神のことを語り、呪いをかけることは彼女自身だけでなく、呪いをかける本人にとっても危険なことなのだといさめました。それから間もなく、姑の霊媒は急死し、それ以降ホア姉の一家は健康を取り戻したのです。その一方、姑の健康が悪化し、彼女もまた死去しました。
 今日、ホア姉は定期的に礼拝に集えるようになっただけでなく、奉仕も始めています。二人の子供達も日曜学校に行き、寝る前にはお祈りをせがみます。しかしホア姉のご主人は今も妻の信仰に否定的です。今、ホア姉は未信者と結婚すると、子供を主を愛する人間として育てることは難しくなると感じています。


「俺はクリスチャンだ」
北タイ・チェンマイ 邦人伝道 野尻孝篤師・明子師

藤田松吉兄と共に  隣町のランプーンに頑固なお年寄りの日本人クリスチャンがおられます、と伺って以来、何のつてもないまま、その方の晩年にせめて母国語で御言葉を聴く機会をと願い祈って来ました。この地の日本語情報誌八月号は「チェンマイに来た旧日本軍」についての特集でした。チェンマイは当時インパール作戦の日本兵の敗走ルートの目的地となり、ここまでの道で沢山の方が亡くなり「白骨街道」とまで言われたそうです。生き残った日本兵がただ一人黙々と遺骨の収集をなさり、ランプーンの自宅庭に慰霊塔を建てたりして来られたとありました。まさに“ビルマの竪琴”の水島上等兵です。今は年に一度、クリスマスに慰霊の供え物をされ「俺はクリスチャンだからね」と御本人が言っておられると書いてありました。「え!ランプーンのお年寄りのクリスチャン?!」早速簡単な地図と情報誌を持って出かけました。道に迷い祈りつつ、やっと探し当てた家は留守で玄関には鍵がかかっていました。誰もいそうにありませんでしたが、主人が開いていた裏口からお手洗いを借りにタイ語で声をかけながら入っていったら、お部屋におられたのでした! 藤田松吉さんは銃弾で穴の開いたふくらはぎを川の水で洗いながら杖にすがりこの地まで来られたそうです。今はその足が動かなくなり、左足を投げ出したままですが、耳も丈夫、言葉も昔風のきれいな日本語です。これまでのご苦労を小一時間ほど話して下さいました「人間は欲たれじゃ」「子供は軍隊には出すなよ」「いつ死んでもいいとあきらめてたから痛くても辛抱出来た」等々、重い言葉をいろいろ語って下さいました。つらい人生であられたのに、平安なお顔をしていらしたのは「俺はクリスチャンだ」と告白し続けて来られたことへの主の恵みかと思いました。共に祈り教会の方々と再び来ることをお約束して帰途につきました。(明子)
 チェンマイ日本語教会の私達は、現在、毎日曜日、日本語の礼拝を持つ、小さくても、立派な教会のつもりではいますが、OMFの中ばかりでなく、正式にタイ政府からも認められた教会となるには、タイ福音教会連盟(ACT)に所属することをも考えなければなりません。先日、北タイのOMF責任者と私達が、ACT議長のイスラ牧師と語り合い、タイにある日本語教会のグループとしての参加という形が出来たらいいのではという方向が出て来ました。導きをお祈り頂ければ感謝です。(孝篤)

【祈りの課題】
1.タイ福音教会連盟加入の手続きがスムースに進められ、タイの政府にも認められた日本語教会となるように。
2.現在、求道中の中高年の方々が5名ほどおられます。救いのために。また、来年からチェンマイに来られるだろう多くの団塊の世代の方々に届く教会となれるように。


「8月の日本とカンボジア暑い(熱い)のは?」
一時帰国中  西村信恵

岸和田東聖書教会の皆様と  いつも変わらない皆様のお祈りを心から感謝いたします。この原稿は大阪のデピュテーション中に書いています。連日三十四〜三十六度、カンボジアの暑さを思い出しながら過ごしています。今月もいろいろなところで恵みを受けました。
中高生たちと  大阪巡回中はわたしの友人が住居を提供してくださいました。十年以上前からのその友人は、今は牧師としてたてられています。それぞれが神様の前に導かれて主に仕えるものとされていることは不思議で、主のなさることの恵みを感謝しました。
 ある教会では、クリスチャンホームの子供達と交わる機会も与えられました。クリスチャン二世、三世が神様とこの世とどっちつかずになってしまいがちな中、どのようにして神様につながったのかと、私自身もクリスチャンホームで育ったので興味があり、一人ひとりに証しも聞くことが出来ました。「神様なんで?と思ったけれど、その悪いと思える状況を通して私は神様を信じて洗礼を受けることが出来た、と思うと、すべては神様の御手の中で行われたと思えるようになった。」「神様は誰にも言わないで祈っていた祈りを聞いてくださった。」「キャンプで神様に従おうと決心はしていたけれど、自分の罪もキャンプで示された。」等。ひとりひとりが、神様を個人的に経験し、しっかりと神様につながっていました。それぞれの背後に神様の御手と、祈られてきたことを感じて嬉しく思いました。
休日にーマイワシの大群と  またこれまでの巡回中、困難な状況でも必死に神様に従って歩んでいるカンボジアのクリスチャン達を紹介しながら、日本で恵まれた中にいて信仰を保つことの難しさも思わされています。別に神様に頼って歩まなくても、特に困らず、困ってもほかのものに頼って生きていける(様に思える)、なんとなく生きていける、なかなか熱くなれない状況のなかで、日々の歩みの中で神様の恵みを見出し、体験し、真実に歩んで輝いていける、混沌とした世の中で流されずに、生きていく方向を指し示していけるクリスチャン達が多く起こされるようにと願い、また自分自身も便利さや気軽な、楽なほうに流されずしっかりと主の御心を歩んでいけるようにと祈らされています。

【祈りの課題】
1.10月29日の西村師壮行会の祝福のためにお祈り下さい。
2.第2期の働きの導きのためにお祈り下さい。


「ミッション・ポシブル」
横山基生、好江

主にある励まし、力をありがとう!  蒸し暑い日本の夏を過ごすのは四年ぶりですが、主の助けによって乗り切ることが出来ました。八月はまずミッション・ポッシブル宣教体験ツアーの引率として妻と共にフィリピンに行くことができ、大きな祝福をいただきました。二日後名古屋と神戸に行き、香港から来られたK師と一日同行し、様々な働きについて語り合うことが出来ました。帰り道には、京都と名古屋で降りて、宣教師を送り出している教会の牧師先生方とお会いし、良き交わりとなりました。私が属するホーリネスの群のユース・キャンプで奉仕させていただき、中高生・青年達と語り合いました。この八月はとても多く様々な方と出会い、信仰・人生・結婚・宣教等について色々に語り合ったのだなと気付かされます。年令を超えて交わり相互に励まし合えるのは、クリスチャンの大きな恵みであることを思います。
たまみ師の証しと有澤師のメッセージ  最近、短期・長期で宣教に関わりたいという方からのメールが多く来ています。年齢も背景もそれぞれ異なる人達ですが、主の御心に沿って道が開かれるように是非お祈り下さい。(基生)
ウィクリフ聖書翻訳の永井総主事とフィリピンで長年聖書翻訳を担ってきたヘレンさん  ミッション・ポッシブルのためにお祈りいただき、ありがとうございました。主が豊かに祈りに答えて下さり、私達夫婦も多くの恵みを受けてフィリピンから戻って来ました。
 聖書翻訳のウィクリフ、大学生の働きであるKGK、そして東アジア人宣教のOMF。三団体の共催。それぞれの持ち味が生かされ、宣教の現場を幅広く見聞できたと思います。参加者計二十七名(うちスタッフ七名)。ほぼ全員が海外宣教に関わって祈っていました。学生が十六名、そのうち海外宣教を自分の将来の可能性として考えている人が十名。このことだけでも大変励まされます。また十日間ともに生活して、皆さん、真摯に主と共に歩んでいる姿に励まされ、力づけられました。
好江宣教師の証しと横山宣教師のメッセージ  カルチャーショックについて語るという奉仕を担当し準備中に、自分自身が帰国カルチャーショックの真只中であることを確認しました。不安定な状況でも、主に与えられたことを主の力でと、日々歩ませていただけたのも過去の経験が用いられてのことでした。身近な方々に祈り支えられてフィリピンに向かい、この旅を通して主は力を与えて下さり、再び立ち上がることができたように思います。振り返ると帰国して三ヵ月になる頃が最悪の時期。「ショック」というのは予測外であるから「ショック」なんだと再認識。机の前に置いてある「穏やかに信頼しているならば力を得る。イザヤ三十の十五」という御言葉の真実さを体験させていただきました。
 月末の二泊三日は検査入院(異常無しとの結果)。イギリスなら違っていただろう事柄(細やかな行き届いたケア等)を感謝し、主の平和に守られた時間とこの機会を感謝しました。(好江)

【祈りの課題】
1.10月2日に日本委員会を開きます。短い間に審議すべき課題が多くあります。主から知恵をいただき、良き判断を持って一つ一つの議題を処理して行くことができるように。
2.10月10日以降1週間ほど北海道に出向きます。良き教会訪問ができるように。

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