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2005年6月号  page1  page2


「天を思う」
北タイ・ミェン族 有澤達朗、たまみ

葬儀の後、フェイフォウ姉の誕生会で  クリスチャンの葬儀ほど教会を教会らしく育てるものはないように思えます。
 ミェン宣教教会の最初の召天者は、去年クリスマスにイエス様を信じた二人の年配の婦人の一人、ナイジヤン姉でした。婦人は「葬式は教会で」とお子さん達に告げていたのですが、他の親戚の意向もあり、二つの宗教で行われました。街の仏教寺院で火葬し、遺骨は道教色が強いミェンの儀式で山地の村に埋葬されました。
 同じクリスマスにクリスチャンになったもう一人の婦人が、ナイジヤン姉の最期近くまで付き添い、教会に知らせ、教会員が遺体の処置をするなどの関わりや、本人の遺言もあったのですが、葬儀を任せていただくことはできませんでした。
 しかし火葬場で、四人の僧侶が読経をする前に、教会が祈りを奉げてもよいと機会が与えられました。センツィン師と教会員が参列者の前で聖書を読み、天国の希望と慰めに満ちた祈りを奉げることができました。読経はバーリ語で唱えられるので誰も理解できませんが、聖書朗読と祈りはタイ語なので列席者全員がハッキリ理解できたでしょう。この五〜六分が与えられたことは、祈りに応えてくださる神を教会が経験するときとなりました。
仏教式葬儀で聖書朗読  思えば、「亡くなりました。葬儀のやり方が分かりませんけど、どうしましょう?」と村にいたセンツィン師から電話を受け、大学院の試験を延期してもらい駆けつけたのは三年前。その彼が今は牧師として大勢の仏教徒と僧侶たちを前に、「人間の命の所有者は神であり、ナイジヤン姉はキリストを信じて救われ創造主のもとへ帰ったのです」と、確信をもって語る人になったのです。
 青年が多い小さな教会ですが、彼らの中に「私達の教会は天国にも会員がいる」という希望と確信、そして不思議な平安が強く起こってきました。(達朗)
 ナイジャン姉と一緒に昨年のクリスマスにイェス様を信じたフェイフォウ姉。近所同士の同年で、ミェン語で何でも話せる仲だった。欠かさず礼拝に来ていた二人はイェス様を信じて日が浅くともお互いに励ましあっていた。フェイフォウ姉は信仰の友を自分の誕生日に天へ見送ったという特別の寂しさはあるが、天国での再会の確信がある。主よ、どうぞ続けてフェイフォウ姉を励まし導いてください、と祈る。(たまみ)

【祈りの課題】
1.去年のクリスマスに信仰をもったナイジャン姉が天に召されました。三人の子供達(成人している)が教会に来て、真の慰めを得るように。彼女と同時に信じたフェイフォウ姉は信仰の友を失いましたが、続けて成長できるように。
2.有澤家に集まるクリスチャンの大学院生たちの間に不和があるようです。我が家が和解の家、悔い改めの家、愛の家として彼らのために用いられるように。未信者の学生たちに躓きをもたらす可能性があることを、クリスチャンが悔い改めるようにお祈りください。


「ムシ出来ない話」
カンボジア・プノンペン  今村裕三、ひとみ

体長21センチ。名前をご存知の方は教えて下さい。  「私にとって怖いもの」カンボジアに来るまでは、「自転車」と「虫」でした。しかし、神様の憐れみにより、カンボジアに来てから「自転車」は練習なしで乗れるようになりました。しかし「虫」はいまだに苦手です。我が家では、「虫」は家内担当、大学で研究生活を送っていた時に多くの動物実験で慣れている私は「小動物」担当で、家庭内の緊急時に当たっています。それはある蒸し暑い夜でした。家内が先に休んで、私も休もうと寝室に入ったときのことです。私の左視野の端に五つに分かれた手のようなものが2つ見えました。幻視か?と思いましたが、寝ている「虫担当」の家内を起こし、確認するとそれは「大きなハ虫類でした」。「これは小動物だ、虫だ」と争う間もなく、それから二十五分間の格闘の末、やっつけました。最後の一撃は男のメンツで私が!あー、長かったです。過去の有澤師が出会われた「大きな蛇」の話に比べると申し訳ない小物ですが、衝撃でした。私はカンボジアに来る前に、虫だらけになるところは嫌と祈ったことがあります。牧野伊豆師に「私は蛇だけは苦手で神様にお祈りしたら宣教師生活中で一度も蛇を自分で殺さなければならないハメには陥らなかった」との証に励まされていたのです。まさしく神様は、少しずつ私の苦手なものを取り除いてくださっています。それはただ主の宣教のために。第二段階の語学試験に合格すると田舎に行くことができます。まだ先の話ですが、田舎に行くこともお祈りしています。将来の道が明確に示されますように。皆様のとりなしの祈りを感謝して。(裕三)
4月14日はカンボジア正月でした。今年は7人娘の5番目の女神が降りて来たそうです  日本で自己紹介といえば名前が最初で、次に職業などが続くのが一般的かと思います。カンボジアはちょっと変わっています。名前よりも結婚の有無、子供の有無、出身地などが最初に聞かれることが多いです。職業を初対面で尋ねるのは失礼に当たることもあるそうです。私はカンボジア流の自己紹介に最初は面食らっていました。初対面でも「子供いないの!」「結婚して五年も経つのにどうして作らないの!」等々。日本ではプライベートな事なので、余り突っ込んで聞かれることは少なかったのですが、カンボジア人は容赦ありません。私は子宮内膜症のために、子供が出来るかどうかは分からない状況にあります。聞く人にとっては何気ない質問かもしれませんが、悩みを持っている私にとっては聞かれる度に落ち込みました。子宮内膜症は致死には至らない病気ですが、治療は難しいとされ、妊娠することが最も良い治療法と言われています。祈りの内に示されたことは、「子供が欲しいのに与えられないことは神様のご計画である。私が祝されていないとか、引け目を感じる必要はない。」でした。それ以来、子供のことを聞かれる時は「私が病気であり、手術を受けた事。与えられるように祈っている事。与えられない事も神様のご計画である事」を時間があれば、なるべくはっきり話すようにしました。すると、なかには意地悪に何度も同じ事を尋ねる人もいますが、多くの人は励ましてくれたり、祈ってくれたりしてくれます。また、私には本音を話して大丈夫と思うようで自分の内面の悩みを分かち合ってくれる友人も与えられました。神様はどんな状況も益と変えて下さることを、また一つ学ぶことが出来感謝です。(ひとみ)

【祈りの課題】
1.引き続き言葉の学びのために。安心して実践練習ができるカンボジア人の友がさらに与えられるようにお祈り下さい。
2.8月のOMFカンボジア地区修養会の準備委員に昨年に引き続き裕三師がなりました。他の準備委員の方とともによい準備ができるようにお祈りください。今年の講師はハワード・ペスケット師です。


「真の祝福の水を!」
北タイ・チェンマイ 邦人伝道 野尻孝篤師・明子師

ウィクリフの先生方と共に  タイの人達はお祭りが大好きです。私達がここに来て以来、十一月のロイカトーン(灯篭流し−雨で残念)、十二月のクリスマス(日本と同じでデパートの売り込み戦−でも人々の心は教会に来やすい時期かも)、一月の新年−今年は津波の影響で自粛気味)、二月の旧正月(中国正月)と続き、真夏四月のソンクラーン(タイ正月)でピークを迎えました。チェンマイの水かけ祭りは特に有名だそうで、この時期は飛行機の便なども取りにくいとか。私たちは人ごみは疲れるし「お堀の水が眼に入って炎症を起こす」とかいう日本人の話を聞いて、二日間はじっと家で過ごしていましたが、三日目ついに、東京下町育ちのお祭り大好きの主人が「やはり一度は見ておかなければ」とか言って、小さな車で出かけました。城壁のお堀の周りには町中の人々が集ったかのような大賑わいです。お堀の水を汲んでは歩行者の肩、背中、顔を問わずお水をジャー、バイクの人には正面から横からバケツでバシャー、幌なし小型トラックにすずなりに乗った若者達は車に積んだドラム缶の水を走りながら周りに振りまき、お返しに道からはホースや水鉄砲の祝福をもらっています。みんなビショビショ。若者とファラン(白人)が目立ちます。日本人はあまり見られません。水は祝福をあらわすということでこの三日間はどこで水をかけられても文句を言わない、ただニッコリして祝福を頂くのだとか。じりじり焼けつける太陽の下では実に理にかなったお祭りです。バンコクではこんな豪快な水かけはついぞ見たことがありませんでした。やはりお堀があるからかな、王朝が違うんだね、と妙な結論を得ました。みんな真の神様の真の祝福を頂きたいんですよね。(明子)
芳賀師ご夫妻を囲んで  四月の一番暑い季節、一番暑い町チェンマイに、この月は日本から何人ものお客様を迎えました。元OMF宣教師入月英明師、私たちの宣教母体である東京フリー・メソジストの芳賀師ご夫妻、そして昨聖日には、会議で来られたウィクリフ聖書翻訳の先生方をもお迎えし、ここチェンマイで自分の言葉で聖書が読めて説教を聞くことが出来ることの幸いを改めて実感しました。私たちの教会でも聖書翻訳や、まだ福音が届いていない人達のために何か出来ることがないかと、考え祈る機会となったことは本当に感謝でした。(孝篤)

【祈りの課題】
1.求道中のカップルが増えています。この方たちの救いのために。
2.集会場を借りています中国人教会の皆さんと友好的な関わりを持ち続けられるように。


「久しぶりの再会、第二期の具体的な働き」
フィリピン・ミンダナオ島 マノーボ族伝道 合田希保

OMFスイスより、マノーボ族伝道26年、アネン師ご夫妻と、マノーボの山で。  四月二十五日、マノーボ族の牧師夫妻・働き人の祈りと学び会に出席する為、私はダバオから、念願のマノーボ族の住む山に向かっていた。第一期中に良く利用していたダバオのあるバスターミナルは、昨年のゲリラ爆破事件の影響で無くなっていた。
 約二年もフィールドを留守にすると、様々な事が変わっていて、慣れたり、情報を収集するのにエネルギーを使う。今だに色々な面で、再適応をしている。漸くダバオでの生活が落ち着いてきたかと思いきや、今度はマノーボ族の山への生活の再適応か。少し不安がよぎる。
 ダバオからバスで三〜四時間、その後ジープニーに乗り換えて二〜三時間程すると、サントニンニョという(マノーボ族の牧師家庭・酋長の子供達が親元から離れて寄宿しながら公立学校に通う寮がある)比較的大きな村に着く。ここの村までは電気が通っている、水は井戸水。サントニンニョが起点で、マノーボ族の村々が美しい広大な山間部分に転々と存在し、マノーボ族の人々の暮しが営まれている。私は、第一期サントニンニョから、自動二輪バイクで二〜三時間掛けて、二十五KMまで入って行った。このサントニンニョのマノーボ族子供寮で毎月、働き人達の会合が開かれる。マノーボ族の自給自足で働く牧師夫妻達が、馬や徒歩で何時間も掛けて重たい荷物(聖書や着替え)を持って山から降りて来るのだ。(最も遠い人は徒歩で七〜八時間以上掛かるらしい。)
ダラマンシー師ご夫妻と(右側)その弟子ロミー師夫妻と再会(サントニンニョ・子供寮前で)  私は久し振りの再会に、心が弾むと同時に少しためらった。「ダバオの電気・水道・ガスを初め何でもある生活から、マノーボ族の何にも無い生活へ戻れるだろうか?彼らの貧しい生活の様子に平然といられるだろうか?」喜びと不安が混ぜ合わさる。「宣教師は、裕福な所・貧しい所、どんな所でも、同じ様に楽しんで生活し、美味しく喜んで食べる事が大切だ。」とある方から伺った事を思い出す。第一期、マノーボ族のクヤス村で、ダラマンシー牧師夫妻の家に寄宿し、マノーボ語を深く学び、教会働き人になる為の訓練を受けていた。朝起き、夜寝るまで寝食を共にした仲なので、彼らとの再会は喜びもひとしおであった。「キホ、私達はキホがまた山に戻って来て、共に働ける様に祈っていたのよ。」 私が日本で休職していた期間、ダラマンシー夫妻はずっと祈っていて下さった。OMFマノーボ族伝道の同労宣教師達を始め、日本の皆さんからも、マノーボ族の同労者達からも祈られていた事実に、不安・恐れ・ためらいは消えて行った。
 この牧師夫妻の会合の中で「キホの働き」について審議された。「私は、マノーボ族の同労者の下で受け入れられ、共に神様の働きに参与させて頂ける恵みの中にあるのだ。」神様に感謝が溢れた。又、マノーボ族の牧師夫妻達が、積極的に発言し祈る姿が印象的だった。二年前、日本へ一時帰国の頃、牧師夫人達は会合にも参加せず、後ろの方で佇んでいるばかりだったし、男性の牧師達も数人が発言するだけで、残りの人はただ静かに座っているだけだった。また、牧師夫妻の数が、二年前に比べ少なくとも二倍に増えている。初対面の方々が多く驚いた。
 最後に、私の働きについて会合で承認された事は、「(1)日曜学校教師達のトレーニングや学びを始める、(2)サントニンニョ・子供寮で英語や算数などを教えたり、聖書の学びや霊的必要を補う(共にデボーションをしたりする。)(3)マノーボ族の各村を必要に応じて訪問し、日曜学校の教師達・牧師婦人達を教え・励ます」教える、励ますと書いたが、私の方が教えられ、励まされている。神様によって、マノーボ族の方々と共に、主の働きをさせて頂ける喜びに満たされて、この第2期、神様が何を為して下さるのか楽しみに待ち望みつつ歩んでいきたい。特に英語に関しては全く自信がないが、それでも、神によって与えられている賜物を用いて、出来る限りの事をさせて頂きたい。英語教育に詳しい方、是非色々御教え下さい。心から感謝しつつ‥‥。

【祈りの課題】
1.マノーボの山での働きと生活と、ダバオ(ベースハウス)での休息と生活がバランスを持って成立します様に。特に御言葉によって養われ教えられ、山でもダバオでも何処でも静まりの時を持てます様。健康の為にも御祈り下さい。
2.マノーボ族の自給自足で働く牧師先生ご夫妻が働かれている村々では、日曜学校を開いていません。子供達は大人と一緒に賛美をささげています。是非、日曜学校(子供礼拝)がマノーボの山々で始められていきます様に。合田師が上からの知恵を頂いて、マノーボ族の方々の霊的必要を良く知る事が出来ます様に。


「言語を学ぶ人、教える人、学ぶ機会、教える機会」
カンボジア・プノンペン  西村信恵

ソッカー君(中央)とウッティー君(右)  ソッカー君のためにお祈りくださり、ありがとうございます。彼のいとこがギャンブル場での仕事を見つけてきたそうですが、そのことに平安を得ることができず、ソッカー君はカンボジア正月前にニャックルアンに帰ってきました。でも、仕事がなければ食べていくことができません。「僕は神様のこと信じているけど、本当に仕事をくれるだろうか。僕は言語を教える仕事につきたいんだ。」タイ語、英語も話せる彼はそう言ってお祈りの課題を出します。神様に信頼してもう少し待ってみるか、母親も行こうとしているポイペットについていって、そこでまたギャンブルの仕事を続けるか、ソッカー君自身の中ではぎりぎりの葛藤があるようです。その彼を支えているのが、脳梗塞になって片足が麻痺してしまったウッティー君。ともに祈り合い、お互いに仕事のない不安や悩みを分かち合い、毎日を支えあっています。
 四月のカンボジア正月、私は一週間の休暇をとってカンボジア北東にあるモンドキリ県に行ってきました。山の多い涼しい場所です。カンボジア人以外の多くの部族が住んでいるところでもあります。そこではあるクリスチャン団体が、言語プログラムをくんでクメール語を教えていました。ポルポト時代にクメールルージュで、今は夫婦ともクリスチャンになり、このプログラムに参加し、クメール語の読み書きを習っていると話して下さった、プノー族の像使いをしている人に出会いました。カンボジアの違う場所でもこうした神様の働きを見ることができて励まされる思いでした。
 さてニャックルアンでも、第六村という所でこの言語クラスを作り、ほかのNGO団体と協力してクメール語の学びの機会を与えたいと願っています。第六村はとても貧しいところで、お金が払えず二年生や三年生で学校をやめてしまっている子供たちが大勢います。そしてその子供たちの先生としてソッカー君に教える機会が与えられないかと祈っています。すべてのことを働かせて益としてくださる神様が、一番よい方法で私達の祈りに答えてくださいますようにと、今待ち望んでいるところです。
 皆様のお祈りを心から感謝いたします。

【祈りの課題】
1.6月上旬に教会員の両親を招く会を計画しています。教会や、神様のことを知っていただく機会として、また、おたがいの関係を立てあげる機会として祝福されますようにお祈りください。
2.言語クラスをはじめるにあたり、ニャックルアンの第六村で、ふさわしい場所が借りれますように、ふさわしい人が先生として採用されますようにお祈りください。

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