2015年2月号
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「蒔かれた種」
日 本 菅家庄一郎、容子
ルカ十七章五節からの箇所はとても興味深いです。使徒たちはイエス様に「私たちの信仰を増してください」と願います。イエス様は、それに対してからし種ほどの信仰があれば、桑の木が陸から海に移動することさえ可能なのだと言います。
しかし、七節からは少しまとはずれと思えるような話をイエス様はされます。しもべと主人のたとえです。もし、しもべが仕事から帰ってきたら、自分の食事をする前に、まず主人の食事の準備をし、給仕をさせてから食事をしなさいと言わないだろうか。そしてしもべが言われたことをしたからといって、主人はしもべに感謝するだろうか、と言います。
同じように、あなたがたもなすべきことをしたら「私たちは役に立たないしもべです。なすべきことをしただけです」と言いなさいと命じます。
宣教の働きが思うように進まない時、自分の願いがかなえられない時、私たちは自分の信仰が足らないからだと考えがちです。しかし視点を変えて、自分が何をしたいかではなく、主人(神様)は私に何をしてほしいかを知り、それをただ淡々となしていく歩みも信仰の歩みなのだということをイエス様は教えておられるように思いました。それは主人の願いが実現することが最善の道なのだと信じていなければできないことだからです。
宣教師の働きは注目をあびる働きです。そこには自分の好む働きを進めるために、神様を利用する誘惑が常にあります。そうではなく、神様がしなさいと言われたことを忠実に行い、自分にではなく、神に栄光を帰すしもべのように、私達一人一人が歩むことができますようにお祈りください。(庄一郎)
教会での婦人のクリスマス会、今年は初めて元OMF宣教師の木下理恵子先生をお迎えし、賛美フラとメッセージをしていただきました。先生曰く、「花つけてレイかけて、フラのドレスを着て話す方が、スーツ着て講壇で説教するより、ずっとストレートに福音を語りやすい」とのこと。実際、最初の先生のソロのフラからご婦人方の心はふわ~と開かれ、振り付けの説明を聞くと、さらに賛美の意味が心にしみていくのが伝わってきました。気がつくといつのまにか賛美フラの説明から証、そして神様の愛のメッセージが開かれた心に届けられていました。
「さぁ、皆さんもご一緒に踊りましょう!」の言葉に皆さん、手の振り付けだけなのに椅子をどんどん片づけて踊る気まんまん。そういう私もその一人でした。 神の御子、の振り付け、両手を天に広げ(神様を表します)、片方の手を片方に合わせ、腕つたいにおろし(天から降りて来られた)、その手で赤ちゃんを抱っこする(マリヤに抱かれたイエス様)振りで踊った時、イエス様が天の神の御座から降りて来られ、マリヤに抱かれる無防備な赤ちゃんとなって来てくださったのは、私達が神様の子とされ、天に迎え入れられるためだと新鮮に心に迫ってきました。
第二部はお茶と軽食を頂きながらテーブルごとのお交わりタイム。皆さんの開かれた心は閉ざされることなく、閉会の祈りの後も誰も席を立ちません。ある方は「クリスマスの意味が良く分かりました。」「イエス・キリストの十字架の意味を初めて知りました。」「色々なスイッチが入り、涙がとまりませんでした。」そして口々に「楽しかった!また来たいです!」と笑顔で帰られたのは、閉会の祈り後一時間以上もたってからでした。
賛美フラと出会われ、からだ全体、そして存在全体で福音を伝えてくださった木下先生のご奉仕を主に感謝しました。蒔かれた種が美しい花を咲かせますようお祈りください。(容子)
【祈りの課題】
1.2月2~3日の日本委員会の祝福のため。また決められたことを実行していく力と知恵が与えられますように。
2.14日~18日まで総主事は九州方面へ出張します。14日のいっしょにミッション、15日の同盟基督教団大分めぐみキリスト教会での奉仕、17日の150周年九州地区委員会などの奉仕が守られますように。
「二人のお母さん」
タ イ 坂本朋子
いつも皆様のお祈りに感謝いたします。十二月はエイズケアでも各プロジェクトでクリスマス会が行われました。それぞれの集会に、エイズケアからサポートを受けている子供たちとその保護者の参加があり、中には学校の友人を連れてきた子供もいました。とても嬉しいことです。そしてそれぞれの集会で、クリスマスの本当の意味についてメッセージが語られました。エイズによって様々な苦しみの中にいる人々が、真の光であるイエス様に出会うことができるようにどうぞお祈りください。
このクリスマス会の時に、フェローシップハウスに一緒に住んでいるミウちゃんのお祖母さんに初めて会いました。お祖母さんといっても年は私の母くらいですから、ミウちゃんのお母さんも生きていたら私くらいの年だろうと思います。お母さんが亡くなってからは、ミウちゃんはお祖母さんのことを「お母さん」と呼んでいるそうです。
ある日、このお祖母さんが用事でチェンマイ市内に来る機会があり、フェローシップハウスに宿泊しました。その時にミウちゃんの両親のこと、一人娘だったミウちゃんのお母さんを失ったことの悲しみや、どれほど苦労をして母親代わりとなってミウちゃんを養育してきたかなど色々と話してくれました。残念ながらお祖母さんは北部タイ語のなまりが強くて、全部は聞き取ることが出来ませんでしたが、普段自分のことをほとんど話してくれないミウちゃんに代わって、色々と身の上について語ってくれたので助かりました。
ある夜のこと、ミウちゃんが何の連絡もなく夜中に帰って来た時がありました。心配して寝ないで待っていた私は、ちゃんと話をしなければと思いました。こちらが色々と話しかけても無反応な態度に、そろそろ言うべきことを言った方が良いと感じたのです。「こんなに遅く帰ってきて、私がどれほど心配していたか分かる?私はただの同居人じゃないよ。私はあなたのことを母親のように毎日心配して祈っているんだよ、分かる?」
気が付いたら私もミウちゃんも泣いていました。そして彼女は私を心配させたことを謝りました。私はお母さんと呼ばれるほど貫録もないし、どちらかというとお姉さん的な存在で居たいと思っているのですが、お祖母さんの他にミウちゃんにとってもう一人母親のような存在がいても良いのではと思わされたのでした。
【祈りの課題】
1.ドイロー地区のエイズケア・キッズクラブで子供たちに簡単な英会話を教えることになりました。この機会を通して子供たちとより親しくなることが出来るように。
2.今年からエイズケア6個所全体のマネージメントと会計を担当するマイスター師夫妻のために。主から必要な知恵と助けがあるように。
「生きて働かれる宣教の主」
日 本 ディアスポラ伝道 横山好江
二〇一四年四月に、夫は志木教会(日本基督教団ホーリネスの群れ)の牧師、私は伝道師として着任しました。前任の教会同様、海外宣教にあまり馴染みがなかった教会に、私達夫婦が徐々に紹介させていただいています。毎週の定例祈祷会では、月一回海外宣教を覚え祈るようにしています。八月には佐味湖幸宣教師を迎え、その宣教報告に参加者がよく聴き、心から祈る姿に私は感銘を受けました。十二月は宣教師として入れない国のNPOスタッフとして活動するワーカーを迎えました。ある村の部族のための活動報告を熱心に聴いた後に、質疑応答の時が持たれました。「直接福音を語れない状況で、どうやって伝道するのですか」といった内容の質問に対し、「伝道というのは福音を語ることだけでしょうか」とワーカーが問われました。部族の方々に対し愛と忍耐をもって、あるがままを受け入れ、彼等と共に喜んだり苦しんだり泣いたりしながら、さらに整えられた生活ができるように粘り強く教育・啓蒙活動を続けておられる様子を聞き、またワーカー自身の謙遜な姿、愛、笑顔といった姿勢を通して、キリスト者の在り方・生き様を通して、キリストご自身を伝えることができるのだと悟った瞬間でした。翌週の祈祷会では、自らの証しの生活に照らし合わせて反省した、そこから教えられたことを生かしていきたい、といったコメントが何人かから寄せられました。宣教の主が生きて働いておられることを心から感謝しています。
前号の祈祷課題として「OMF組織改編に伴い、ケンプ部長の任務の大きな部分が、ウッド師(ヨーロッパとアフリカに関して)とソーテバーグ師(北米に関して)に移行します。それぞれが徐々に慣れていきますように」と書かせていただきました。一月十二日に正式に行なわれるこの移行は、準備段階から粛々と進められています。お祈りを心から感謝します。
【祈りの課題】
1.OMF組織改編の下、1月12日よりケンプ部長の任務の大きな部分が、ウッド師(ヨーロッパとアフリカに関して)と、ソーテバーグ師(北米に関して)に移行します。部全体で慣れていきますように。
2.ディアスポラ伝道部で奉仕する導きを与えられている方々の上に、主の導きが明確にありますように。(日本在住のSさん、ニュージーランド在住のK夫妻です。)
「『萱の森教会』から改名」
北タイ・ミェン族 有澤達朗、たまみ
感謝のご報告をいたします。昨年十二月二十一日に、タンマジャーリク教会が新会堂の献堂式を行いました。
タンマジャーリク教会の役員の一人が、昨年の五月から会堂建築進行状況を写真に撮って、ソーシャルネットワークでこまめに更新していました。そして、昨年クリスマス前に、新会堂献堂式とメーチャン地区ミェン教会合同クリスマス礼拝を併せて行う式典の招待状も載せていました。
驚きと嬉しさで、式典の前日、思わずメルボルンからタンマジャーリク教会の代表役員のところへ電話を入れました。地元で有名な料理人でもある代表役員は、丁度明日の来客百数十人分の料理を手がけているところでした。携帯電話が繋がり難い村ですが、その時は何の問題も無く会話ができ、主人も代表役員も喜びと感謝のうちに通話を終えました。
翌日、早速献堂感謝礼拝の様子がネットワークに載り、教会の看板を見て驚きました。教会の名前が「タンマジャーリク村教会」から「インマヌエル(神はわたしたちとともにおられる)教会」になっているではありませんか。クリスマスにふさわしい改名となりました。皆様のお祈りに支えられて、新会堂が出来上がりました。ありがとうございました。(たまみ)
『宣教ニュース』二〇〇七年九月号で「新しい名前をください」という記事を読み、お祈りしてくださった方々が多くおられたことと思います。私たちが同年から無牧師の教会の奉仕を始めた、その村の通称は「萱(サッチ)の森村」。タイ語の正式名は「タンマジャーリク村」。
(引用)「タイ語で『タンマ』とは仏法(日本語のダルマ)、『ジャーリク』とは巡歴の意。一九六五年に政府が仏教教団に山地民族への布教を依頼し『タンマジャーリク(法の巡歴)計画』を遂行した。‥‥教会員が由来を知らず『タンマジャーリク教会』と呼んで久しい。‥‥タイ語のバーリ語源・サンスクリット語源にうとい山岳民族にとってしかたのないことだった。‥‥『木、草、わら』のような内容の教会は『火で真価をためされ』ると消えうせる。サッチでもなく、タンマジャーリクでもない、新しい名前がこの教会にほしい」(二〇〇七年)。
あれから七年、未だに牧師はいませんが、新会堂完成にあたり新しい名前を得ました。七年の間に、賭博や異端に対決する説教が語られ、名目主義に対抗して生まれ変わりの必要性を強調する説教が語られ続けました。偶像販売をしていた「クリスチャン」がそれを止め、七人がバプテスマを受け、新会堂建築に反対し妨げていた有力者が三十年の怒りを捨て、協力者に変わりました。
教会の罪深い現状を嘆き、神様の憐れみを求めて祈り続けた会員、反発を恐れず聖書を忠実に講解し続けた信徒説教者たち、貧しさにも関わらず力以上の献金をして新会堂の完成を見た人々は、「神われらとともに在す」(インマヌエル)ということを確かに経験しました。宣教師のいない間に、「タンマジャーリク教会」から「ミェン族教会協議会・インマヌエル教会」と改名したことは、信仰と判断力の成長の印でもあり、喜ばしいことです。また「日本の教会に献金を要請してください」と頼まれたことは一度もありませんでした。実は、このような要求に妥協する宣教師が原因で、現地教会の実質的な信仰の成長を妨げている場合があります。
今後、次の段階は牧師を招聘し、ふさわしい謝儀を現金や農作物で払い、さらに伝道を進めることです。この働きにおいても、ミェン族インマヌエル教会が、宣教師依存症から全く解き放たれた教会として成長するようにお祈りしてください。
さて、論文のほうですが、ある大学の博士課程学生に対する指導では、「電子メールには触るな、書くな、返答するな」と言われています。それにかかる時間は論文執筆の大きな妨げであるというのです。私は、ミェン族の兄弟姉妹に電話をするのも億劫で、電子メールと同様に避けています。話が始まると、容易に切り上げることはできないからです。ところが、たまみはミェン教会の動向を逐一チェックし、必要であれば、タイの兄弟姉妹にタイ時間で都合の良い時に電話をかけます。そして相手が電話を取るや否や、私の耳に押し付けてきて話をさせるのです。このようにして祈祷課題を絶えず更新し、交わりを続けています。「達朗さんは、たまみさんがいないと何もできない」と噂されているそうですが、それは本当です。(達朗)
【祈りの課題】
1.タンマジャーリク村のミェン族教会が、新会堂の献堂をきっかけに、ミェン族インマヌエル教会と改名しました。気を緩めず、次の段階、ミェン族の牧師招聘に向けて、さらに前進するようにお祈りください。
2.2月と3月で、論文をほぼ完成させます。4月~5月に論文のため最後の現地調査で、ネイティブスピーカーに論文中のミェン語例文のチェックをしてもらうことが目的です。目標達成のためお祈りください。
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