TOP PAGE OMF@宣教師.come 宣教ニュース 東アジア宣教ノート 宣教カレンダー OMFについて リンク e-mail



2011年10月号  page1  page2


「都会の山岳民族教会」
北タイ・ミェン族 有澤達朗、たまみ

去年、バンコク・ミェン教会を訪問した祈りのチーム  「バンコクで祈りながら歩いていたらミェン族教会を見つけました!」。そういう知らせを、佐味湖幸宣教師から受けたのは、去年日本でデピュテーション中のことでした。三年ごしの開拓期に、北部タイから電話でアドバイスを送っていたものの、一度も現場に行ったことはありませんでした。ついに、先日スリランカの学会への途上、初めてバンコク・ミェン教会に出席することができたのです。
 そうです、山岳民族であるミェン族がバンコクで集会所の献品を受け、ミェン語とタイ語で礼拝をし、タイ語で近隣の人々に伝道しているのです。仕事や学業のためバンコクに来たミェン族と、ミェン族ではないけれどもアカ族などの北部出身者で、都会人よりも山岳民族とともに礼拝する方が心地よいという人たちの集まりです。礼拝前にはミェン語で賛美歌を練習し祈るグループ、タイ語で聖書研究をするグループに分かれて集会がもたれています。礼拝賛美、その日の聖書箇所、報告事項は二言語でスクリーンに映し出されます。
 バンコク聖書神学校の教師、ソムヨット先生の夫人ナイトン先生がミェン族で、ご夫婦でミェン族宣教の使命感を持ち、ミェン族の神学生とともに開拓した教会です。その日は私がミェン語で説教し、ナイトン先生がタイ語に通訳してくれました。会員は聖書を深く学ぶ環境に恵まれているため、自分たちの出身地の田舎へ伝道に行くビジョンを持っています。
 スリランカから帰タイ後、パヤオ県ルワムチット村の教会に、新婚の富夫師(タナコーン)ご夫妻を訪問しました。ラフ族である奥さんはファームメンというミェン語の名前をもらい、教会員から愛され、ミェン語習得に励んでいます。ルワムチット教会は、私たちが一九九七年〜二〇〇一年に奉仕した教会で、さらに奥地のフエイカンパー村は、開拓伝道を手がけたものの実を見ることはありませんでした。今は富夫師ご夫妻が日曜午前にルワムチット村で礼拝をした後、午後にフエイカンパー村へ出かけ二〇名ほどの礼拝を持ち、リーダーの訓練とミェン語識字教育をしています。
 地理的に孤立している富夫師ご夫妻とルワムチット教会の兄姉たちへの励ましは、毎月第一日曜に、チェンマイ・ミェン宣教教会からやって来る奉仕チームです。タイ国第二の大都会チェンマイ市に、学生を中心としたミェン族教会ができ、ジェムエン牧師の牧会の下そろそろ十年になろうとしていますが、地方伝道を怠らず続けています。
 最後に蛇足のようですが、そうではないことを。十月三一日が何の日であるか、日本人クリスチャンとアメリカ人クリスチャンに質問しても答えが返ってこなかったのを思い出します。「恵みのみ、信仰のみ、聖書のみ」「栄光は神にのみ」がミェン族教会にも確立するようにお祈りください。(達朗)


「メコン川の流れ」
日本 佐味湖幸

ミェン族の村で  メコン河は、チベット高原に源流を発し、中国雲南省を通り、ミャンマー・ラオス国境、タイ・ラオス国境、カンボジア・ベトナムを通り南シナ海に抜ける。
 三年半前北タイ祈りの旅に出かけた時、この河のタイ側から向こう岸に見える宣教の自由のない国々のために祈った。今回、馬場姉・谷淵姉と共に、河向うのそれらの国々に実際に行って祈ることができ、本当に感謝であった。
 M国では金箔がまぶしい豪華な寺院があちらこちらにあり、盲目的に祈りを捧げている多くの人々の姿に胸が痛み、主の憐みを祈った。
 L国では、幾つかの少数民族の村々を訪ねた。住んでいる地域は近いのに、民族によってこんなにも暮らしぶりが違うのかと驚かされた。L族はアニミズム(精霊信仰)で家々は非常に粗末。家の周りに畑などを作っている様子もない。外から来た私達には距離を置き、ほとんど関心さえ示さない。
舟でメコン川を渡る(馬場姉と谷淵姉)  それに比べT族は仏教徒。家は半高床式のしっかりとした家が多く、家の外で女性が織物をする姿をよく見かけた。挨拶をすると親切な返事があり、ある方は私たちを家に招き入れ、飲み物まで下さった。どちらの民族もほとんど福音宣教が進められていない状況だ。ある村は未だにアヘンなどの麻薬売買の利益で暮らしているという。
 そんな中、一つの村には自分たちの手作りでピンクのかわいい教会堂が建てられていた。主を信じる人の群れが起こされているのだ。村の子供たちは人懐っこく、彼らの言葉を一生懸命に教えてくれた。彼らにまっすぐに御言葉を教える人が遣わされ、間違った教えから守られるように祈らされた。
 タイでは有澤師の家に滞在し、そのお働きを垣間見ることができた。非常に忙しいお二人のために主の守りと祝福を祈った。ミェン族の村を幾つかまわり、それぞれの教会が抱えている問題のためにも祈ることが出来た。
 メコン河は赤茶の濁った水をたたえ、大きくうねりながら幾つもの国の間を流れているが、この地域に聖霊様の聖い、そして力強い大きな流れが起こされるように祈る。


「平和を創る人に」
カンボジア 今村裕三、ひとみ

「平和の橋」セミナー修了書を持ってハイ・チーズ。  七回シリーズの最後の「平和の橋」セミナーが八月末に行われました。二十名余りのカンボジア教会交友会のリーダーたちが、研修を終えることが出来ました。始める時には、約一年間にわたって行うセミナーで、どれくらいの人が続けて来られるだろうかと思っていましたが、研修内容が実情に即していることで、参加者が絶えず与えられました。最後のセミナーのテーマは「非攻撃的コミュニケーション」。題名もさることながら、いかにトゲなく難しい問題を人に伝えるか?そのために、これまで学んだ「赦すこと」、「聞くこと」、「衝突する理由」、「衝突した時の解決法」、「赦しと回復」などの要点を振り返りつつ、平和を創っていくコミュニケーション方法について学びました。このコースを終了した者たちが実際の生活で適用しつつ、同じように平和を創る人を育てていけるようになっていけば、もっと神様が喜ばれる教会になるのではないかと思いました。(裕三)
男児ラファーとともにスレイ・ポウ師とビチェット兄。  六月にお祈りいただいた登教会拒否中のポチェトン教会の牧師夫人、ヘーン姉が無事に出産しました。お祈り感謝です。
 その翌日に、同じ教会の女性牧師スレイ・ポウ師も、予定日より二週間早く出産しました。夜中に始まった「陣痛」を「食あたり」と勘違いし、破水したのにびっくり。しかも逆子で、病院に行く途中で赤ちゃんの足が出かけてしまい、病院に着いた時には医師に帝王切開は無理と言われました。しかし、二四〇〇グラムと小さかったために、何とか元気に生まれることができました。カンボジアは日本の新生児死亡率の三十倍以上、妊産婦死亡率は五十倍以上とかなりの高確率です。神様が守ってくださったことを一緒に感謝しました。
男児ダーダビッとともにヘーン姉とラタナ師。  今回出産したヘーン姉とスレイ・ポウ師は、結婚前からの親友です。しかしその後関係がこじれ、ほとんど話もしないようになりました。それが同じ病院で同時期に出産し、両家は見舞客を案内しあったりと交流がありました。また、同時に険悪な関係になっていたスレイ・ポウ師の実姉のスレイナー姉もヘーン姉の家が近所でもあり、病院での交流をきっかけに行き来が再開したようです。ヘーン姉はまだ「教会へ戻る」とは言っていませんが、状況は最悪時から好転しています。続けて彼女の信仰が回復するようにお祈りください。
 まだ十五年余の歴史のポチェトン教会ですが、一人一人から聞けば聞くほど、ズルズルと多くの人間関係の問題が出てきます。特にリーダーが抱えています。もつれた糸を神様によって少しずつ解くことができるようお祈りください。(ひとみ)


「無縁社会から主にある交わりへ」
日本 菅家庄一郎、容子

海外宣教体験キャンプに参加された皆様と  八月はキリスト兄弟団主催の宣教体験キャンプで奉仕させて頂きました。十五名ほどの参加者がありました。「聖書に見られる宣教の意義」「異文化とは」「アジアの国々」「宣教師を派遣するということ」というテーマで話しました。また、カンボジア料理やカンボジア語のレッスンもありました。いつの日か、この群れからも海外へ宣教師として派遣される方がおこされることを願っています。
 その後、OMF日本フィールドが行っている岩手救援プロジェクトに参加してきました。場所や時期により必要が異なることを知りました。私達は仮設住宅を訪問し、そこでカフェを開いたり支援物資を提供し、ゆったりとした交わりの中で被災者の話に耳を傾けました。今回の津波や地震の経験が、過去の痛みや苦しみをも思い出させることがあるようで、いろいろなことを話して下さる人がいます。少しずつ人間関係を築きあげながら、私達に与えられている揺るぎない希望を伝えていく必要があります。
 今回三か月間、短期宣教師として奉仕されたメアス一家は北アイルランドに戻り、OMF北海道地区の責任を取っておられたマギンティ師御夫妻が九月よりプロジェクトの責任者となります。主からの知恵と力が与えられますようにお祈りください。(庄一郎)
カンボジア語は楽しい!  今年の夏は変わりやすいお天気でしたが、祈りの友の皆様にはお変わりありませんでしょうか。お祈りとご支援を心から感謝申し上げます。このニュースが皆様のもとに届く頃には、すがすがしい秋が訪れていることを期待しています。
 岩手救援プロジェクトを手伝いに行った夫が、仮設住宅に住む被災者は、親族のもとに身を寄せても気を遣って居場所がなく、ほとんどの場合数週間で戻ってくる、と現場で聞いたと話してくれました。生活の基盤を失い、絆が断ち切られた方々のことを思うと本当に主を仰がずにはおれません。
 この夏、私は名古屋の母教会の婦人会、祈祷会に参加することができました。大きな病で手術を受けられる姉妹のために、教会が祈りの手をあげ、皆で心を合わせ熱心に主に祈っていました。未信の家族のために涙をもって証し、皆さんにも祈って頂く方、あるいは年配で一人暮らしの方や、ご夫妻で病に倒れておられる方々にも、あの方、この方、と不思議に備えられた婦人たちが、本当に親身になって関わり、協力して助け合い、祈りの課題を皆さんに伝えて祈っている様子を目の当たりにしました。「教会の祈り」の尊さを思いました。私たち一人一人は弱い土の器ですが、神の家族とされている。「キリストにあって‥‥ともに建てられ、御霊によって神の御住まいとなる(エペソ二・二二)」よう召されている。無縁社会と呼ばれるこの日本にあって、教会には驚くべき良き知らせと使命が託されている、と再確認しました。(容子)

2011年10月号  page1  page2


TOP PAGEOMF@宣教師.come宣教ニュース東アジア宣教ノート
宣教祈祷カレンダーOMFについてリンクe-mail

Get Microsoft Internet Explorer   HFJカウンタサービス   Go,HyperForJesus!



OMFインターナショナル日本委員会■〒272-0035 千葉県市川市新田1-16-14
TEL:047-324-3286 FAX:047-324-3213 郵便振替:00100-0-615052

© 1999-2011 OMF International JAPAN. All rights reserved. designed by HFJ.