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2011年5月号  page1  page2


「あの日に帰りたい −東日本大震災。被災地からの報告−」

被災地での炊き出し  OMFインターナショナルは、日本から海外へ宣教師を派遣するホームサイドの働き(日本委員会)と、海外からの宣教師が日本で奉仕するフィールドサイドの働き(OMF日本)があります。後者の宣教師は現在約百人おり、その内約十五人が東北地方に、四十人が関東(東京近郊)で働いています。三月十一日に発生した東日本大震災後、OMF日本はただちに緊急チームを立ち上げ、国内の宣教師の安否確認とケア(物的被害はあったものの、全員無事)にあたりました。それと同時に被災地域への支援活動も開始しました。
 OMF日本はCRASH(以下クラッシュ)という団体と協力して支援活動にあたっています。クラッシュは日本福音宣教師団(JEMA)や日本福音同盟(JEA)と共に被災地の教会を中心に救援活動を行なうボランティア団体です。地震発生後、OMF宣教師のトンプソン師がボランティアの調整に関わり、後にパイパー師も同じ働きに加わりました。又、OMF日本はこの被災地救援のための基金を設け、献げられた支援金は被災した地元教会や被災者支援の働きに当てられています。
 他方で、青森からもジェント師とエリオット師が被災地の必要と今後どのような支援が必要かを調査するため現地に入りました。又、OMF北海道地区からはマギンティ師ら六人が二台のバンで被災地に入り、エリオット師らと合流して炊き出しを行なうなど被災者支援を行ない、さらにOMF関東からもチームが派遣されました。今後もOMFはクラッシュと協力関係のもと、支援チームを派遣することになるでしょう。
 以下、被災地に入ったマギンティ師からの報告です。

 「釜石港に近い凍てつく道を、一人もの思いにふけり歩くうちに夜が明けてきました。しかしその場の光景は、新たな美しい日の始まりとは余りにかけ離れた、想像を絶するほどに破壊尽くされたものでした。ひっくりかえった車、岸辺に打ち上げられた大きな漁船、ねじ曲がった線路、あたり一面を埋め尽くしている泥とがれきの山‥‥。それらは三月十一日の大地震によって引き起こされ、東北沿岸部の街々を押し流した津波の力をまざまざと物語っていました。かつてその町の人々の生活の一部であったはずのあらゆる物が、今ではがれきの山となって続く中、ある物が私の目にとまりました。それは一枚の古いドーナツ盤レコードでした。そのようなレコードをもう何年も見ていなかった私は、それを手にとって泥をぬぐってみたところ、その曲名が表われてきました―『あの日にかえりたい』。
被災地にて  余りに多くの悲しみの中でただ立ち尽くす私には、一昔前に作られたこの曲は、かつての生活の思い出のかけらを拾い集めようとしている生き残った人々の心の叫びを表わしているように思えました。私たちチーム六人は札幌を出発し、エリオット宣教師とジェント宣教師の助けを得て、被災者が過去の生活を取り戻す手助けができればと被災地に入りました。しかし、余りにも膨大な必要の前に、私達の努力はむなしく思えました。行方不明の愛する者たちが生きて帰って来る可能性はほとんどなく、破壊された財産や家屋の再建は容易ではありません。地域社会の生活は一変してしまいました。それまで人々が持っていた計画や夢は津波によって押し流されてしまい、今目の前にあるのは新たな厳しい現実です。ガソリン、食料、その他必要な生活物資を得るために列を作って待つ日々が、被災者にとっての新たな『日常』となりました。避難所で何百人もの人々と共に硬い木の床の上で眠れぬまま過ごす夜、泥と寒さ、そして頻繁に起こる余震、衛生面の悪化の中、人々は決して帰ることのできないかつての日々へさらに思いをはせています。
 多くのものを失った人々を目の前にすることはとても辛いことですが、さらに心を痛めたのは、津波で最もひどい被害を受けた地域にいかに福音的教会が少ないかということです。私たちチームは数日滞在しながら、がれきの掃除をし、食料不足の人々のため炊き出しをしました。しかし誰が後に残り、飢えた魂を養い、破壊された人生を新たに再建することがおできになる唯一の希望の神のことを人々に知らせるのでしょうか。たとえ被災者の人々がかつての生活を何とか取り戻したとしても、彼らの創り主なる神のもとに立ち帰るという最も危機的必要は満たされないままなのです。神はその民に向かって懇願するように言われました。「わたしのところに帰れ。そうすれば、わたしもあなたがたのところに帰ろう。」(マラキ三・七)この神は過去の日々に帰ることができない日本人に対して、同じことを願っておられるのです。どうか神が今後も私たちを用いて下さり、苦しんでいる人々に助けと希望を届ける者として下さいますように。
被災地にて  一週間千七百キロと四時間のフェリーの旅は終わりました。泥にまみれた服以外に、私たちが被災地から持ち帰ってきたものとして、以下の五つが挙げられます。
 まず私たちは被災地で日本人に対して、より一層の尊敬を感じました。このような大変な被害・損失を受け入れ、共同体として前進しようとする力は、私たちの日常においても大きな模範です。
 二つ目はOMFチームと支援して下さった方への感謝です。スイス人三名、シンガポール人一名、カナダ人一名、アメリカ人一名で緊急現地調査チームが組まれました。各人の賜物は様々でしたが、神は難しい状況下の中でもチームが協力して個々の賜物を活かして活動させて下さいました。被災地を廻る中でも、より大きなチームとして、私たちを祈りと様々な形で支えてくださっている皆様の存在をひしひしと感じていました。
被災地にて  三つ目はクリスチャンたちの惜しみない支援に対する感謝です。海外の多くの諸教会・団体や個人の支援者の皆さんが、聖霊に導かれて多くの義捐金・物資・個々の時間を献げて下さいました。それらは私たちが滞在中に現地の支援に用いられました。そして被災した人々がこれらの物資がどこから来たものか?と問い、私たちがそれに答える中で、支援者の思いは被災者の心に届いたようです。
 四つ目は驚くばかりの神の備え、導きと守りです。警察から高速道路の特別通行許可書が与えられたこと、ケガから守られたこと、困難な状況にあって新たな力と忍耐が与えられたこと、事故なく移動できたこと、毎晩ごとに寝る場所が与えられたことを通して、常に天の父なる神様の御支えを感じさせられました。
 五つ目は教会の働きを見せて頂けたことの感謝です。道中何人かの牧師、幾つかの教会、また団体にお会いしましたが、普段なら協力の障害になりそうな事柄をも乗り越えて、被災地のために共に働こう、と思いを一つにしていました。」

 今回の被災は広範囲にわたり、必要としている活動は多岐にわたります。放射能もれや水質汚染の問題、そして余震も続く中、これらの地域が「安全」とされるまでにはなお多くの時間がかかることでしょう。しかし同時に、物資の輸送網は少しずつ改善されています。OMF日本は引き続き状況を見つめつつ、復興支援に関わっていきます。このような大震災によって、OMF日本は今まで持っていた長期の活動計画や考え方の見直しが必要となることでしょう。しかし今、私たちは何よりも、生活を破壊され心身共に辛い状況にある人々や地域社会に、神がかつてない方法をもって働いて下さるよう祈っています。主よ、来て下さい!


「祈っています」
カンボジア 小川文子

スレイモン姉(前左)、ボンニー姉(前右)と  「日本の兄弟姉妹のために祈っています。この災害で家や仕事を失くされた方々、食料や物資の不足の中にいる方々、また家族を亡くされた方々のことを思い心を痛めています。私も、ポルポトの時の経験があるのでよくわかります…。私の母も子供四人を失い、心を病んでしまったのでした。(ニャックルアン教会ボンニー長老)」「この大変な出来事に接し、日本の皆様へ謹んで哀悼の意とお見舞いを申し上げます。神様が兄弟姉妹の苦しみをやわらげ、なぐさめて下さいますように祈ります。愛を込めて。(同スレイモン姉)」 「主よどうか日本のための私たちの祈りを聞いて下さい。あなたが日本を愛しておられることを知っています。あなたの憐れみは大きいです。どうかあなたを必要としている日本の人々を見て下さい。どうか日本の全ての人々を救って下さい。どうか私たちの祈りに応えて、あなたの大きな御手の中で日本の全ての人を守って下さい…。(以前のホームステイ先で教会学校の先生をしているナロー少年)」
 「神様の恵みと慰めが日本の方々の上にありますように、多くの人が希望と慰めを主イエス様のうちに見出すことができますように、祈っています。この大変な時期の間、何をどう祈ればいいか教えてください。(OMFマー夫妻)」
我が家でくつろぐ若者達。(右からレベッカ、ボンニー、ボラー、ルカ、ドリーナ、ホイ) スレイモン姉   他にも世界中でたくさんの祈りが捧げられています。スリランカからは「毎日テレビを見て日本の状況を知ろうとしています。なんとひどいことでしょうか。私たちをかつて襲ったあの津波を思い出します。祈っています。(アンタ兄)」というメッセージを受け取り、あの時自分が果たしてどれだけ彼らのために祈っただろうかと思わされました。ネヘミヤ、ダニエル、エレミヤの祖国のための嘆きの祈りを初めて心から理解しました。主の尽きない憐れみによりすがりつつ、なお祈っています。
 「わたしの名を呼び求めているわたしの民がみずからへりくだり、祈りをささげ、わたしの顔を慕い求め、その悪い道から立ち返るなら、わたしが親しく天から聞いて、彼らの罪を赦し、彼らの地をいやそう。(歴代誌下七・十四)」

【祈りの課題】
  1.先月祈っていただいた祈り手たちは、4ヶ所の家々に分かれて祈り会を始めました。ここから新しい家の教会が始まっていきますように。各グループに宣教師が1名ついて、リーダーのトレーニングを始めています。他の人たちにも伝えることのできる忠実な方々が起こされ、整えられますように。
  2.試練や変化の中にいる若者達のために。身寄りを亡くし住む場所を探しているボラー、進学の費用がないホイ、スレイナエ、ソピア、ビボルらの進路を主が導いてくださり、 大きな生活の変化の中でも教会から離れず、信仰が守られますように。


「再臨に備え聖化に生きる」
北タイ・ミェン族 有澤達朗、たまみ

富夫兄とスィリナン姉。新婦はラフ族の衣装を着て  三月札幌で宣教第五期への派遣式が行われました。「あえてこの時に」という意味合いが色濃く出ていた派遣でした。デピュテーションでお伺いした宮城県の教会のほぼ全ての牧師先生がたとは連絡がとれ、ご無事であることが分かり感謝しました。
 三月十六日ソウル経由で夜遅くチェンマイに着き、三日後、預け先で整備されていた車を運転して、チェンライ県の我が家に戻りました。一息つく間もなくミェン族教会協議会の運営委員会があり、三月に神学校を卒業した人たちと移動する牧師の人事について話し合い、他へ預けていた懲戒処分中の貴(たかし)兄を引き取り、月末には聖会の奉仕、その直後富夫兄の結婚式での奨励。突然フル回転です。日本にいたのが五〜六年前のことのように感じるのですが、会う人全てから「心配してました」「日本のために祈ってます」と言われ、やはり二週間前まで日本にいたのだと思い直すのを繰り返しています。
 さてミェン族聖会のメイン講師はシンガポールの牧師で、ミェン語への通訳はチェンマイ・ミェン宣教教会のヂェムエン牧師でした。彼は通信制の大学で英語を学んでいましたが、十年前私たちから開拓教会を引き継いだことにより中退。その後独学を続け、外国から短期宣教チームが来るたびに通訳を引き受けて経験を積みました。今回三晩の長い講解説教を通訳するのは初めての経験でしたが見事にやり遂げました。私は安心して推薦していたのですが、同僚のミェン族の牧師たちは説教の内容から多くの恵みを頂くと同時に、通訳のすばらしさに驚いていました。
 このような人材、つまり他にも就職先がありそうな能力を持っていながら、あえて貧しいミェン族教会に謙遜に仕えるミェン族青年が続出するようお祈りください。(達朗)
 東北関東大震災の被災地の皆様に一日も早い復興と慰めと励ましがありますようにと祈りつつ、チェンマイへ到着した。会う人達皆から、お見舞いのことばをいただく。国民の間では官民共に日本のための募金活動が行われている。同僚達に会い、ミェンの人たちに会ったとたん、「あぁ、我家に帰ってきたんだなぁ。」と素直に思った。
 三月十九日にチェンライ県メーチャン町の我家へ。洪水で膝上まで浸かっていたとは思えないほどきれいに掃除されていた。ミェン族奇跡寮の子供達とミェン族キリスト者青年会の役員達が掃除しておいてくれた。嬉しかった。
 三月二十三日、午後九時。地震だ。十一日札幌で感じた揺れと同じくらいの強さと長さの地震が起きた。震源地はミャンマーの東北部でマグニチュード六・九。
 ミェン族聖会の主題はキリストの再臨だった。これはニュージーランド、日本、ミャンマーで地震が起きる前に運営委員会が決めた主題だ。御言葉に聞き入る参加者の態度は真剣だった。再臨に備えて聖化に生きるミェン族教会となるように祈る。(たまみ)

  【祈りの課題】
  1.貴兄を研究助手にして、聖書用ミェン語−タイ語辞書の編纂の初期作業を初めました。地道な作業ですが、精力的に、正確に行うことができますようにお祈りください。
  2.5月10〜12日バンコクの言語学学会でミェン語の談話構造についての論文を発表します。ミェン族とミェン語を愛する研究であることが他の研究者たちに伝わりますように。


「ピリ村再訪」
日本 佐味湖幸

アガペー子供開発センター第7回卒園式  第七回アガペー子供開発センターの卒園式に是非来てほしいと招待され、三月末フィリピン、ピリ村を訪問し、式で初代の園長として挨拶をした。ピリ村での貧しい家庭の子供たちのための給食付き幼稚園のヴィジョンが私に個人的に与えられてから丸十年。実際に働きが始まって丸七年が経ったことになる。主の導きと守りを心から感謝した。当日、白い四角帽に白いマントを着た卒園児十二名(実際は十四名だが二人は病気と用事で欠席)は少しはにかみながら、しかし嬉しそうに式を迎えた。この日のために練習してきた賛美や踊りそして暗証聖句、先生と両親に対する挨拶もちゃんと出来た。神様のことを忘れずに大きくなってほしいと祈らされた。
 この幼稚園はピリ聖書教会のクロスステッチ・プロジェクトによって運営されているが、このプロジェクトから最近、ピリ村の海辺にあるアプラーヤ地区で給食付きの教会学校が始められた。この地区はピリ村でも一番貧しい地区で子供がたくさんいる。土曜日朝八時。七、八十人の子供たちが食器とスプーンをもって集まっていた。ジェイマール牧師が聖書のお話とお祈りをしてから、給食のマカロニスープをいただいていた。多くの家庭の子供たちは、朝ご飯を食べずにいるので、これが彼らの朝食兼昼食になるようだ。
アプラーヤ地区の給食付き教会学校 卒園式であいさつ  今回の訪問でフィリピンの物価がものすごく上がっているのに驚いた。米などは私が住んでいた七年前の一・五倍だ。貧困の問題はまったく解決することがないように見える。しかし、首都マニラにはアジアで一番の敷地面積を誇るショッピングモールが出来ていた。大きなギャップ。
 ピリ聖書教会とピリ・プロジェクトから、東日本大震災への義捐金を預かってきた。「私たちの教会は日本の皆さんに本当に助けていただきました。私たちに出来ることを、小さくて申し訳ありませんが、祈りを込めてお捧げします」と、ジェイマール牧師。貧しさの中の豊かさがそこにはあった。主に感謝。

アプラーヤ地区の子供たち 【祈りの課題】
1.5月1日から8日まで、山口、北九州市、福岡市の幾つかの教会を訪問させていただきます。宣教のビジョンが分かち合われ、よい交わりの時となるように。
2.5月は教会訪問、各集会など特別に忙しい月です。健康が守られ、主の栄光が現される奉仕をすることが出来るように。

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