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2008年11月号  page1  page2


「ネヘミヤが神に捧げたもの (「宣教の夕べ」のメッセージより) −前篇−」
OMF総裁 P.フン師 (通訳、牧野直之師)

宣教の夕べにて。OMF総裁のパトリック・フン師と元OMF総主事で通訳の牧野直之師  数ヶ月前に私たちは別のOMFのリーダーの就任式に出席しました。集会の後で、共に出席していた私の十歳の息子はこう言いました。「わぁ、これってまるで結婚式に出ているみたいだね!」息子には新しいリーダーとなった夫妻がまるで美しい王子と王妃のように見えたのです。皆さんは今晩、菅家師夫妻をそのように見ておられるのではないでしょうか。後で息子が言ったことを考えてみましたが、確かに神にある喜びがこの新しく就任した夫妻を美しく輝かせていたのです。今晩は菅家夫妻にとってもとても大切な日です。
 今から三十一年前、一九七七年は私にとっても、二つの意味で大きな年でした。大学の医学部で学び始めた年であり、クリスチャンになった年でもありました。今ふりかえってみて、その後の三十一年間に与えられた神様の恵みに心から感謝しています。医学部三年生の時、私は聖書研究会に集っていました。その日の集会には特別な講師が出席していました。内容はよく覚えていませんが、そのテーマは「卒業生はどこにいるのか?」でした。学生たちは在学中は信仰に熱心でも、卒業してしまうとその熱心さが消えてなくなってしまうという趣旨の話でした。その晩、めずらしくも眠れなかった私は、寝返りを打ち続けていましたが、ついに午前三時に膝まづいて神に祈り始めました。まだクリスチャンになって二年にもならない私に、主はこのようにチャレンジされたのです。「まず、あなたの人生をわたしにゆだねなさい、それから、あなたの才能、能力を使いなさい。」才能や能力が先ではありません。人生・いのちが先なのです。
 ネヘミヤ記一章からお分かちしたいと思いますが、私が受けた第一のチャレンジは、ネヘミヤは自分の才能・能力だけではなく、まず彼の人生・いのちを神にささげたということです。ネヘミヤ記の一章、二章の初めを通して、彼が神に何をささげたのかを学びたいと思います。
 一章の最後にネヘミヤは「私はペルシャ王の検酌官であった」と書かれていますが、これは大変重要な地位でした。多少の危険がありますが、よい地位でした。ペルシャの宮殿に住み、アルシャスタ王に仕えていた彼のもとにエルサレムから親戚や友人が訪ねてきました。興味深いことに、一章を見ると彼の人生を百八十度変えるようなことが起こったことがわかります。それはネヘミヤの質問から始まりました。彼はエルサレムの状況について深く関心を持ち、本当に心配し、それがどうなったかを知りたいと願いました。私は今晩、皆さんが本当にこの東アジアの国々の人々に対する深い思いやり、そして心配を持つことを願っています。
 ネヘミヤはエルサレムの城壁はくずされ、その門は火で焼き払われたままだと聞きました。二十億の人々が東アジアにいますが、今年に入って大きな自然災害により多くの家が壊されました。しかしそれ以上に重大なのは、この二十億以上の人々の殆どが福音を聞いていないということです。
 今晩ネヘミヤ一章から私が教えられた五つのことをお分かちしたいと思います。何をネヘミヤは神にささげたのでしょうか?
 四節にあるように、彼は「座って、泣き、喪に服し、断食して、天の神に祈った」とあります。彼が最初に神にささげたのは、彼の才能・能力ではありません。彼が初めに神様の前にしたことは、御前で喪に服し、崩れ泣いたということです。本当に悲しんでくずれおちたということです。座って泣いて喪に服して、断食して祈ったのです。これらは通常の日常生活ですることではありません。私たちは宣教集会に出席すると、話を普通に聞いて、帰るかもしれません。しかしネヘミヤにとってこのニュースを聞いたことは、普通のことではなかったのです。彼は心の奥底から本当に心配し、崩れ落ちたのです。それは愛国心から出たことだったのでしょうか?一章五節には、恐るべき神と書いてあります。ネヘミヤの応答は、神様を恐れ敬う心から出ているのです。まず私たちは神様に「へりくだった砕かれた心、神様を畏れる心を与えてください」、と祈るべきではないでしょうか。砕かれた心を神様にささげるべきではないでしょうか。神様を知らない、福音を聞いたことのない人々を私たちが見る時、私たちの心は本当に痛みを覚えるでしょうか、そういうことがあってはならない、という思いがあるでしょうか?
 バンコクからシンガポールに戻る機上でのことでしたが、私の隣に座った人は台湾からの人でした。彼がバンコクに行った目的はただ一つ、大きな四面仏像を買うことでした。四時間というもの、彼は食事もできずに、ずっとそれを両手に抱えこんでいたのです。なぜそんなことをしていたのでしょうか?彼には仏像のお守り、加護が必要だったのです。使徒十七章で、パウロがアテネの町で多くの偶像を目にした時のことを覚えておられるでしょうか?彼は本当に心が落ち込み、憤りを感じたのです。本当に悲しく思い、心の置き所がないほどに心が騒いだのです。OMFは中国奥地伝道団から始まって、百四十年間伝道を続けてきました。その創始者ハドソン・テーラーは七年中国で伝道し、イギリスに戻りましたが、彼は中国での救霊の必要を見て、心がさわぎ、一八六五年に「中国の霊的必要と要求」という本を著しました。その中でテーラーは中国の人口はヨーロッパの全人口よりも多いのだと訴え、そして最後に、「このような事実を、自分の心が動かされないままに受けてはならない。あなたは神の御国のために何をすべきかと、自問しなければいけない」、とチャレンジしました。今晩、皆さんがどのような立場・職業をお持ちであっても、ここでもう一度神の御前で、東アジアの救われていない人のことを本当に心にとめて、真剣に神様の前に同じように問いかけていただきたいのです。ネヘミヤが神の前にまずささげたものは砕かれた心でした。
 二つ目にネヘミヤがささげたものは祈りです。「私たち」が犯した罪を告白します、と彼は祈りました。どうして「私たち」なのでしょうか?百五十年前の罪でありながら、自分とイスラエルを同一視していたのです。アジアの各国の霊的な必要は私たちの責任なのです。
 私はかつて妻と子供たちと共に、パキスタンで七年間働きました。赴任して一年後に母教会から一夫妻が新婚旅行をパキスタンに選んで、私たちを訪ねて来てくれました。彼らが帰る前に何か助言があれば教えてほしいと頼みました。彼の答えは「パトリック、君はよく家族と君自身のことを『僕たち』、パキスタン人のことを『彼ら』という言い方をしているけれど、次回会う時には『私たち』という言葉だけ使っていてほしいと思うよ。」現地の人と自分を同一化して考えるよい表現ではないでしょうか。日本でもカンボジアでも中国であってもどこの宣教地であっても、現地の人たちを含めた「私たち」という態度が必要なのです。
 もう一つネヘミヤの祈りから教えられたことは、彼は神に全幅の信頼を置いて、神がその目的をなしとげられると信じていたことです。九節にあるようにネヘミヤは、神はイスラエル人がどんなに遠いところに散らされていても彼らを集め、連れ戻してくださると確信していたのです。東アジアの宣教を考えるときに本当に難しく、困難なことが多いのです。中国の八百万人のアルコール中毒の人々にどうやって福音を伝えたらよいのでしょうか?ラオス、ベトナム、北朝鮮といった宣教の門が閉ざされている国にどのように福音を伝えたらよいのでしょうか?神様の約束にしたがってネヘミヤは信仰をもって祈りました。日本のクリスチャンたちもまた、東アジア諸国において神様が霊的な突破口を開いてくださることを信じて、祈るグループを作り、熱心に祈ることを願ってやみません。私は牧師先生、教職者の皆さん、宣教の担当の方々に、宣教のために祈るグループを作って祈っていただきたいと願うのです。 (次号に続く)


「伝道の秋」
日本 木下理恵子

 「ある中国人の人、日本人と結婚して、この近くに住んでいるの。でもね、全然うれしそうじゃないんだよね。あの人絶対幸せじゃないと思う。最近あんまり会わなくなったんだけど。」「伝道?お客さんに証し始めると、あんた頭がおかしくなったって言われる。それで店にキリスト教の本とかトラクトとか置いて、読みたい人だけ持っていけるようにしてあるの。」最近の中国語集会での一コマです。テーマは伝道。既にクリスチャンの人たちは、伝道の意欲があります。今一人三分間の救いの証を準備してもらっている所で、次回の集会で一人ずつ証をしてもらう事になっています。そして実生活でも誰かにその証をする機会が与えられるように一緒に祈っています。
 上記の最初の感想の人は、お祈り頂いているカンボジア系の姉妹。まだ受洗はしていませんが、確実に成長しています。自分の証が準備でき、またあのうれしそうじゃない中国人女性に会って証をしたい、集会に誘いたいと祈っています。二番目の感想はご主人が召され、一人で子供二人育てている姉妹。既に自分で出来る伝道をしておられます。彼女も他の姉妹も皆、証を聞いてくれる人が与えられるように祈っています。
 クリスマスに向けても、新しい人に来てもらいたい、自分たちも誘って来られる様にと祈りつつの準備です。どうぞクリスチャンたちが具体的に伝道でき、励まされるよう、また実際に彼女たちを通して新しい方が集会に来られるようにお祈り下さると感謝です。
 更に今年のクリスマス集会、どの様にするかも祈りつつ話し合っています。主が望まれる集会を計画できるようにもお祈り下さい。
 台湾の活水泉の方は、長年活水泉があることをご近所の方々が受け入れて下さっていましたが、最近反対が出てきています。自分たちで場所を買ってはと言う意見がOMFからも出ています。呉師にとっては大きなチャレンジです。はっきりとした導きと主よりの助け、力が呉師に与えられます様に。
 またテラ師は今オランダで三ヶ月の帰国巡回中。新しい萬華の女性対象の働きも、台湾人の同労者たちが続けています。テラ師が良き巡回報告の時が与えられるよう、また女性たちの間での働きが守られ進められるようお祈り下さい。
 いつもお祈り、本当にどうもありがとうございます。皆様の上に主の豊かな祝福をお祈りします。

【祈りの課題】
1. 台湾活水泉でご近所の反対があります。活水泉として場所を買うべきかどうか、主のはっきりとした導きが与えられるように。難しい状況に直面している呉師に上よりの助け、知恵、力、励ましがあるように。テラ師のオランダでの宣教報告が祝されるように。留守中の台湾での奉仕が守られ、祝されるように。
2. 中国語集会に集っている姉妹方の伝道の意欲を感謝。それぞれに証が出来、聞いてくれる人が与えられるように。姉妹方を通して新しい人が集会に来るように。またクリスマス集会の計画と準備が主によって導かれるように。


「マニラ日本語キリスト教会」
日本 ディアスポラ伝道 横山好江

春に行われた洗礼式(文中の洗礼式ではありません)  標題の教会で奉仕しているジューン・グリフィス師の、夏のニュースレターをお届けします。フィリピンの首都マニラ在住の日本人の間に進められている主の御業のために、お祈りいただけると幸いです。
 『マニラの或る刑務所には受刑者が一万二千人います。厳重なチェックと高い塀を越えると、あたかも小さな町に入ったようです。男達が物品を売買しています。スポーツ器具があり、大音量の音楽が流れています。そして教会が幾つかあります。そのうち二つは聖書教会。神学校もあり、受刑者は神学修士など外部の学位を習得することができます。受刑者は鍵がかかった部屋に入っているわけではなく、自由に動けて、八十〜百人収容できる寮に暮らしています。すべてが驚きです。
 日本人受刑者Tさんの洗礼式は大変特別な時でした。フィリピン人十人と共に、彼は受洗しました。サンライト・ミニストリーズが簡易洗礼漕を用いて洗礼式を行ない、MJCCの者達が日本語通訳しました。Tさんが六年前に刑務所に入った時、彼は落胆しており、出所したら必ず復讐すると言っていました。二〇〇〇年十一月にミッション・バラバがそこを訪れました。その際に残してきた日本語新約聖書を、Tさんは手にしました。「父よ彼らをお赦し下さい、彼らは何をしているのか分からないのです」というイエス様の言葉に、彼は衝撃を受けました。日本語情報誌に載っていたMJCCの案内を見て私達に手紙をくれました。そこから私達は彼を訪問し始めました。何と素晴らしい神様の導きでしょう!刑務所に入っている他の日本人六人は、洗礼式に来ませんでした。どうぞTさんの証しの生活のためにお祈り下さい。そしてこの六人が月一回の聖書の学びに来られるように。Tさんの刑期は十五年です。仮釈放を申請しています。それが叶うように、私達と一緒に祈って下さい。フィリピン南部に住んでいる夫人に私は電話し、彼の証しを送りました。夫人のためにもお祈り下さい。
春に行われた洗礼式(文中の洗礼式ではありません)  以前MJCCに来ていたKさんは、何年かフィリピン南部に移り住みました。結核に再度襲われ、マニラに戻って来ました。六十五才ですがグッと老け込んでしまいました。ビザを更新するお金がなく、不法滞在を続けています。罰金を払うお金もありません。私達は日本大使館からアドバイスを受けたりして、何とかお助けしようとしています。結核の薬を飲んでおり、感染の恐れがあるので教会に来られません。教会の兄弟達が訪問しています。(その後、薬が効いて教会に来られるようになりました。感謝。)
 教会を離れている元暴力団員のHさんは、アルコール依存症のため体調を崩しています。検査によると肝臓がかなり弱っており、脚が三倍にもむくんでいます。私が会った時、「アルコールはここ数日飲んでいない、もう二度と飲まない、主の許に帰りたい」と言っていました。兄弟達はHさんのために熱心に祈り、訪問しています。入院しないといけないのですが、そのお金はありません。肝臓専門のクリニックに行って点滴を受けられるようにと、私達は願っています。(その後治療を受け、体調は少し改善しています。)』

【祈りの課題】
1. この7月に、マニラの刑務所で受洗したTさん(服役中)の証しの生活のために。この刑務所には12000人の囚人がいます(うち日本人が6人)。マニラ日本語教会関係者がTさんを訪問しています。この奉仕が祝され用いられるように。
2. 11月8日(土)午後2〜4時、欧州日本人伝道宣教祈祷会が、キリスト教朝顔教会(東京)にて行われます(主催:在欧日本人宣教会)。呼掛人、横山基生師(在欧日本人宣教会・主事)が、御心に沿ってこの祈祷会を導くことができ、主に集められた兄姉によって、主に喜ばれる祈りが捧げられるようお祈り下さい。


「さあ、共に再建しよう」
日本 菅家庄一郎、容子

就任式で按手の祈りを受けて  九月二十六日にOMF主催の世界宣教の夕べがインマヌエル教団・中目黒キリスト教会にて開かれました。百十名前後の皆様が集ってくださいました。OMF総裁のパトリック・フン師がネヘミヤ記から宣教についてチャレンジしてくださいました。今村師、佐味師も証をしてくださいました。また、私たちのためにも、就任式として多くの先生方が按手の祈りをしてくださいました。四月より、すでに総主事として働く中で、自分たちの足らなさを痛感して過ごしていましたが、今回の就任式で改めて「このことは主から出たことだ」と思えるようになりました。ありのままの自分たちを主にささげ、主に用いていただきたいと願っています。どうか続いてお祈りください。OMFの素晴らしいところは、最前線で宣教する者、国際本部で仕事をする者、母国で宣教師のために会計を担当する者、OMF祈り会に集まり祈る者、献金を捧げる者、など様々な人々が協力して主の業に関わっていることです。それぞれが与えられた任務を全うすることによって主の業が進みます。ネヘミヤ記には、エルサレムの城壁再建に関わった人々のリストや人数が出てきます。その一人一人がそれぞれの立場にあって主に献身した結果、城壁が再建されました。宣教の働きは一人ではできません。あなたもこの東アジア人宣教という「城壁再建」に私たちと一緒に関わりませんか?(庄一郎)
 九月は、カンボジアで共に宣教に預かった二人の仲間が天に召されました。四日、アリス師は、ラオス、タイ、カンボジアで四十七年にわたって忠実な奉仕を全うしイギリスで召されました。十四日、十七歳のアンドリュー・プラック君が、一ヶ月にわたる昏睡状態から目覚めることなく天に召されました。お母さんのスーザンさんが彼を目覚めさせることが出来ず、急遽バンコクに運ばれたのは、ご両親と共に新しい宣教地に移って三週間経つかたたないうちでした。(宣教ニュース八月号の一面にプラック一家の証が載っています。)アリス師の生涯と、彼女から受けた恵みを思い返し、またアンドリュー君の突然の死を思い、彼の家族とカンボジアチームのため祈らされました。そして、私たちの命は、時は主の御手にあることを改めて覚えました。働きが許されている今、感謝と畏れをもって主の業に預かりたいと祈らされています。
 二十一日には、大野キリスト教会に家族で行き、私は子供礼拝で奉仕させていただきました。カンボジアの地図を作り色々調べ、良く準備されているのが心に残りました。元気いっぱい応答しながら聞いてくれた子供たちの心に神様が働き、導いてくださるようにと祈りました。
 二十六日の就任式で、多くの先生方から手を置いて祈られていたとき、私の心には主の召しへの畏れと感謝があふれ、また主のお心とその導きの不思議さへの驚きが湧いてきました。共におられる主に目を注いで、委ねられた務めにふさわしく歩めますようお祈りください。(容子)

【祈りの課題】
1. 11月1日、名古屋で初めてのOMF宣教祈祷会がもたれる予定です。宣教に重荷のある方が集められ、これからもこの祈祷会が導かれ用いられますように。
2. 11月30日、菅家師一家は、沼津シオンキリスト教会で奉仕されます。主が奉仕を祝福してくださるように。

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