2008年5月号
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「人知を越えて祝される御方に栄光あれ!」
日本 横山基生、好江
主の支えと多くの方々の祈りの中で、二年間の総主事代行の務めを全うできたことを心から感謝いたします。四月から私は東京新生教会の主任牧師として歩み始めました。八九年に日本での牧会伝道の働きから退き、英国での留学ため日本を出発して十九年後に、再びその働きに戻ることになりました。自らの計画では四〜五年で戻る予定でした。
八九年に英国へ向けて日本を発った時の心境は「荒野での訓練を受ける」というものでした。自分が属する教会グループの分裂という悲しい事態に自分の信仰も振るわれました。海外に信仰の活路を見出すべく静かに脱出したような状況でした。未熟な信仰の私を、主は様々な学びと経験と出会いの内に励まし育てて下さいました。英国での学びを終える頃には、英国人クリスチャンによる日本人伝道を、日本の教会に結びつける働きを担いたいと願う程に霊的に力づけられ、新しいビジョンが与えられました。その結果として、在英日本人宣教の働きを多くの牧師先生・信徒の方々の協力の下でスタートすることとなり、それが欧州全体に広がる働きへと発展してゆきました。
海外での学びと、宣教に関わる中で、親の信仰ないし先輩の信仰に依存する信仰から自立した信仰へと成長させていただいたことを覚えます。牧師の子として生まれ、教会の交わりの中で育てられた私にとって、信仰は極自然なものでしたが、振るわれやすく自分自身のものになっていない部分があったことを覚えます。
在欧日本人宣教会は小さな宣教団体ですし、派遣されている宣教師も私たち二人だけだったので、宣教師としての訓練ということでは、ほとんど独学という域でしかありませんでした。主はこのような私たちに、素晴らしい導きを与えて下さいました。まさに、OMFインターナショナルという長い歴史のある大きな宣教団に加えて下さったのです。それも、ビザが延長できないという大きな危機的な困難を通して、私たちの意志を越えて導いて下さいました。最初はこのような大きな団体に入って、いったいどうなるのだろうかと思った訳ですが、主の備えて下さった素晴らしい恵みをいっぱいいただきました。OMFが持っている素晴らしい霊的資産、知的豊かさ、組織的力強さを、味わい養われました。本当に感謝です。
四〜五年ではなく、十九年間の訓練をもって整えられて、日本での牧会伝道に再び従事できる恵みを心から主に感謝します。今後も、引き続き日本委員会の委員としてOMFに関わらせていただきます。また、在欧日本人宣教会の働きを、主事という立場をいただきつつ進めることになっています。
今までお祈りと具体的なご支援をもって支え続けて下さった多くの皆さん、本当にありがとうございました。主の祝福がさらに豊かに注がれ続けますように。(基生)
「苦汁と欠乏の中で貧しくさすらったときのことを決して忘れず、覚えているからこそ、わたしの魂は沈み込んでいても再び心を励まし、なお待ち望む。主の慈しみは決して絶えない。主の憐れみは決して尽きない。それは朝ごとに新たになる。『あなたの真実はそれほど深い。…」哀歌三・一九〜二三(新共同訳)
この二年間を振り返る時、エレミヤの言葉が重なります。さかのぼって二〇〇〇年に、英国での邦人伝道に戻るためのビザが与えられず、日本に留められた二年八ヵ月。主の導きが分からない、主ご自身さえも見えなくなりそうな苦渋の時に、英国OMFが、OMF日本委員会が助けの手を伸べて下さり、裁判で英国入国審査官の言い分が完全に覆され、OMFの働き人としてケンブリッジの地に立つことができました。私達の代理人として裁判に出たのは、インドネシアで奉仕した経験がある、英国東地区ディレクターであったポーター師。英国OMFの交わりでは、宣教地から戻り母国英国で奉仕している宣教師仲間が、自分の試練を分かち合って励ましてくれました。インドネシアが政情不安となり家族で緊急脱出した方。CIM時代から忠実に仕えてきた独身女性宣教師。皆、主のご真実を証ししてくれました。ケンブリッジでの奉仕も、主のご真実そのものの三年半でした。そこで救われた方や受洗した方、イギリス各地で信徒として忠実に奉仕した兄姉と、日本でも交わりを続け、主のご真実を味わわせていただいています。
総主事代行をやってもらえないかと打診を受けた時から「私達のような者にできるのだろうか」と思っていましたが、二度目の要請を受けて祈り、主の導きと信じてお受けしました。「出来ることをさせていただく」と全力を傾けた夫、日本語環境に戻り水を得た魚のように奉仕する夫の横で、逆カルチャー・ショックの喪失、母を失った喪失を通りました。奉仕の中で求められるものは内にはないことを何度も知らされ、祈り求めました。「出来ることをさせていただく」という夫の姿勢に教えられ、受肉され・受難され・贖いの業を成就されたイエス様に重荷をおろし、教えられ、負いやすい主のくびきを負うことを学ばされた日々でした。宣教の主がOMFを通して進めておられる御自身の御業を東アジア各地で見せていただき、それぞれの地で献身して奉仕している宣教師たちと良き交わりをいただいて教えられました。カメロン・ハイランズで全員集合の恵みをいただきました。日本における宣教への動員という務めに心躍らされて励みました。ミッション・トリップに一緒に行った方々、「東アジアへの宣教に関心がある」ということでお会いした方々、東アジア宣教のために祈り支えてくださる方々、その輪に加わりつつある方々。宣教の主は生きて働いておられます。その主の業を担えることは喜びであり特権です。主は二年間という期間、これを経験させてくださいました。これからは牧師夫人という立場でこの経験を生かしてくださることでしょう。OMF日本委員会・ディアスポラ伝道担当主事という形で続ける奉仕においても、また日本委員会の一委員という立場でもさらに導いてくださることでしょう。
昨年の春は「母は居ないのに春はやってきた」という思いだったのが、満開の桜を心から喜び楽しみながら、御国で絶えることなく満開の花々を楽しんでいるだろう母を思い、薄いピンクの背景となっている青空のごとく心も魂も晴れやかに、新しい地・新しい住まい・新しい務めに歩んでいます。自分の引越と、しばらく続く片付け・整理に加えて、売却を望む実家の片付けで父を手伝う中、心身支えられているのも、祈って下さる方があり、主がそれに答えて下さっているからと日々感謝を捧げています。皆様のお祈り・お支えを心より感謝いたします。宣教の主が豊かにお報い下さいますように。それぞれの祈りの友に、ご家庭に、教会に、御自身の平安と恵みをもって豊かに祝福してくださいますようにお祈りいたします。これからも続けて祈らせていただきます。(好江)
【祈りの課題】
1.横山基生・好江宣教師は在欧日本人宣教会からOMFに出向して奉仕してきました。在欧日本人宣教会の総会が5月10日に開かれます。横山師夫妻が宣教師の立場を終え、新しい形でこの会の働きに関わります。新しいビジョンの下、豊かな再出発となるようお祈り下さい。
2.横山基生師が東京新生教会の主任牧師となる就任式が5月18日にもたれます。東久留米市・清瀬市・新座市にある諸教会の交わりの中にあって、豊かなスタートとなるように。教会の新しいスタートが祝されるように。
「互いにつながり合って」
OMFシンガポール国際本部 人事・IT部門担当 ジョン・ワッツ師
メイメイ姉の家族はインドシナ半島の緑豊かな谷間で持っていたもの全てを捨てて脱出しなければなりませんでした。平和な村を戦火が襲い、メイメイ姉の家族は当時幼かった彼女を抱いて、難民キャンプへと危険な道をたどりました。難民キャンプでは一人の外国人に出会い、彼から変わった話を聞きました。それは一度死に、またよみがえった神の話でした。やがてメイメイ姉の叔父はその話を信じ、その話を兄弟の家族にも伝えました。今日、メイメイ姉は今もその外国人に感謝しています。彼の影響を受けて、彼女はOMFの働き人となり、未伝の地に福音を伝えに行こうと決心したのです。
彼のような、忠実に神に仕えていたクリスチャンの働き人は、自分一人だけの力で仕えたわけではありません。その背後には彼を愛し、祈り、経済的に支え続けた人たちがいたのです。宣教において遣わす人々と遣わされる人というパートナーシップは欠かせません。
しかし、そのパートナーシップの中には、よく忘れられがちな三番目の人々がいます。宣教団体の中で、送り出された人と送り出す人々を助けるスタッフたちです。なぜ私がこのような人々のことを知っているのか。実は私がその中の一人だからです。
私にとって宣教に至る旅は、一九九八年に休暇で中国を訪れた時に始まりました。振り返ってみると、私は人生をただ過ぎ行くままに生きていて、クリスチャンとして生きていなかったと思いました。そして私はこう祈りました。「信仰に根ざした人生を生きたいのです。どのようにしたらよいか示してくれる人々に出会わせて下さい。」
神は私の祈りに応えて、ニューヨークとロンドンでそのようなクリスチャン達に会わせて下さいました。そして企画運営の専門家および人事関係IT担当者になるように導いて下さいました。後日、ITチームを立て上げるためにシンガポールへ移った時、OMF関係の人々と知り合いました。そしてOMFの国際人事システム(IPS)の仕事の話が来たのです。その頃私は既に投資銀行の技術部門で、国際的な人事と財務を十一年担当し、成功を収めていました。ここで葛藤が始まりました。何だってまた、企業の専門家が宣教団体に入ろうとするのか?現実からの逃避じゃないだろうか?職場にも霊的に飢え乾いている人がいるのでないか?
結局、チームを支え、チームに仕えるという私の専門分野は、OMFの中で活かせるという判断に至りました。そして「IPS―人々をつなぐ」というプロジェクトを担当することを承諾しました。OMFでは東アジアでさらに多くの人々が神の栄光を讃えることを願いつつ、そのために二〇一一年までに新たに九百人の働き人が加わるよう目指しています。と同時に、これに必要なシステムも確立しなければなりません。
OMFはIT分野において「熱意があり、高度な技術を持つ働き人」を探すことに苦労しています。以前からITには余り戦略的に投資がされておらず、現行のシステムは改善する必要があります。そのためOMFがITを通して、以下のようなことができるように願っています。
現状を理解する
働き人をケアするためには個人個人の最新の情報が必要です。団体の中で小さなデータベースが散らばって存在することは、同じデータを異なった場所にインプットすることになります。又、それぞれのデータベースに入っている情報が異なっていれば混乱してしまい、これらは時間の浪費になります。宣教師子弟たちや彼らに必要な教育についての情報が古いものになっていると、子供達の人数と、子供達のために働くことのできる人々の数の間に大きなギャップができてしまいます。
これからの発展のために
働き人に与えられる神からの召命、およびOMFへの導きを見極めるために、私達は多大な時間と力を費やします。現在、私達は一人の宣教師候補者のために、彼らへの祈りと話し合いの時以外の、事務関係の仕事のために約二十時間をかけています。IPSはこの事務的な時間を効率化し、今後の人数的な成長にも効率的に対応し人々と直接接する時間を増やすことを目指しています。
働き人の育成
訓練やインフォーマルな実施研修を通して、OMFが持つ豊かな遺産を、新しいOMFメンバーに確かに伝えていきたいと願っています。働き人が増える時期にはこのことは特に大切です。現在、五人からなるチームが毎年何ヶ月かかけて各国を訪れ、OMFメンバーの訓練をしています。オンラインの教材を使えばこの訓練も又、より速く、より経済的に行なうことができるでしょう。
皆さんのお祈りとお支えをお願いします。この「IPS―人々をつなぐ」というプロジェクトを成功させるためには、チームは知恵とスタミナと様々な助けを必要としています。このプロジェクトによって、専門職およびビジネスのノウハウが宣教を強化します。このプロジェクトは私たちがもっとお互いにつながり合い、もっとよい働きができるためのものです。
難民キャンプで仕える人々もいるかもしれません。又は村々で、あるいは都市部で仕える人々もいるでしょう。外科医として、教壇に立って、あるいはITチームとして働く人もいるでしょう。しかし、主イエスを知り、又主を人々に伝える熱い思いをもって、それぞれがこれからも仕えていくのです。
「市川市民になります!」
シンガポール 菅家庄一郎、容子
三月二十日、シンガポールから成田空港に家族で到着しました。十年以上にわたるカンボジア宣教のためのお祈りを本当にありがとうございました。四月よりOMF市川の事務所で総主事としての働きを開始します。さて、三月三日、私達の派遣教会である名古屋一麦教会牧師、松原向師が九十五歳でその生涯を閉じられました。一九四一年、向師の夫であった松原和人師によってこの教会は始められました。和人師はたいへん活動的な伝道者でありましたので、夫人である向師は主に家事を中心に教会の働きを支えておられたようですが、ご主人の死後、ご自分が牧師として召されていると確信し、牧師として立たれました。私は個人的に、二つのことを松原師から深く教えられました。一つは、「祈りの姿勢」です。早天祈祷会はもちろんのこと、祈りが先生の生活の中心にありました。ご自分で問題に判断下す前に、主にそれをもちだし、主を待ち望むこと、これが松原師の方法でした。また、もう一つは「寛大さ」ということです。一麦教会は、松原師の指導により、一麦の群れの教会だけではなく、他の多くの教会・団体・牧師を経済的・霊的に助けてこられた事が前夜式、葬儀の際に証されました。ともすると内向きになりやすい教会が、常に他の教会のために祈り・捧げるようになったのは松原師の精神が反映されています。一麦教会に、ふさわしい後継者が与えられるようにお祈りくださると幸いです。(庄一郎)
市川の宣教師館に落ち着き、このニュースレターを書いています。きれいで、住みやすい新しいお家に子供たちは大喜びです。シンガポールの家だったDTCの部屋をたたみ、派遣国責任者の会議に出るためOMF本部に移動したのは、子供たちの学校の終業式の日でした。日本人教会の友人たちや芽生の友人のお母さんたちが、交代に子供たちを見て下さり、一週間に渡る会議にもゆっくり参加できました。派遣国責任者の多くは、宣教師経験者です。あちこちでインドネシア語、タイ語、日本語の会話が聞こえてきます。この会議では、この働きを引退される五人の方々の送別の時も持たれました。一人ひとり最後に残す一言を分かち合ってくださいました。「仕事より、人を優先させること」「共に働くチームを作りなさい」「問題をあまりにも深刻に受け止めないように」「宣教の情熱を失わないように」大先輩の兄姉たちからにじみ出る謙遜と敬虔、思慮深さに接しながら、このような方々と共に働ける特権を覚え、恐れ多く感じました。自分たちの未熟さを感じずにはいられませんが、召した下さった主のご真実に信頼し、皆さんから教えられて新しい働きを学び取っていきたいと思っています。お祈りを感謝しつつ。(容子)
【祈りの課題】
1.菅家師一家が市川市での生活に慣れ、総主事としての仕事を学んでいくことができますように。横山師夫妻との引継ぎが順調にいきますように。いいかげんになりやすい日本語を正しく用いることができるようにお祈りください。
2.名古屋一麦教会にふさわしい後継者が導かれますようにお祈りください。
「ミェン語聖書奉献礼拝」
北タイ・ミェン族 有澤達朗、たまみ
「ですから、私たちは勇気を失いません」。「このみことばに支えられて翻訳を続けることができました」とグエイフォン長老は証言した。
この教会長老とバージェス師が翻訳に費やした年月は二十八年。新約第一版に着手したE・コックス師から数えて五十年目に旧新約の完成を見た。
グエイフォンは何度辞めようと思ったことか。特に『レビ記』の翻訳のときには辞めると決心していた。来る日も来る日も動物の犠牲ばかり。「今日で辞める」とバージェス師に言って立ち去った。
主は『レビ記』から彼に語られた。翌日、グエイフォンはバージェス師のところへ戻って言った。「どんなことがあっても翻訳を続けなければならない。キリストがただ一度だけ生け贄となって死なれたから、ミェン族はもはやレビ記のような捧げ物をしなくていいのだ。ミェン族が何百年と続けてきた生け贄は無用だ。」
次の日曜日から彼の説教は変わった。キリストが彼の心に住み始めたのだ。
それでも困難は減らなかった。一節の翻訳に一週間を費やすこともしばしば。長老の頭痛、目の手術、村の洪水、すぐそばで落雷を経験したこと。バージェス師にもあまたの回数のコンピューター故障、目の手術、ご両親と親友の召天、シロアリによる住居の攻撃が及んだ。困難の押し寄せるたびに世界中で祈りが捧げられた。そして出版記念奉献礼拝の日を迎えた。三月二七日。
式典は厳かというより、喜びに満ちたものだった。「タイ聖書協会にもう一度印刷させてほしい。すぐに売り切れにしてほしい」「新約しかないから伝道は後回し、という言い訳は誰もできなくなった」「これが終わりではない。これを世界中のミェン族に届けるために、皆立ち上がれ」と、タイ聖書協会、世界聖書協会、OMFなどからの来賓の祝辞と激励が続いた。
会衆は、ミェン教会協議会議長のリードで聖書の著者と契約を結んだ。「私たちミェン族は聖書を愛し、聖書を学び、聖書に従い、聖書を述べ伝えることを主に約束します。」
式の間じゅう、涙が止まらなかった。
http://thaibible.or.th/mienbible/でミェン語聖書六十六巻をタイ文字版、二種のローマ字版、ラオ文字版で英語と対照して閲覧することができます。一千節を超えなければカット・アンド・ペーストの許可もあります。
【祈りの課題】
1.ミェン語聖書全巻出版感謝。奉献礼拝のとき、4年計画の通読表が配布されました。ミェン教会の全ての人々が全巻通読に励むようにお祈りください。
2.有澤師夫妻は昨年12月から今年4月まで、大小さまざまの聖会、キャンプ、伝道、セミナーの連続で疲労がたまっています。肉体的にも、霊的にも休む時が与えられるようにお祈り下さい。
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