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2006年12月号  page1  page2


「美しき試合 −ミャンマーとスポーツ−」

ミャンマーの青年(写真と内容とは関係ありません)  ミャンマーの歴史について調べてみるならば、一八七八年はとりたてて重要な年とされてはいないことでしょう。例えばパガン王朝が「黄金時代」を開始し、仏教が導入された一〇四四年、又はビルマ人がシャム(タイ国)に侵攻し、首都を占拠した一七六七年は有名です。又は英国がチボー王を破りインドへ追放し、ビルマ全体を植民地化した一八八五年は否定的な意味で重要な年です。又、何年もの武装闘争の後についに独立を果たした一九四八年も重要でしょう。
 一八七八年はそれらのどれに比べても劇的なものはありません。その年はサッカーが初めてこの国に入ってきた年なのです。スコットランドの説教者の息子で、植民地時代に国家公務員であったJ・ジョージ・スコットという人物が、インド製のゴムでできたボールをビルマに持ち込み、あちこちで蹴り始めたのです。
 スコットは勇敢な旅行者、かつ研究者でした。語学習得にすぐれ、地元文化の鋭い観察者でもありました。シュウェイ・ヨーというペンネームで出版した「ビルマ人」という書物はビルマ人の文化と信仰を詳しく知りたい人々にとって、今も古典として残っています。
 その当時、首刈り族のワ族の要塞があったシャン地域の山頂から、海のジプシーとして知られたモケン族の住む南の島々まで、ビルマ各地を旅する彼は、どこに行く時も必ずボールを持って行ったのです。
 スコットにとって、サッカーは彼の情熱であると同時に、訪ねて行く先の人々とのコミュニケーションの手段でもありました。彼はサッカーを通して、フェア・プレーの精神や権威を持つ者への尊敬(審判はいつも苦労していました)の念を培おうとしていたのです。
さて昨日の試合の勝敗は‥‥?  よく彼は互いに敵対しあっている部族にサッカー試合をさせることによって、互いの意見の相違に解決をもたらそうとしました。しかし多くの場合、うまくいきませんでした。
 試合場は少なく、距離的にもあちこちに離散していましたが、サッカーはすぐに人々の間で人気となりました。一九四八年の独立後まもなく、ビルマ人チームは東アジアの中で最強の一つとなり、試合においても当時人々が享受していた希望と繁栄を反映していました。
 都市部人口は教養が高く、国は資源に富み、ビルマはインドと中国の間にあって貿易の重要拠点でした。東アジアのあちこちから人々が首都ラングーンで得られる様々なチャンスを目指して群がってきたものでした。
 しかしそんな時も長くは続きませんでした。やがて政治的困難と部族間の衝突が、国を存続の危機にまでおいやったのです。試験的に取り入れられた民主主義は一九六二年に軍部が政権を掌握するや、無残にも中断されてしまいました。結果としてかつてのミャンマーの誇りであった教育システムが急速に傾くなど、国内のあらゆる事柄が被害を受けました。貿易は国営化され、多くの起業家達はミャンマーを離れていきました。医療ケアも形骸化してしまいました。
 同じようにミャンマーのサッカーの技術も放置されて崩壊し、ブルネイやシンガポールなどの小さな国にも打ち負かされるようになってしまいました。国がサッカーボール不足になった時期もあったほどです!
未来のスター選手?  それでもサッカー試合に対する情熱は残っていました。日が暮れて少し涼しくなってくると、少年達は町の裏道に、砂浜に、山間部のちょっとした平らな場所に、試合をしようと集まってくるのです。
 四十年間の鎖国時代からゆっくりと目を覚まし始めるにつれ、ミャンマーは再び他国に興味の目を向け始めています。週刊新聞の中には各国のサッカー情報専門のものもあります。そしてミャンマー人男性のほとんどは、ヨーロッパやアメリカの人々と同じように、チェルシーの最新の選手獲得の模様やレアルマドリードの先週の日曜日の得点数、ヨーロッパ選手権でのバイエルンミュンヘンの試合スケジュールを熟知しているのです。髪型をベッカムのようにし、ゴールを決めた際の喜びの動作もじっくり観察してまねてみたり、チームゆかりの海賊版商品も飛ぶように売れていきます。しかし悲しいことに、サッカーはギャンブルの格好の的となっています。ギャンブルはミャンマーでは建前としては禁止されていますが、実際には横行しています。
 最近のワールドカップ期間中ミャンマーの喫茶店には深夜すぎに放映される試合を見ながら、賭けをする人々でいっぱいでした。一試合に数か月分の給料が賭けられ、賭けたチームが負けたために持ち家を失った人々もいました。
 他のスポーツについても選手やそのサポーターは増えています。昨年、ミャンマーは初めて国際試合の開催地として、ボディー・ビルディング世界選手権が開かれました。又、重量上げではアテネ・オリンピックでミャンマー選手のメダル獲得が期待されましたが、ドーピング違反で失格してしまいました。
 卓球、テニス、ボクシング、テコンドなどのスポーツクラブも国内で開かれていますが、それでも六人の選手で籐で作ったボールを足と頭を使って蹴り回す伝統的スポーツのチンロンはミャンマー国民のお気に入りです。
 こうした様々なスポーツは豊かな祝福の架け橋となりえます。明るい未来への希望を奪われた青年達はすることもなく、あてもなく通りをさまよっています。彼らは健康的な活動や彼らの目標となってくれる人物を切実に求めているのです。スポーツに豊かな経験があり、チームのコーチになることができる多くのクリスチャン達は、そんな青年達に大きな影響を及ぼすことができます。クリスチャンの選手やチームは相手チームに対する時の実技の質の高さと公正さ、そして誠実さを融合して見せることによって証しをしようとしています。ミャンマーの青年達にコーチをする中で培われる友情は、それまで励ましというものをほとんど受けたことのなかった彼らの心の奥深くに届くのです。
 通常は外国からの影響に対し、よい顔をしないミャンマー政府でさえもこうした必要を認めて、海外からの個人やチームが入国し、地元青年達へのコーチングを行ない、試合に参加することを許可しています。
 全世界が注目するような試合において、国際的に知られているクリスチャンの選手達が自らの信仰を公に表します。そのような時、地元や外国人のクリスチャン・スポーツ選手たちがミャンマーの人々を訪れ、人生を変える真理のメッセージを、彼らの生き方によって人々に示す必要があるのではないでしょうか。


「出発の前に」
カンボジア  西村信恵

壮行会にて  一年間のデピュテーションを終え、明日のカンボジアへの出発の荷造りの途中で、今ニュースレターを書いています。皆様がこれを読まれる頃は、あたたかいカンボジアの国で、クメール語の復習をそろそろ終えて第二期目の働きの場所へ移動している頃だと思います。十月の一ヶ月は、実家で亡父のものを整理したり、なかなかお会いできない教会の方に会いに行ったり、そして家族ともゆっくり共にすごしたりと、家を拠点にできる日常を味わうことができました。病院にいる祖母はもうすぐ九十九歳になります。その祖母は、こんなことを言いました。「ここの食事はおいしくないけどね、いっつも、食べる前においしく食べられるようにしてくださいとお祈りしているの。」痴呆のご主人のお世話でなかなか教会に足を運べない婦人を訪ねたときはこう言われました。「いつも家にいて出られないけど、寝てられるだけ寝て、好きなように生活できて、いいね、お父さん、って言ってるのよ」
 お体の具合が悪く、遠い教会には来られない八十九歳になられる姉妹を訪ねたときは、こう言われました。「わたしにも神様のことを伝えることを言われてるのに、わたしはまだまだだね。伝えなければいけません。」この三人に共通していたことは、おいしいご飯をください、とか、出かけられるように、とか、病気がなおって好きなことができるようにの様に、自分の環境が変わるようにとは祈らず、自分が環境に適応できるようにと祈り、そしてその環境を感謝していることでした。これから第二期を始めるに当たり、自分もカンボジアの地に適応し、カンボジアの方の心が理解できるようにと祈るように教えられました。また礼拝に出席できない環境でも、いつも神様に頼って、主と共に歩む姿にも嬉しくなりました。励ましに行ったのに逆に私が励まされた訪問でした。
 二九日の午後には横山先生も来てくださり、壮行会が行われました。集ってくださった皆様と交わって話をする中、これだけの人たちが(またその背後にはもっと多くの方が)神様の招きに応じてカンボジア宣教のために祈り、支え、励ましてくださって、これからも共に歩もうとしてくださっていること知りました。神様のなさることにこれからも期待しつつ出発に向かいます。皆様のお祈りを感謝しつつ。

【祈りの課題】
1.第2期目の働きの場所へ移動しているころです。チームの人たちとのよい関係の中、自分の働きをしっかり把握し、仕えていくことができるように。
2.カンボジアへの再適応が良くできるよう、忘れているクメール語も取り戻すことができるようにお祈りください。


「祈りの力と恵み」
横山基生、好江

OMF札幌宣教祈祷会にて  十月は外に出掛けることの多い月となりましたが、秋を楽しみつつ恵みのうちに歩むことができました。皆様のお祈りを心から感謝いたします。十月十日からOMFの会議出席のため札幌に出掛けました。この機会に数日滞在を伸ばし札幌の教会と七飯の教会で、宣教に関わるセミナー・祈り会・メッセージの奉仕等をさせていただきました。五〜六年前に在欧日本人宣教会(現在も私達の出向元)の宣教師として巡回して以来でしたが、私たちのことを覚えて下さっている方々と出会うことができ、大変感謝でした。また、友人の牧師たちに会ったりして旧交を温めることができました。
 十月二二日には、東京武蔵野福音自由教会での世界宣教大会に招かれメッセージと働きの報告の機会が与えられました。私達の働きを十年前から祈り続け支えて続けて下さっている教会の一つです。私たち以外にも多くの宣教師たちが祈られ支えられ覚えられていることを同時に見ることができ、大きな励ましでした。英語部での礼拝では、初めて英語のメッセージも語らせていただきました。文化や肌の色を超えて共に主を賛美できることは何と幸いなことでしょうか。私のぎこちない口調のメッセージでしたが、聖霊によって一人一人の心に届いたと信じます。
 西村信恵宣教師のカンボジア第二期の働きのため派遣壮行祈祷会が十月二九日にもたれ、日本委員会を代表して出席し、メッセージの奉仕をさせていただきました。西村宣教師を送り出している母体は大きな教会・教団ではありませんが、派遣壮行祈祷会には、五十名近い人達が集まりました。宣教師になる以前から彼女のことを知り祈って来た人達であることが分かりました。送り出す側にも信仰がチャレンジされ、祈りによって送り出し支えて下さっているお一人お一人の姿に励まされました。また、一人の宣教師の歩みに多くの方々が様々に関わってこそ、主の御心に適って宣教の働きが祝されることを改めて教えられました。
 総主事の働きの一つは、一人でも多くのクリスチャンに、海外宣教に何らかの形で関わっていただくために励むことです。その中で一番大切な働きが祈りのサポートの網を張り巡らすことです。人間的な力では何も進まない訳ですが、宣教の主に押し出されつつ、この働きのためにさらに様々なところに出かけさせていただきたいと願っています。(基生)

【祈りの課題】
1.海外在留邦人・在日外国人など、在留異国人という特別に主が用いられる状況にあって福音を受けた者達が、このクリスマスの時期、救い主イエス様を知ることができるように。12月2日に行なわれる在欧日本人宣教会(横山師夫妻の出向元)主催のクリスマス会が帰国者のために用いられるように。
2.総主事代行の任に就いて約8ヶ月経ちます。まだまだ新しく学ぶこと知らなくてはならないことが多くあります。宣教師一人一人を充分にケアーできるように、母教会・派遣教団・支える会等の皆さんと、より緊密な連絡を取り合って共に宣教を進めることができるように、全ての必要が満たされるように、祈り会の拡充のためにお祈り下さい。


「初心に戻ろう」
日本 木下理恵子

香住丘キリスト福音教会の皆様と  それは宣教報告を終えた後の讃美の時でした。「神より生まれし者よ、世界に告げ知らせよ。一人も滅びざるこそ‥‥」隣で力強く讃美していた牧師の声が急に詰まり、途絶えました。「一人も滅びざるこそ御神の御心なれ」その後も讃美は続きましたが、同じ様に涙を流しながら歌う人もいます。この牧師の主の心を自分の心としておられる、救霊に対する熱い思いが皆に伝染しました。心打たれました。自分でどうして今まであんなにすらすらこの歌詞が歌えたのだろうかと主の前に恥ずかしく思いました。と同時に主の、あの一人一人を救おうとするなんともいえない御愛に感動しました。それはまた救われた頃の感動。「宣教師に」と突き進んでいた頃のあの思い。初めの愛でした。そしてこの教会を去ろうとする時、牧師婦人がにっこり笑って言われました。「うちは世界一の教会なんです。」ショックを感じる程の感動でした。主の満面の笑みを見るようでした。
福岡めぐみ教会の皆様と(1)  と言うわけで、初心に帰ることを示されています。救霊に対する熱い思いを頂きたいものだと祈らされます。九州巡回の二週間で二つの教会で朝五時からの早天祈祷会があることを知りました。また多くの人が集まり共に主に大声で叫びながらの祈祷会。或いは「早天祈祷会を始めました。まず私自身のためにも。」と謙虚な、具体的な一歩を踏み出した牧師。私自身、初めの愛に戻るため、何をするべきなのか祈り、考えています。示された事を実行し、主にあってもっともっと熱い者になれるようお祈り下さると感謝です。
福岡めぐみ教会の皆様と(2)  実際一、二ヶ月前、日本に帰って七ヶ月経って、やっと自分が「もう台湾に戻らない。日本に住みつくのだ。」と言う主の導きに抵抗している事に気がつきました。体では主に従って帰って来てはいたのですが、心は本当には従っていませんでした。悔い改め、良い神様である主の、これから日本での新たな導きが良いものである事を信じて前進していこうと決めてから、自分が少しずつ変わってきた気がします。
宣教報告中の木下師  皆様の長い間のお祈り、特に私にとっては激動のこの一年、本当にどうもありがとうございました。更にお祈りを必要としていますので、続けてお祈り頂けると感謝です。住み慣れた、自分が属する(自分に属する)天を離れ、私たちの間に来て下さった主の従順、御愛で私たちの心が熱くされるクリスマスとなりますようお祈りします。

【祈りの課題】
1.主の前に台湾を引き上げ日本に帰国した事に本当の意味で従順になれ感謝。背後のお祈りを感謝。初心、初めの愛に戻るため具体的に事を成し、救霊の思いをもっと熱くすることができるように。
2.台湾の萬華では、今年も連合牧師祈祷会で一緒にクリスマスの伝道活動をします。萬華の教会、クリスチャン間に更なる一致が与えられるように。求道者、救われる人、教会に来始める人が多く起こされるように。

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