2005年8月号
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「ジューン・ブライド」
北タイ・チェンマイ 邦人伝道 野尻孝篤師・明子師
チェンマイに来てから初めての結婚式がありました。いつも司会や賛美ワーシップをリードし、教会案内なども立派にパソコンで作って下さる、パヤップ大学留学中のI兄です。アメリカで大里宣教師に導かれ、チェンマイに来られ、有澤師御夫妻宅で、婚約者のNさんが救いに導かれて、今回の結婚式となりました。私たち教会の大きな喜びでした。式は有澤師の司式、私の式辞(メッセージ)ということで一週間前まで準備がされていました。ところが有澤師のお母様が倒れなさり、急遽、帰国ということになり、私が司式と祝辞のすべてをすることになりました。リハーサルの時からあがってしまい、いつも礼拝を共にする教会学校の八歳の女の子と新婦のN姉の名前をどうしても間違えてしまいます。I兄からは「私が間違えるのでなくて良かったですよ」と慰められる始末です。結婚の宣言の時に間違えたら大変と聖書の表紙にお二人の名前と宣言文を書いた紙を貼り付け、カンニングペーパーのようにして当日は事なきを得ました。日本人ばかりでなく、I兄のタイでの山岳民族への奉仕や日本語補習校の教師、大学での学びの多くのインターナショナルな関係者の方々、両家のご家族、親戚の方々、友人達をも日本からお迎えし、多くの人々の祝福と喜びに囲まれての幸いな結婚式でした。結婚式に参列されて、初めてキリスト教にふれ、心が洗われるようだったという老ご夫妻が、次の聖日の礼拝にも見えられ、聖書をも借りて帰られました。私達も喜びが倍加したことでした。奇しくも有澤師ご夫妻と結婚式が同じ日、私たち夫婦とは一週間違いということで、ジューン・ブライドは幸福になるという言い伝えは本当のようです。(孝篤)
以前、中央タイで、風土病の一種でしょうか、疲れがたまり梅雨のような天候が続くと、体の表面にゴーヤの表皮のような、蚊に食われたあとのような発疹が出、そのボツボツが地図状に広がって何日も悩まされました。出血熱とかいうらしくOMFのマノロム病院でも「原因不明、処方箋なし、ただよく寝るだけ‥‥必要なら睡眠剤あげましょうか」と言われるだけでした。以来、このボツボツが体調疲労度のバロメーターとなっています。今回の聖日の朝の主人の発疹は両腕、両もも、両わき腹の一面に出るかなりひどいもので、このような事は初めてでした。が、聖日ですから寝ているわけにはいきませんし、午前の礼拝に続いて午後も結婚式の打ち合わせの予定が入っています。その朝の礼拝説教題はマルコ連講によって「いやし主の臨在」でした。説教題と主人の状況を見た時、私は語る当人ではありませんが、説教者の伴侶として主から語りかけを聞いたように思いました「あなた方は、自分達の語っている御言葉をその通り信じ生きていますか?」と。「はい、主よ、信じています。どうか今朝みことばが語られているうちに主人がいやされますように‥‥」
幸い顔等には出ていないので誰も気づかず、ペテロの姑の熱病が去った出来事が語られて聖日礼拝は閉じられました。午後の集まりが始まる前、主人がソッと「なおってるよ」。発疹も地図状のものも跡形もなく治っていました。その後、忙しい日々が続きましたが全く出ていないので感謝です。主はまことに御言葉どおりのお方でした。ハレルヤ!(明子)
【祈りの課題】
1.集会場を2箇所に分けています。中国人教会だけにすべきか、また中国人教会の中でも3階の大きい部屋に移るべきか、導きを求めています。最も人々が集まり易く、礼拝が落ち着いて出来るようお祈り下さい。
2.長くチェンマイに住んでいたり、これから長く住まおうとしておられる方々に、教会が慰めと喜びの場所となるように、また、永遠の命を得られる所となるようにお祈り下さい。
「グチグチに愚痴らないように?」
フィリピン・ミンダナオ島 マノーボ族伝道 合田希保
「あっ、でた、これだ。」マノーボ山の奥深い所、クヤス村に到着後、私の両足が無性にかゆみだした。一期も皮膚のアレルギー反応が出て、靴下・男性用のYシャツ、長ズボンの格好が私のトレードマーク、二期目も十分注意して望んだがしかり。小さな蚊屋の目の中・私の目の中にまで侵入してくる小さい蚊、その名も「グチグチ」。
グチグチと「二期目も仲良く?お付き合いしていこう」と思った矢先、私の足は、既に赤くなっているでないか。膝丈まである靴下も無駄な抵抗なのか?市販の虫除け薬も効き目が無い。一期に、皮膚のかゆみが悪化して、山で化膿し一苦労した事を思い出し、いささか慎重気味になった。ところが、今度はマノーボ族の子供寮にて、階段から滑り落ちてしまった。靴下を履いていて滑ったらしい。「一期目も、靴下を履いて何気なく昇り降りしていた階段なのに、何故。」首や頭を打たない様に意識していたので、肘・肩・腰等を少し痛めた。それでも、「いや、ここでダバオに帰る訳にはいかない、山に入ろう。」と判断し、自動二輪で一時間半掛け、村へ到着。山道のでこぼこを通る度に、私のお尻は痛みを感じていたが「平気」と押し通した。
一週間後、肘の痛みが消えないので、祈ってダバオに帰る事を決断する。ダバオまでの約八時間程の道中、色々と反省させられた思いがした。「自分の弱さや限界をもっと良く知り、咄嗟の決断がきちんと知恵を持って出来る様にならなければ。神様に更なる識別力が与えられる様に祈り求めよう。無理をする事で神様が喜ばれるはずは無い。」バスの中で悔い改めに導かれた。
ダバオに着いてから、病院に行き(フィリピンで初めての経験)四日間掛けて、レントゲン・血液、尿、便検査を受けた。結果は骨は異常無し、ただ、お腹に虫がいるとの事で薬で治療した。病院の長い待ち合い時間で、祈り思い巡らした。特にローマ書の御言葉から「信じるだけで義と認められている」神様の恵みに再び目が開かれる思いだった。一期は三言語の学びで明け暮れ、漸く二期目は、本格的な働きをさせて頂けると、喜びに溢れていた。どこかで神様に頼らずに、自分の力に頼ろうとしていた罪を示された。
なんと恐ろしい頑なな私であろうか?まだまだ本当の自分という者をわかっていないし、なんと罪深い者かを教えて頂いた。階段から滑り落ちた事もグチグチとの再会も、今では尊い幸いな経験であると神様に心から感謝している。
皆さんの御祈りとお支えによって、恵みの主によって、マノーボ族の方々の中で、許され働かせて頂ける恵みを再確認させて頂いています。心から感謝しつつ‥‥。
【祈りの課題】
1.御霊の実、特に最後の「自制」の実を神様に祈り求めています。普段の生活もさる事ながら、山での生活の中ではもっと「咄嗟の判断力」が求められます。「自分の限界」を更に良く知り、冷静に決断し、行動が取れますように。合田師の健康の為にも続けてお祈り下さい。
2.マノーボ族のリーダーの子供達(マノーボ族の将来のリーダーの卵達)がサントニンニョ町で寄宿し、公立学校で学んでいます。この寮はクリスチャン教育で一貫されています。25人位の子供達との信頼関係が更に構築される様に。子供達が神様と御言葉に仕える歩みを重ねられる様。子供達の中で「どの様に仕える事が御心か」、合田師が御言葉から教えられ、主の御前に額ずく歩みが出来る様に。
「祈りの実」
カンボジア・プノンペン 西村信恵
「コケコッコー」とたまに夜中にも鳴く鶏の声や、朝早くクラクションを鳴らしながら走る車の音、それに混じってたまに聞こえるお寺からのお経の声を聞きながら私の朝は始まります。毎朝六時は教会の朝の祈祷会。出かける道筋ですでにお寺に行って祈って帰る人たちとすれ違いながら教会へ出かけます。いつもは教会に住む二人の姉妹、そして私たち宣教師で祈ります。終わったあとは学校へ出かける子供たちや(朝七時から始まります)市場へ向かう人達や市場への野菜を運ぶ荷馬車で道はいっぱいになっています。
そして木曜日、この日は午後四時から祈祷会です。この祈祷会ではいつもカンボジアの国のため、他の国のため、教会のため、それぞれの祈りの課題をお祈りしています。木曜日は教会員の何人かも集っていましたが、家が遠い、忙しい、○○君とけんかしたから会いたくない等々で、ほとんどの人が来ない期間が続いていました。けれども六月にはいって祈祷会に変化が現れました。いつも五〜十五人。青年会のメンバー、また、教会メンバーのうち遠いプラサー村からも来るようになり、共に祈りの実を見ていく喜びを分かち合えるようになりました。感謝です。
ソッカー君の言語クラスも、この祈りによって生まれました。現在二十名の子供たちを毎朝教え、来週からその子供たちに夕方英語も教えたいと彼は準備を進めています。
ずっと祈りの課題であったプニャー村での伝道も、目に見える実となり今月から始まりました。プラニャー村はプラサー村と同じくニャックルアン教会に来てくださっている方の村で、彼一人だけがそこでクリスチャンであり、そのためにいろいろな困難を抱えていて、そこでの伝道をと祈っていました。日曜日の昼から青年たち(主に教会学校の先生たち)が二組に分かれてプラサー村とプニャー村へ行き、子供伝道をしています。最近は若者たちとのコンタクトも取れるようになり、青年伝道へと広がっていったらと願っています。これらも皆様のお祈りの実です。ともに祈って支えてくださっていることを心から感謝いたします。教会員の一人一人が祈りの尊さ、すばらしさにもっと気づき、自ら祈っていくことができますようにお祈りください。
【祈りの課題】
1.8月1〜3日、教会の夏季学校が行われます。奉仕するもの一人一人が一致して子供たちを教えていくことができますように。
2.ニャックルアン教会の祈祷会が祝福されますように。
「ハロー、グッバイ(出会いと別れ)」
在英邦人伝道 横山基生、好江
六月末、日本から計六名のお客様をお迎えしました。この時期であれば避暑になるはずが日本と同じくらいの暑さなり、申し訳ないと思っていたらセーターが必要になる程寒い日が突然来ました。ここ数日は雷雨が多くなり、パーフェクトな虹(それも二重)に主を誉めたたえました。
日々のお祈りを心から感謝いたします。霊肉共に支えられ感謝です。
月曜日の学生伝道聖研の出席者は多い時の三分の一になっています。メンバーが次々と日本に帰国したり、英国の大学に入るために別の街に移ったりしたためです。一年近く聖研に通い続けた二人が最近帰国しました。ふたりとも大学を卒業してから数年働いて貯金し、語学留学のため英国にやってきた女性です。ふたりにとって出席が最後になる聖研の分かち合いで、今までの歩みを振り返って感想を語ってくれました。
「自分がずーっと嫌いであったけれど、英国に来て様々な人と会い、また聖研で学びつつ、少しずつ好きな部分が増えて来た」と言うSさん。Eさんは、日本にいた時は人生について語り合う友もいないし、生きる喜びがなかった。しかし、こちらに来て人生について多くの人達と語り合うことができ、「人生は楽しいものなんだ」ということが分かったと笑顔で言ってくれました。その場にいた他の聖研のメンバーもそれを聞きとても励まされ喜びを分かち合うことが出来ました。
主イエスを救い主と信じるまでには至ってませんが、このふたりが聖研の学びと分かち合いを通して神によって愛されている自分を知り受け入れ、明日に向けて積極的に生きるように導かれていることを知ることができ、私達もとても励まれました。帰国後も地元のクリスチャンとのコンタクトが与えられ、主を知る歩みを続けて欲しいと祈り願っています。Eさんは、日曜日は仕事になってしまうと聞いています。愛を持ってコンタクトを取り続け、主なる神を知り続ける歩みを共にし続けたいと願わされます。 八月以降、月曜聖研に残る学生は、現在のところ二〜三名なのです。新しいメンバーを主はどのように送って下さるでしょうか。祈りに覚えていただけると幸いです。(基生)
月一回、片道車を二時間走らせて行っているバーミンガム聖書会。六月の会の直前に「初めてなんですが行っていいですか」と電話がありました。バーミンガムの大学で学ぶIさんは翌日日本に一時帰国して夏休み三カ月を過ごすというこの日、聖書会に来てくれました。
信来会者本人から私達に直接電話があるというのは珍しいので、日本人の友達に誘われたという通常パターンでないことは察せました。中国人クリスチャンの友人が、この聖書会のことを教えてくれたとのことです。さらにIさんの話を聞いて主の素晴らしい導きに御名を崇めました。中学卒業後すぐにイギリスの全寮制の学校に入り、こちらで高校を終え、大学に入って留学生のための準備コースを一年間経て、この九月から大学の本格的な学びに入るとのこと。全寮制の学校でカルチャーショックなどの苦労をしていた時に助けてくれた人がクリスチャンで、そこからキリスト教・聖書に興味を持つようになった。バーミンガムに移り、中国人クリスチャンの友人ができ、一緒に中国人教会に行って、つい最近、イエス様を救い主と信じたとのことです。日本では、家がお寺なので、こういう機会はなかったし、あり得なかったと感謝しつつ、三ヵ月間の一時帰国中どうやって教会に行ったらいいかと語ってくれ、皆で祈りました。その後近くの教会の情報をメールで送り、「行ってみます」と返事をくれました。Iさんの信仰の歩みが守られますよう、お祈り頂ければ幸いです。(好江)
【祈りの課題】
1.8月4日から7日まで、ドイツで第22回ヨーロッパ・キリスト者の集いが開かれ、前日の3日からは青年会と宣教セミナーが持たれます。良き交わりのもと、共に霊的に成長できるように。基生師は宣教セミナーのまとめ役として奉仕します。
2.8月19日まで、ケンブリッジ・インターナショナル・アウトリーチ(語学留学生伝道)が行なわれます。より多くの留学生が集い福音にふれることができるように。この伝道活動を通して我が家の月曜伝道聖研に新しく加わる日本人が与えられるように。
「小強兄、死す」
台湾・活水泉 木下理恵子
六月最後の日曜日、小強兄が萬華の公園で召されました。享年三十五歳。以前このニュースレターでも紹介しお祈りしていただいた兄弟です。はっきりと新生したクリスチャンですがひどいアル中でした。人なつこく明るい人で、賛美が好きでいつも大声で賛美し、又歌詞によっては跪いて主を礼拝していた人です。でも「自分には不可能」とお酒はやめられず、体はどんどん悪くなり、最後は仲間とお酒を飲みながら「死ぬのがうれしい」と言葉を残してでした。何度共に聖餐に与り、共に野外礼拝をし、共に祈った事でしょうか。何度か飲まないようにしている時「小強はこんなにハンサムだったんだ」とのコメントに恥ずかしそうに笑っていた様子が目に浮かびます。飲んでいない時は人を助けるのが好きな人でした。
「神様でも小強を変えることは無理」と何度萬華の人たちに言われた事でしょうか。「神様にはできる。小強がそれを選ぶなら。」と何度心の中で叫び祈った事でしょうか。小強が死んだ。公園の片隅に布を掛けられていた小さな遺体。活水泉の仲間が亡くなると、いつも泣くのですが、今回はなぜか一週間経った今でもまだ涙が出ません。
金曜の夜の集会は特に依存症の人たちを対象とした内容です。最近、礼拝の後でスモールグループにわかれ感想など話し合い、一緒に祈り合ったりします。同労者の小孟には皆の就職関係をと願っていた所、彼が来てから不思議なようにいろいろな仕事の機会が与えられ始めました。祈りの時でも、皆が帰る時でも「頑張ってね」と声を掛けられるようになったのは大きな変化です。と同時に仕事を始めた人が何週間か後、又お酒を飲み始め仕事を無くすケースも度々出てきています。そうした人たちの中、もう一度やり直そうとしている人たちもいます。お酒、依存症との闘い。本当に熾烈な戦いです。でも神様には変えることができる。それを選び体験する人が起こされるように、主には依存症の人たちも変える事ができる真理を、萬華の人たちが活水泉の仲間にはっきりと見ることができるようにお祈りくださると感謝です。御祷援を感謝しつつ。
【祈りの課題】
1.江兄、厳兄、黄兄、鐘兄等が定期的に仕事を始め、又失敗してももう一度やろうとしています。それぞれの問題に勝利し、定職を持てるように。又霊的にも求め、洗礼を希望したり、考えていたりします。受洗の決意に至るように。
2.活水泉の依存症の人たちが「神様にはできる」と信じて依存症を断ち切る決意ができるように。そしてその主の力と助けにより実際に依存症を断ち切ることができるように。
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