メコンフィールドにおける主の求人を聞きに 坂西 信悟
「坂西信悟さんは個人で短期戦宣教プログランに参加され、北タイの部族伝道の場所で主にミェン族の働きを見てこられました。その時のお証しです。」OMF日本委員会主事 西村信恵
たくさんの祈りの中で、北タイに約2週間滞在し、主がこの地で進めておられる働きをこの目で見ることがゆるされたことを、主に感謝いたします。メコン川流域には、たくさんの少数民族が国境をまたいで住んでいるため、メコンフィールドでは、「国」ではなく、「民族」に焦点を当てて働きをしています。この地に思いをはせ、祈るようになったのは、有澤達朗・たまみ宣教師の影響でした。北タイに住むミェン族のためにメコンフィールドで仕えておられる先生の働きを覚え、祈ることを通して、「この目で見たい」という思いが与えられていったのでした。旅の目的は、メコンフィールドの働きの様子と祈りの課題を知ること、そして、この地における主の求人を聞く、ということでした。主はどのような働き人を求めているのでしょう。
私はミェン族の子どもたちがともに生活しているミラクル寮に滞在しながら、ミェン族の中で進められている働きを見せていただきました。寮には、自分の村に学校がないために、一緒に生活をしながら学校に通っている小学生から高校生の子どもが20人住んでいます。寮の1日はディボーションからはじまり、朝食を食べ、学校へ行きます。帰宅後は敷地を掃除し、夕食、宿題をして、就寝という生活です。年上の子どもたちが食事を作ったり、お小遣いの管理をしたり、ディボーションでの司会やショートメッセージをしたりと、いろいろな役割を担っていました。また、ミェン族の村をいくつか回る機会も与えられ、礼拝や祈祷会に参加することができました。村の名前を聞くと、どれも聞いたことのある名前でした。ミェン族の祈祷課題を聞き、祈っていたからです。これまでは、ただ文字を追うだけのような祈りしかできなかった村が、今度ははっきりと映像として思い浮かぶようになっていきました。何より感動したことは、ミェン語の聖書、賛美歌がミラクル寮や教会で用いられている姿を見ることができたことです。ミェン語翻訳の働きに有澤師夫妻を含む、多くの宣教師が仕えていたのだということ、さらには、この働きのために日本の教会もともに心を合わせて祈ることのできる特権が与えられていたことを思い、胸が熱くなりました。一組の宣教師を送り出すということを通して、主が見せてくださる働きの広がりを思わされます。祈りの答えを見ること、祈りの課題を知れることは特権です。
また、私の英語力が十分ではない上に、ほとんどがミェン語かタイ語という環境におかれることで、私自身の内側も探られていきました。言葉によるコミュニケーションが難しい中で、どこまでも仕えられようとする自分自身の現実に向き合うことになったのです。私はミェンの働きを知り、祈り、仕えるために来たにも関わらず、「相手が自分に合わせてくれたら楽なのに」という思いが何度も湧き上がりました。それでも、主の前に静まる時、私が従おうとしている方はどこまでも謙遜であり、仕える者となられたことを確認しました。そして、私がミェン語を教えてもらおうとすると、子どもたちも「日本語を教えて!」と私に興味を持ってくれるようになりました。「仕える」ということは、難しいことです。しかし、主がそうであられるように、私がまず仕える者となることを求められておられるのだと思わされました。
ひとりの宣教師が移動の車中、自らの経験を踏まえつつ、語ってくださった言葉が心に残っています。
「私の祖父母は日本人によって捕虜にされていた。だから私は日本人が嫌いだった。でも、神学校で日本人とともに学んで、彼らの信仰を見て、悔い改めたんだ。今、一緒に働いている日本人宣教師が現地の言葉を話して、仕えている姿は本当に素晴らしい。アジアの国々に対し様々な歴史を抱える日本人が、その民族のことばを話していくことは、彼らを愛するための最もよい方法だと思う。」
主がこの地に求めておられる働き人は、主に従い、少数民族に仕える者であることを教えられました。仕えられる者ではなく、仕える者です。彼らを尊敬し、ともに住む者です。言葉を奪う者ではなく、彼らの言葉を覚え、喜んで話し、彼らの言葉で福音を伝える者です。
滞在中、ディボーションでアブラハムの箇所を読んでいました。そして、様々なところで証しする機会が与えられたことによって、自らの歩みとアブラハムの生涯とを重ねて考えることができました。「信仰を持って一歩踏み出した私はこれからどこへ行き、何をするのだろう」と思い巡らす中で、一つの箇所が心に留まりました。
「主はこう考えられた。『わたしがしようとしていることを、アブラハムに隠しておくべきだろうか。』」(創世記18:17)
私がこれまでの歩みで見たこと、知ったこと、祈ってきたこと。それらは、主がそれを私に分かち合い、「わたしとともに仕えないか」と招いておられることであったのだと気づかされました。そして、主の求人を聞いたのなら、次はどのように応答するのかが、私に問われているのです。
神様に与えられた祈りの旅 長谷川 佳奈
「2015年3月10日‐20日、宣教の自由のない国A国へ4名で祈りの旅に行ってきました。行く街々で働き人の話しを聞き、その街の中を歩き、情報と目で見るところから祈っていきます。神様に導かれてこの国で働かれている方々の証しを通して、またその国の働きの話しを通して神様の業がこの国で進んでいることに励まされました。この国の働きのためにこれからも祈りに行く方が起こされ、働き人として召される方が起こされて、この国における神様の働きが進んでいきますように。」OMF日本委員会主事 西村信恵
今回、祈りの旅に道が開かれたのは一通のクリスマスカードがきっかけだった。旅の参加を迷っていた私は、今日こそ返事を出さなければと思った朝、神様のみこころがなるように祈りながら仕事へ向かった。そして、仕事場で見つけたものは、必要のために使ってほしいと献金が添えられたカードだった。以前からお世話になっていた方が送ってくださったものだが、主が祈りに答えてくださったことを確信する出来事だった。主への驚きと恐れを抱きながら、参加の意思を西村師に告げると、神様は必要のためにさらに祈りをささげるよう導いてくださり、本当にすべての必要が主によって満たされた。この旅は主の旅であることを確信し、私は平安のうちに旅に送り出された。
訪れた4つの町々で驚かされたのは、どこにおいても神様のみわざが豊かに広がっていることだ。町を歩きながらプレイヤーウォークを続けると、自分の足跡がまるで主の救いの約束の足跡に変えられているようで、祈りの力を実感した。ここに至るまで、どれほど多くの祈りが積まれてきたのか、そしてこれからも積まれて行くのか。働きの広がりは、祈りから始まっていることを教えられ、その祈りの一端を担わせていただける喜びを知った。もちろん日本にいても祈ることはできる。しかし、実際に自分の足で町を歩き、現地の方々の姿を見ながら祈ることは、旅に出なければできない体験だった。
ただ、祈りの中には戦いもある。4つ目の町に向かうタクシーの中で、現地で仕えるM師が運転手さんに神様のことを分かち合う機会があった。語り始める直前、「祈っていて」と言われ、同乗していた姉妹と祈り始めたが、私たちは眠気に襲われ、祈りに集中するのが難しくなった。語られていた前後の時間は眠気もなかったのに、その時間だけ眠気に襲われたのである。ゲッセマネの祈りで誘惑に負けて眠ってしまった弟子たちのようだったと、ともに祈っていた姉妹が話してくれたが、まさにそのような体験だった。神様に支えられなければ、祈りもままならない自分であることを示され、それでも祈るように導いてくださる神様のあわれみを覚えた。十分に祈れる者を選ばれるのではなく、祈れない者を祈る者へと育てながら御国を広げる神様の恵み深さを教えられた。
さらに、今回の旅で感謝だったのは、素晴らしい働き人たちに出会い、お一人お一人を通して働く主のみわざを聴けたことだ。どの働き人たちも主に召され、この国を愛し、この国の人々に仕え、力強く歩んでおられる。同時に、弱さも失敗も経験し、神様に支えられて歩んでおられる。働き人たちは決してスーパーマンではない。目の前に与えられるチャレンジに打ちのめされる思いを抱きつつ、それでも、イエス様に信頼して自らをささげ続ける。その一歩一歩が、土台の確かな歩みへつながるのだと教えられた。笑顔の裏には労苦と涙がある。それでも、主の御名をほめたたえ、救いの完成のために仕え続ける。私もそんな歩みをたどって行きたいと思った。
帰国した私の課題は、この旅を通して教えられたことを、これからの信仰生活にどのように活かしていくかだ。具体的に心に留まっていることの一つ目は、この国の必要を周囲に伝え、自分でも祈り続けて行くこと。ゆるされるなら、日本からもこの地へ働き人が送られるように実際に働きかけて行こうと思う。二つ目は、自分自身もフルタイムのクリスチャンワーカーとして今後どのように仕えるか祈り続けること。まだはっきりした道は見えていないが、この旅に送ってくださった神様は大切なことを語りかけてくださっている。その道が何なのか主の導きに耳を傾け、呼ばれたことに応答したい。
最後に、この旅をコーディネートし、初日から最終日まで私たちと旅を続けてくれた現地のM師、日本でも現地でも私たちを支えてくれた西村師、ともに貴重な体験をさせていただいた陽姉と聖香姉に感謝をささげたい。
すべてを導いてくださった主の御名をほめたたえ、主のみわざがますます広がるように祈る。
祈りの旅に参加して 佐藤 聖香
「2015年3月10日‐20日、宣教の自由のない国A国へ4名で祈りの旅に行ってきました。行く街々で働き人の話しを聞き、その街の中を歩き、情報と目で見るところから祈っていきます。神様に導かれてこの国で働かれている方々の証しを通して、またその国の働きの話しを通して神様の業がこの国で進んでいることに励まされました。この国の働きのためにこれからも祈りに行く方が起こされ、働き人として召される方が起こされて、この国における神様の働きが進んでいきますように。」OMF日本委員会主事 西村信恵
私は、浪人生のときに「海外宣教」という思いが与えられ、そのために今の大学、学部に導かれました。しかし、本当にすっかりとその思いを忘れ、今回の祈りの旅の最中にようやく思い出したほどに、忙しさを言い訳にして、神様から離れた生活を送っていました。神に導かれたことを忘れ去り、今の学部に不満を抱くようになった私は、本気で再受験を考えたりしていました。そんな愚かな私に、神様は「海外宣教」という思いを思い出させてくださいました。そして、何気なくOMFのホームページを覗いた私の目に留まったのが、「祈りの旅の参加者募集」の掲示でした。「祈りの旅」に参加し、自分の将来をじっくり考えたい、神様から離れないで生きていけるように霊的に成長したいとの思いが与えられ、祈りつつ、両親にも相談しつつ、締め切り間際で駄目かもしれないと思いながらも、参加申し込みをしました。ぎりぎりでの申し込みでも参加がゆるされ、ご迷惑をおかけしましたが、本当に感謝しています。準備を進める中で、宣教の自由のない国に行く際の注意を知らされ、愚かにも勝手に不安になり、参加を決めたことを後悔したことを、今でも鮮明に覚えています。
祈りながら街のなかを歩くプレーヤーウォークでは、本当にたくさんの偶像を目にし、現地の人々が、政府や周囲の人々からの迫害を恐れてキリスト教を避けている姿を目にし、心が痛みました。しかし、このような国にも神様は働き人の方々を遣わしてくださり、現地のクリスチャンの間にしっかりとした信仰を与えてくださっているのだということも気付かされ、神様が働いてくださるという希望に満たされながら、お祈りして歩くことができました。祈る側の自分にも、主にある平安が与えられていたように感じます。
祈りの旅に参加して、多くの働き人の方々に実際にお会いしてお話を伺ったり、毎朝のデボーションのときや、毎晩の振り返りのときや、長い移動時間のときに他の参加者の方と分かち合ったりする中で、一番問われたのは、「自分は、今まで本当に神様を愛し、主に信頼し、主にすべてをおゆだねしきって従っていたのか」ということでした。「神様を愛します」と言いながら、神よりも自分を愛し、周りの人々の視線を気にする自分。「主に信頼します」と言いながら、自分の力でどうにかしようとして不安や後悔の絶えない自分。「主にすべてをおゆだねします」と言いながら、自分の願いも望みもしっかりと握っている自分。「神様に従います」と言いながら、義務感から、自分の力で従おうとして失敗する自分。次々に示されたのは、どうしようもない弱い自分の姿でした。また、日常から離れて神様を思い続ける中で、神様の視線を意識し続けることに疲れを感じてしまったことで、いかに普段の生活において神様の視線ではなく、周りの人々の視線ばかりを気にしていたのか、ということも教えられました。
働き人の方々は、神様を信頼しきっており、神様を本当に愛し、全てを神様におゆだねしていました。神が望んでおられないならば、道を閉ざしてくださると信頼しきって一歩を踏み出していました。聖霊によって祈り、祈られ、神様が働いてくださるのでなければ、誰一人として神様の御業に参与することができないことも知っていて、「祈り続けてください」とおっしゃっていました。どうしようもない私ですが、神様に喜んで従っている働き人の方々の姿を見て、「私も、嫌々ながらでも義務感からでもなく、自ら喜んで神様に従いたい」、「まだ福音を知らない人々に、神様の福音を伝えたい」と心底願うようになり、自分では神様に従いぬくことができないと教えられたので、神様に祈るようになりました。
「神様の福音を多くの人々に伝えたい」との思いが強くされる中、私には、大学を卒業し、職業技術を身につけるまでの最低15年間(学びと研修期)が、長くもどかしく感じられるようになりました。そのような中で、「自分を遣わしてください」と8年間も祈りつつも、神様の時を待ち続け、その間に母国の教会開拓に携わっていた働き人の方のお話をお聞きすることができました。自分も、最低15年と言う長い時間の中で、「自分を遣わしてください」と祈り続けながらも、与えられた状況の中で、まだ神様を知らない周りの人々へ福音を伝えていくこと、今回訪れた国やまだ福音の伝わっていない地域のために祈り続けること、働き人の方々のために祈り続けることができるのだと教えられました。神様が備えてくださったときに、備えてくださった場所で、神様に用いていただけるように、神様に取り扱われていきたいです。
今回、祈りの旅に参加できて本当に多くのことを教えられました。私たちの旅のために特に準備をしてリードしてくださった働き人の方と西村信恵主事、私たちに証をしてくださり、生き方を通して多くのことを教えてくださった働き人の方々、英語のできない私にたくさん通訳してくださった信恵さんと佳奈さん、一緒に旅に参加できた陽ちゃん、この旅のために祈ってくださった教会の方々や家族をはじめとする全ての方々、この旅に送り出してくださった教会の方々、そして何よりもこの旅に導いてくださり、守ってくださり、ともにいて励まし支えてくださった神様に、本当に感謝しています。
「私はキリストとともに十字架につけられました。もはや私が生きているのではなく、キリストが私のうちに生きておられるのです。いま私が肉にあって生きているのは、私を愛し私のためにご自身をお捨てになった神の御子を信じる信仰によっているのです。」ガラテヤ書2章20節
自分にはできないけれど、キリストにはできるという深い恵みに感謝します。
神様の愛とあわれみによる本当の救いが、全世界の人々に与えられますように。
短期宣教プログラムを通して受けた恵み 琉球大学4年 二河田 陽
「2015年3月10日‐20日、宣教の自由のない国A国へ4名で祈りの旅に行ってきました。行く街々で働き人の話しを聞き、その街の中を歩き、情報と目で見るところから祈っていきます。神様に導かれてこの国で働かれている方々の証しを通して、またその国の働きの話しを通して神様の業がこの国で進んでいることに励まされました。この国の働きのためにこれからも祈りに行く方が起こされ、働き人として召される方が起こされて、この国における神様の働きが進んでいきますように。」OMF日本委員会主事 西村信恵
私は宣教の働きに興味があり、今回訪れた国にクリスチャンの友人がおり、スケジュール的にも参加可能だったということであまり深く考えずこの旅への参加を決めました。旅が始まってみると日本チームの他のメンバーの姿を通してまず自分の決断の未熟さに光を当てられました。しかし神様は私の未熟な決断を通してでさえ、ものすごく大きな恵みを下さいました。
もともと私がこの旅に(漠然と)期待していたのは、「宣教に関するしめしを受けること」「就職などといった大きな問題が近づいてきている中で生き方を見直す機会が与えられること」でした。前者に関しては現時点では大学にいる留学生への伝道(“歓迎する”働き)、今回行った国のために祈ること、積極的に今回の経験を分かち合っていくこと(“動員する”働き)、今回行った国の言語やまだ行ったことのない国の宣教状況を知っていくこと(“学ぶ”働き)をしていきたいと思わされました。後者に関しては、純粋に神様に従って働かれているワーカーの方々の姿を通して、私もこの世的なものに惑わされずにただ神様の義を求めて生きていきたいと思わされました。また、ワーカーの方から「Try,try,try!」というメッセージをいただいたのでいろんなことに挑戦していきたいと思うようになりました。
この旅ではまた、想像もしていなかった恵みもたくさん与えられました。その中で私にとって最も大きかったのは「神様は本当に大きな方で、宣教が許されていないこの国においても御国は建設中であり、私たちは祈りを通してその働きに加えていただけた」ということでした。今回行った国では宣教が許されておらず(正確にいえば宣教師として入国ができないということで国内で福音を伝えること自体は違法ではないのだそうですが、法律とは関係無しにクリスチャンが迫害に遭うことはあるそうです)未伝の人も多いそうなのですが(バイブル、ジーザスといった言葉も聞いたことが無いという人も結構いるそうです)、その中でワーカーたちによって事細かな状況把握とそれに基づく計画立てがなされ、具体的な祈りが捧げられていました。またお一人お一人が言葉の壁に大変さを覚えたりされつつも知恵をもって働かれており、御国が建てられている音が聞こえてくるようでした。そしてプレイヤーウォークというプログラム等を通して、私たちもその働きに関わらせていただけたというのもものすごく大きな恵みでした。プレイヤーウォークというプログラムでは皆で街へ出て行き、病院や学校、寺院といった施設を見ながらその場所とそこにいる人のために祈ります。しかも普段のように目を閉じ手を組んで祈るのではなく、目を開け歩きながら、二人組みになって声に出して祈ります。祈っている対象の人が目の前を通り過ぎるのを見ながら祈るときの臨場感はものすごかったですし、神様の目を通してその街を見たらこんな感じなのかもしれないという想像もできました。そして何より、祈りが神様に聞かれているのを強く感じました。短期間の旅であっても祈りという方法で宣教に関わらせていただけたのが本当に嬉しかったです。
10日間の旅でしたが非常に濃く、恵みに満ちていました。プログラムも知恵に満ちていて、この国をよく知り、よく祈れるようになっています。ワーカーの方々に直接会い、祈り合いつつ「現場」を味わうこともできます。本当に素晴らしい旅でした。日本チームのメンバー、日本側/現地側のコーディネーターのお二人、現地でお会いしたワーカーお一人お一人、現地の兄弟姉妹、そして神様に心からの感謝を捧げます。