祈りの旅に参加して 谷淵 麻子
[メコン川流域祈りの旅] OMF日本委員会主事 佐味湖幸
7月27日から8月9日まで、メコン川流域の3カ国を訪問しました。B国では、A.B.姉と私(佐味)が、途中L国から谷淵麻子姉が加わり、行く先々でそこで働く主の働き人たちに助けられ、この旅を行うことが出来ました。祈りの旅は、宣教が規制されている国や困難な国、また地域に行って、そこでの宣教の働きのために祈るものです。そのため、実際の国名や人名をふせていますことをご了承ください。どこでも、主の働きが様々な形で進められていることに大きな励ましを受けました。また、働き人がさらに必要である現状を見てきました。収穫の主にさらに、働き人を送って下さるように祈りつつ。
この祈りの旅に参加させて頂いたことを心から感謝します。この旅に申し込むきっかけになったのは、丁度1年前にある宣教が許されていない国への宣教師ご家族のお話を教会で伺ったことでした。メッセージの最後にその宣教師の先生は「今から沈黙の祈りの時を持ちましょう。そしてお一人お一人が神様に示された3つのことを書きだしてください。」とおっしゃいました。その一つが「来年(つまり2011年)のOMFの宣教旅行に参加する」でした。
今回、宣教が許されている地域と許されていない地域に行かせて頂いて、その大きな違いを痛感させられました。許されている地域では、様々な霊的闘いがありながらも、各村に教会があり、○○族の牧師先生方がいらっしゃり、その中から他の地域へ宣教に行かれる方が起こされ・・・と宣教の働きが前進している様子を垣間見させて頂きました。反対に、許されていない方の地域で私達が教会堂を見たのは一回だけ、それもごく最近建てられたというものでした。また、貧しい村も多く、人々が所在無げに集まって過ごしているように見受けられた所もありました。そんな中でも、子供達の姿に励まされました。子供達にたくさん言葉を教えてもらったり、赤ちゃんを抱っこさせてもらったりしました。学校は一応建物はありましたが、授業が行われている様子はその時はありませんでした。病院など、もちろんありません。そんな中で、ある場所ではどんどん開発が進められていました。子供達の将来はどうなっていくのだろうと思わされます。この働きをしていらっしゃる今回私達を迎え、導いてくださった方々のチームの働きのために祈ります。
私自身に何ができるのだろう、所詮何もできないのでは?などとふと思ってしまいますが、祈りつつ自分が主にあって関われる道を求めていきたいと思います。事故にも逢わず、健康も何とか支えられました。お祈りを心から感謝します。この地域の主の働きが主にあって前進していきますように・・・
短期宣教旅行での恵み A.B.
[メコン川流域祈りの旅] OMF日本委員会主事 佐味湖幸
7月27日から8月9日まで、メコン川流域の3カ国を訪問しました。B国では、A.B.姉と私(佐味)が、途中L国から谷淵麻子姉が加わり、行く先々でそこで働く主の働き人たちに助けられ、この旅を行うことが出来ました。祈りの旅は、宣教が規制されている国や困難な国、また地域に行って、そこでの宣教の働きのために祈るものです。そのため、実際の国名や人名をふせていますことをご了承ください。どこでも、主の働きが様々な形で進められていることに大きな励ましを受けました。また、働き人がさらに必要である現状を見てきました。収穫の主にさらに、働き人を送って下さるように祈りつつ。
私は今回の旅行で、東南アジアの三カ国に、約1か月間の滞在させていただきました。私は、ニュージーランドでの語学研修を終えて、そこから日本に戻る前にこの旅行に参加したため、日程の都合で日本から来る方々より20日間早く、一人で現地に降り立ちました。日本からのチームを待つ間、スーツケースの鍵をなくしてカバンが開けられない事件や、B国ビザ取得のために予定より随分長く待つことになったり、T国滞在中に鼻水と咳がかなりひどくなり、病院でレントゲンを撮ってもらったり、旅のはじめに思いもよらなかった出来事がいくつかありました。しかし、これらの中でも、多くの方々の祈りに支えられて主の助けと御手を確かに感じながら守られて旅を続けることができました。そして、最終的には、それらもすべて、感謝の出来事に変えられていきました。私の小さな計画の中では、想定外の事が多々起こりますが、神様にとって想定外の状況はないのだと、主の広さを教えて頂いたようでした。
また、今回は祈りの旅ということで、おもに祈ることが私たちの奉仕という旅だったと思います。祈りの歩行をしながら、周囲の空気を感じながら、主がその場で祈らせて下さることを祈りました。何を祈って良いか分からないこともたくさんありましたが、祈り始めると神様が、その所々で祈りを与えてくださって祈らせてくださったという実感がありました。また、ある時は、一人で祈っていても多くの聖徒たちと一緒に祈っているように思え、背後の祈りのサポートの力強さを感じました。社会的にも閉ざされたように見える村々、偶像を熱心に拝んでいる人たち、霊的に覆われていて内部に大きな戦いがある教会・・・目に見える状況に希望が見えないように思えても、それら一つ一つを主の前に差し出して祈っていく時に神様がこの状況を知っていてくださるのだから大丈夫だという主にある希望をいただきました。神様が人々に届いてくことを諦められないお方ですから、私もその神様の熱心と御愛に合わせられてゆきたいと祈りました。
そして、私にとってこの旅を通して、最も強く印象に残ったのは現地での働き人たちの姿です。それぞれの働いている環境や分野、経験年数も様々でしたが、それらの方がたと時間を共にする中で、お一人ひとりを神様が呼ばれてそこにおられるのだと感じました。私は正直なところ、国々の状況を見たときに、いろんな違いに心が向いて、抵抗を感じたこともありました。国のルール、マナー、衛生観念、食事など、日常生活の違いを楽しむことと共に、それらをストレスとも感じました。しかし、そこに入って行き、住み、現地の人のようになって生きて、主に仕えておられる働き人の方々を見た時に、それはイエス・キリストの福音が人間にとって唯一の救いであることの証だと思いました。人に認められるため、褒められるためでなく、自分の好みでもなく、激しい霊的戦いや誤解や困難があるとわかっていても、神様が導かれた地に出て行って、また、そこに留まってイエス・キリストの福音を伝えるのは、やはりそれが唯一の真理であるからなのだと強く思いました。そして、主の御霊が、それぞれの方を捕えて導いておられるのだと思いました。その姿を見て、私は自分の弱さを実感しながらも、それでもやっぱり神様が導いて下さるところで、主にお仕えしたい。宣教のために使っていただきたいと願い祈りました。神様がそう祈らせて下さったと感じました。最後に、旅全体を振り返って確信したことは、宣教は活ける真の神様が先頭に立ってなしてくださっているということでした。この主に対して私はどう応答するのか、天の父に祈り、主に完全にお従いすることができるようにと願っています。 主に栄光がありますように。
「この方以外には、誰によっても救いはありません。天の下でこの御名のほかに、私たちが救われるべき名は人に与えられていないからです。 使徒4:12」