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2010年AFMC(Asian Frontiers Missions Conference)に参加して  大林 恵子

アジア・フロンティア宣教大会(AFMC)2010
数年に一度、OMFのアジアホームサイドが主催して行われる宣教大会がAFMCである。今回は、マレーシアでその6回目。アジア諸国から330人を超す参加者があり(日本から9名)、宣教についての聖書からのメッセージとアジア各地で行われている宣教の最前線の報告やセミナーが行われた。「あなたは一度しかない人生をどのように生きるのか?」参加者全員に投げかけられたチャレンジであった。 佐味湖幸

 私の心に残るあるたとえ話がある。「大きな土地をもつ主人が、雇っている農夫に‘すべての土地を私が帰ってくるまでにたがやしておくように’といった。しかし農夫たちは土地が広いので全部たがやすことより土地の一部を懸命に耕し、手入れをし作物をうえた。主人が帰って来た時、農夫たちは自分たちの仕事をみせたが、主人は‘おまえたちのしたことは私の命令ではない。私はすべての土地といったはずだ」 こんな内容だった。主の宣教命令に対し私たちの陥りやすい応答に対する警告?のたとえ話であった。・・・宣教の状況はどうなのだろう?自分には何が求められているのだろう? そんなことを思い参加した。

 プログラムは大きくは、礼拝、メッセージ、集会と分科会であった。メッセージや全体を通して私に語られたのは「あなたはどうしてここにいるのか?」「あなたは何のために生きているのか?」であった。私は医療者であるが、クリスチャンである自分と他の医療者に差をみつけられずむなしく思うことが増えた。それは自分がよく思われることに焦点がいき、どうして生きているのかを見失っていたからだと気付いた。分科会は、4つ出席したが、宣教師を送り出す教会になるには・・・という内容のものが興味深かった。他も、クリスチャンの働きとして教会にとどまるだけでなく、社会の中で主の働き人としてどう証ししていくか・・・というものが多かったように思う。働きに共通していえるのは、「祈りとヴィジョン」ではないかと思う。具体的にどうしたかという証しも多くきけ、興味深かった。また機会があれば分かち合いができればと思う。
 最後に、今後このようなカンファレンスや海外への旅行になぜいくのか・・どう人に勧めるか・・と問われれば・・・‘everyone be ambitious in Jesus Christ !!(すべての人よ。イエス・キリストにあって大志を抱け!)’ということかなと思う。一人では全世界に届くことはできないが、みんなが手をとりあえば可能だと思う。そうして世界で主のみわざがなされているのを感じる時、感動する。自分は小さくても、祈りながら、おかれているところで忠実に生きるなら世界の宣教の一部なんだと思うとわくわくする。日常は忙しくて、主にあるヴィジョンを失いやすい。他国で感じること、語られる主の御声もある。今回の旅で(小さな)願いもできた。祈りながら、主の働き人として歩んでいきたいと思う。

AFMC2010の証詞  SM

アジア・フロンティア宣教大会(AFMC)2010
数年に一度、OMFのアジアホームサイドが主催して行われる宣教大会がAFMCである。今回は、マレーシアでその6回目。アジア諸国から330人を超す参加者があり(日本から9名)、宣教についての聖書からのメッセージとアジア各地で行われている宣教の最前線の報告やセミナーが行われた。「あなたは一度しかない人生をどのように生きるのか?」参加者全員に投げかけられたチャレンジであった。 佐味湖幸

 神様は、いつでも、配慮に満ちた、温かいことをなさいます。AFMCについては友人からのEメールで知らされました。今年の秋から新しい場所で働く準備をしていたこともあり、タイミングが良いので参加してみよう、と申し込みました。しかし、参加してから「これは神様が準備してくださった、重要なオリエンテーションだったのだ」ということを知りました。受けた恵み一つ一つを思い返すと、それぞれが重い意味を持って迫ってきます。300人余りのアジアの兄姉達と4日間を共に過ごしながら、アジア人がアジア人への宣教に熱く燃える時代がきていることを肌で感じました。その中で、日本というアイデンティティー、自分の置かれている立場・背景をユニークに使って下さる神様にお委ねするということを促されました。これからの働きについても、主が共に行って下さること、そして、結果は思いわずらわず委ねることを、教え始めてくださったように思います。また分科会や、食事のテーブルでのお交わりの中では、異教の地でまさに命と人生をかけて主イエスを証している兄姉方の証をきくことができ、心に迫るものがありました。宣教の畑で奉仕してこられた方々と個人的にお話することができ、孤独な戦いの中にあっても、御言葉との時間を値高く大切にすることを教わりました。神様の大きな救いの計画の中の自分であり、自分の出来・不出来よりも上に、神様の召しがくるということを、繰り返し繰り返し、忍耐強く主が語ってくださいました。向かう働きについて、祈りの友を与えられたことも大きな励ましです。これから、イエス様の十字架と、兄姉の祈りを、どこにいても変わらないリアリティーとして歩んでいきたいと願っています。今回、AFMCに参加できるように助けて下さったお一人一人に感謝しつつ。

「まことに、水が海をおおうように、
 地は、主の栄光を知ることで満たされる。」 ハバクク2:14

AFMC2010に参加して  諌山 由紀子

アジア・フロンティア宣教大会(AFMC)2010
数年に一度、OMFのアジアホームサイドが主催して行われる宣教大会がAFMCである。今回は、マレーシアでその6回目。アジア諸国から330人を超す参加者があり(日本から9名)、宣教についての聖書からのメッセージとアジア各地で行われている宣教の最前線の報告やセミナーが行われた。「あなたは一度しかない人生をどのように生きるのか?」参加者全員に投げかけられたチャレンジであった。 佐味湖幸

主の御名をあがめます。
AFMC2010に参加することがゆるされた恵みに心から感謝します。今回のカンファレンスを通して受けた学びとチャレンジを2つお分かちしたいと思います。
<Mission is Relationship(宣教は人間関係)>
AFMC参加前、その国に住む友人の家に3日間滞在しました。私にとって初めてのムスリムの友人で、家族ともにとても敬虔なイスラム教徒でした。キリスト者として証しとなるようなふるまいをしなければと意気込んでいた私は、どのような言葉と態度によって彼らに証しすることができるのだろうかということばかり考えていました。主との交わりの中では私が求めていた答えは見出せませんでした。しかしひとつ主から語られたことがありました。それは、「彼らと楽しく過ごしなさい
ということでした。
AFMCで参加したイスラム圏伝道についてのワークショップの中で、スピーカーが興味深いことを言いました。「Mission is Relationship(宣教は人間関係)」。この一言が私の心に響きました。私は大会前の友人の家での滞在を思い起こしました。私が祈り求めたとき、なぜ主は何かをするようにとではなく「楽しく過ごしなさい」と言われたのかがわかりました。私が彼らを自分の隣人とするためだったのです。親しき関係を持つことによって相手を隣人として想うことができ、相手を愛するゆえに、彼らの救いを心から祈りに覚えられていることに気がつきました。
Relationshipとは、単なる「出会い」に終わるものではありません。言葉が意味するとおり、結びつき、関わり合いのことなのです。そしてMissionとは、出会った人々に言葉として福音を語るに終わる働きではなく、愛によって結びあわされる関係が必要なのです。つまり、Relationshipを持つことは、主の愛を分かち合うMissionの入り口なのです。私は、弱さもあり、人との関係を築くのがとても苦手です。時には意図的に避けてしまうほどです。しかしRelationshipなしにMissionに関わることはできないのだと体験を持って気付かされ、今後のチャレンジとして受け取りました。
<Frontiers ―宣教の最前線―>
アジア各国からさまざまな背景を抱えた兄弟姉妹が集ったAFMCでは、時には交わりによって、時には人づてに、お一人お一人の置かれている状況を知る機会が多くありました。私たち日本人には想像さえ難しいような環境におかれている兄弟姉妹の分かち合いを耳にしました。しかし私は、それを何も感じずに聞いている自分に気がつきました。
私は現在専攻している農村開発という学びのために、宣教が難しいような地域出身のクリスチャンと知り合うことがあります。彼らは、キリスト者であるがゆえに受ける迫害や投獄、政治的な弾圧などの状況を分かち合ってくれます。こうした情報を日常的に耳にすることができるようになった私は、AFMCでの兄弟姉妹の分かち合いを、まるで聞きなれてしまった事柄かのように受け取っていました。私の個人的な人生の教訓には、人の痛みとは比較できるものではない、ということがひとつあります。にもかかわらず、兄弟姉妹の痛みと祈りとを「似たようなこと」という枠で括ってしまっていました。宣教の尊い働き一つ一つに目を留められていない自分に気づかされました。それでいて、自分は世界宣教に関心を持ち、祈っていると考えていました。宣教の働きに直接的に関わる思いはまだ与えられていませんが、それに近い働きへ召されたいと願っています。今回、自分の宣教への向き合いかたを見直させられました。同時に、大きな霊的な成長の余地をも感じさせられました。具体的に形として働きに関わる前に気づかされてとてもよかったです。

AFMCに参加して  日本アッセンブリーズ・オブ・ゴッド教団インターナショナルファミリーチャーチ 比嘉 めぐみ

アジア・フロンティア宣教大会(AFMC)2010
数年に一度、OMFのアジアホームサイドが主催して行われる宣教大会がAFMCである。今回は、マレーシアでその6回目。アジア諸国から330人を超す参加者があり(日本から9名)、宣教についての聖書からのメッセージとアジア各地で行われている宣教の最前線の報告やセミナーが行われた。「あなたは一度しかない人生をどのように生きるのか?」参加者全員に投げかけられたチャレンジであった。 佐味湖幸

全く知らない世界がそこにあったこと。自分はなんて無知で、世界のフロントライン(最前線)で起こっていることを知らないのだろう、と思いました。会場となるホテルに着いた後、すぐに他の日本人参加者と会いましたが、一人はこれからB国に医師として働く予定でイスラム教の人々に重荷を持っている方、もう一人は18歳の女の子でアジアを一人で駆け回り、いつも神様のみこころを求め常にアンテナを神様に向けている方でした。私も大会参加前にタイの短期宣教に参加したり、単身アメリカやフィリピンなどに勉強に行きましたが、これまで聞いたことも会ったこともないような方々と早々にお会いして衝撃を受け、日本にもこんな方たちがいるのだということにとても驚きました。
大会でも様々な国の方々と話す機会が与えられ、また自分の視野を広げて頂きました。福音を伝えるのが見つかれば殺されてしまうと言っていたP国の人、両親が死んで自分には何もないが神様は常に自分と共にいて見捨てないと言っていた若いカンボジア人、夫婦で自国の地方宣教ために新たに言語を学んでいたフィリピン人など、話し始めてみるとそこには世界各国の現状と、一人ひとりに働かれる神様の素晴らしい御業を見ることができました。メッセージや証の中でも宣教の緊急性や現地の必要を教えて頂きました。少数部族のために出て行って言葉を学び、その人生をその人々に捧げる宣教師や、―50度の世界に住む民族に福音を伝える人、地図を広げて神様に道を示して頂きながらジャングル奥地へ宣教地を進めようとする人、言葉がわからないのに自分しか福音を伝える人がいないため出て行く人、29歳ながら政治に参加し神の御心を行おうとする人、ビジネスを神様の方法で運営し各業界のトップに証しする人。世界で起こる宣教現場とその戦いを聞きました。
私たちは日本という閉ざされた島国でクリスチャン生活を送っていますが、世界では本当に命をかけて今も最前線で戦っている宣教師やクリスチャンが多くいることをあまり知らない気がします。AFMCは私の視野を大きく広げてくれる大会となりました。すぐに海外宣教に行くというわけにはいきませんが、日本もまた福音が届いていないミッションフィールドですので、自分の今置かれている場所で精一杯主を証しして生きていきたいと思います。
日本に帰る前、帰国して普段の生活や元いた環境に戻ることを考えたら、せっかく目が開かれて熱く燃やされても周りの環境に押されてそれらがなくなってしまうのではという不安も覚えましたが、神様はヨシュア記1:5~9を通して私を力強く励ましてくださいました。これから自分の教会のメンバーに受けた恵みを分かち合い、彼らにもチャレンジして、共に宣教のフロントラインで神様の素晴らしい御業を見る者になっていきたいと思います。

「…あなたの一生の間、だれひとりとしてあなたの前に立ちはだかる者はいない。わたしは、モーセとともにいたように、あなたとともにいよう。わたしはあなたを見放さず、あなたを見捨てない。 強くあれ。雄々しくあれ。わたしが彼らに与えるとその先祖たちに誓った地を、あなたは、この民に継がせなければならないからだ。 …わたしはあなたに命じたではないか。強くあれ。雄々しくあれ。恐れてはならない。おののいてはならない。あなたの神、主が、あなたの行く所どこにでも、あなたとともにあるからである。」

私たちはどんなことがあっても、どうにかしてイエス・キリストの福音を人々に伝えなければいけません。私は弱くて何も誇れるものがない人間です。しかしいつも共にいてくださって力強く押し出してくださる神様と共に、人々に希望を与える素晴らしい宣教の働きに参加していきたいです。

AFMC2010に参加して  中尾 敬一

アジア・フロンティア宣教大会(AFMC)2010
数年に一度、OMFのアジアホームサイドが主催して行われる宣教大会がAFMCである。今回は、マレーシアでその6回目。アジア諸国から330人を超す参加者があり(日本から9名)、宣教についての聖書からのメッセージとアジア各地で行われている宣教の最前線の報告やセミナーが行われた。「あなたは一度しかない人生をどのように生きるのか?」参加者全員に投げかけられたチャレンジであった。 佐味湖幸

このカンファレンスで一番心に残っているメッセージは「教会は宣教によって励まされる必要がある」というものでした。

アジア・アフリカで主の働きが広がっており、今後さらに広がっていく。このAFMCは宣教最前線を見るカンファレンスです。各集会や分科会を通して、アジアで主の働きが広がっている様子を見させていただき、アジアのクリスチャンたちを共に主を礼拝し賛美することができました。本当に恵まれた4日間でした。もちろん日本でいくつかのニュースは耳にすることはできました。しかし、AFMCでの恵みは日本では知ることのできない感動と喜びでした。
その中で「教会は宣教によって励まされる必要がある」というメッセージが心に留っています。日本の教会はいまアジアで何が起こっているのか知っているでしょうか。私は黙っていていいのだろうかと問われました。
私たちの隣人が祝福されるのは私たちが神の栄光を見るためです。私たちが祝福されるのは私たちの隣人が神の栄光を見るためです。
日本に帰ってから、悪いニュースを見ました。アフリカのある国で土着の悪霊信仰と結びついた教会(異端の教会)が残酷なことを行っているというものでした。こんなニュースは一般のテレビで流れているのに、私たちはアジアの国々で福音を受け入れ罪の世界から解放された人々の喜ぶ姿をほとんど見聞きしません。それは確かにあるのに!私はその姿をAFMCの中で見せていただきました。迫害の中でも霊的な戦いの中でも、神様にあって勝利し主を礼拝している人たちの姿です。主は生きておられる。主の働きは闇の中に輝いて、広がっています。
まるで日本だけが取り残されているように感じました。本当に日本の教会のために祈らなければいけない、そして伝えなければならないと思いました。
宣教によって日本の教会を励ましたい。これがAFMCを通して私にともされた火です。

AFMC2010に参加して  M・S

アジア・フロンティア宣教大会(AFMC)2010
数年に一度、OMFのアジアホームサイドが主催して行われる宣教大会がAFMCである。今回は、マレーシアでその6回目。アジア諸国から330人を超す参加者があり(日本から9名)、宣教についての聖書からのメッセージとアジア各地で行われている宣教の最前線の報告やセミナーが行われた。「あなたは一度しかない人生をどのように生きるのか?」参加者全員に投げかけられたチャレンジであった。 佐味湖幸

 大会が終了して何日かが過ぎましたが、その中で強く心に残っていることは、神様の恵み、人との出会いと交わりです。また、何気なく持参した2つのものが、現地にて初対面の青年に両方とも用いられるという、私にとっては驚くべき体験も与えられるという恵まれた集会でした。
 参加のきっかけは、OMF宣教ニュース2010年4月号に掲載された佐味姉の祈りの課題「8月26~29日までマレーシアで行われる「アジア・フロンティアズ・ミッション・カンファレンス6」という宣教大会に日本から多くの若者が参加できるように。」の記事でした。
 アジアから約10カ国、全体参加者335名、そのうち10代16名、20代77名、30代45名という若い世代がいました。宣教師を目指す若いエネルギーが会場に満ちていました。参加者がキリストの弟子として、日を追うごとに民族、世代、性別等の違いに関係なく語り、祈り合う光景は、なんと素晴らしいものでしょうか。あらためて主に在る者としての幸いを実感しました。残念だったのは、英会話が不十分な者としての参加だったことです。十分に話すことができたなら、まさしく世界は広がったことでしょう。朝と夜に持たれた全体集会と最終日の礼拝、また2日目と3日目の午前と午後の計4回の分科会では、日本OMFスタッフの菅家兄、佐味姉が通訳して下さいました。
 分科会は、全部で10余り。私が参加した4つの分科会のテーマは、ビジネスを宣教に用いることについて、教会を生み出す教会について、少数民族の権利について、そして仏教と福音についてでした。
 講師は、最前線で活躍されている方々で、ビジネスではアメリカ出身の年配の女性、少数民族のコーディネーターは中年の男性弁護士、仏教では1975年から30年以上をタイで宣教されている男性でした。
 全体集会が始める前には、約20分間の讃美があり、何組もの若いバンドチームがリードしてくれました。スクリーンに表示された歌詞の一節に目が留まると同時に、急に込み上げてくるものがありました。それは主から、「お前は、どうなんだ?」と問われたからでした。
 讃美の次に、各国の人たちの証がありました。地元マレーシアの30代の女性政治家は、「マレーシアの政界は、清い人を求めています。」と、また津波で大被害に遭ったある地域に5年間宣教していた獣医師は、「イスラム教徒の中での働きで難しいことは、イスラム法があること。そしてもっと多くの人にこの地域に来て働いて欲しい」と語ってくださいました。
 全体集会では、マレーシアのイバン族(元首狩族。キリスト教の普及他によりその風習がなくなる。)で10年間奉仕された方、16年間モンゴルで奉仕された方は、1991年クリスチャン人口5人が、2010年には、5万人となり、弟子訓練と神学教育が必要とのことです。1日の平均給与は2ドル、70%の犯罪はアルコールに関係しているとの紹介がありました。1987年から、香港、中国そして日本で宣教師として働かれ、現在はディアスポラミニストリーをされている方は、日本人が海外でクリスチャンになる確率が高いという話もありました。
 帰国したその週の土曜日の夜、OMF祈祷会に参加する機会に恵まれ、ちょうどその夜は、菅家姉が出席され、1枚のDVDを持参されていました。1908年、イギリスから中国の少数民族であるリス族に福音を伝えたフレーザー師の宣教を描いた内容です。苦難のなかで宣教を支えたのは、師の母親を中心とした祈りの友人たちであったことや、またご子息のインタビューで「・・・神は私たち一人一人を目的をもって創られました。私たちがその目的を果たすように願っておられるのです。・・・」の言葉が印象的です。本編(36分間)の映像とは別に数分間、青年たちの活動を描いた「アジアを救え」は、今大会の様子と似かよった映像も収録されています。是非ご覧下さい。
 大会終了の翌日、マラッカを観光しました。約460年前日本にキリスト教を伝えたザビエルが滞在していた場所です。彼が過ごしたセント・ポール教会は、既に廃墟となっていましたが、その情熱は今も脈々と流れているのを感じた集会でした。

タイ短期宣教プログラムに参加して教えられたこと  桒田 学

タイ短期宣教プログラム
猛暑の今年8月、桒田学さん、比嘉めぐみさん、三木真結実さん、吉岡時子さんと私(佐味)は、雨季のタイ・バンコクへ短期宣教の旅に行ってきました(8/5-8/25)。現地で私たちを迎えてくださったのは、ブラジル、ウルグアイからの宣教師チーム。謙遜で暖かな人柄とイエス様とタイ人を心から愛して仕えるその姿に深く教えられました。プレイヤーウォーク(祈りながら町を歩くこと)や子供の集会、婦人集会、礼拝で賛美、劇、ダンス、日本食や折り紙教室など、様々な賜物を用いて奉仕しました。参加した一人一人が神様に色々なことを教えられ、変えられた旅でした。佐味

宣教師の方との触れあい
この短期宣教において一番の恵みは宣教師の方々と触れあえたことでした。その成熟した人格、霊性の高さはイエス・キリストを思い出させました。穏やかなのですが、ユーモアも持っておられ、私たちを楽しませてくださいました。また、能力的にも高く、いくつもの言語を使いこなされ、また地域のことをよく調べておられました。
他にも、彼らの受けている霊的戦いや霊的な経験も聞かせてもらいました。彼らの払っている犠牲も知りました。タイという文化の違う中で、言葉の違いや、言語の学びというストレスの中にあること。自分の母国語(ポルトガル語)以外に、英語、タイ語を学ばなければならないこと。彼らは居心地のよい自分の場所(母国、母教会)から離れてタイに来ている。ある人は婚約者と別れ、ある人は付き合っていたクリスチャンとの女性との関係を清算しなければなりませんでした。
また、彼らの信仰が生活の一部となっておられる姿を見ました。車の中で女性の一人がおなかが痛くなりました。私とテルシオさんは一番後ろの座席に座っていたのですが、そのことを聞いた時、すぐに手をかざして神様に祈っていました。そして、車から降りた後、その女性に大丈夫かと気遣って声をかけていました。信仰が生活の一部になっている姿から影響を受けました。

タイでの奉仕
タイのバンコクでさせてもらった奉仕は、大きく分けて二つあります。ひとつはプレイヤーウォークであり、町の中を町のために祈りながら歩くというものです。もう一つは、集会の手助けです。子どもたちの集会、婦人たちの集会、日本語教室において、日本の文化をタイの人たちに紹介しました。

プレイヤーウォーク
教会に地図が貼ってあり、ある地域に色がつけられていました。私たちはその地域に行って、プレイヤーウォークをしました。彼らは祈りに行く地域のことを教えてくれました。彼らはその地域をよく調べていました。この地域にはこのような経済状況の人たちが住んでいて、家やアパートの値段はどれくらいであって、何人くらいの人たちが住んでいる。また、イスラム教の人たちが多い地域であるなど。そして自分たちはこの地域で子供たちの集会をしようと思っている。そのためにはこの地域のリーダーの人たちとコンタクトをとれるように(リーダーの許可なしには集会を開くのは難しい)、また神様に心を開く人に出会わせてくださるように、また自分たちはここでは何のアイデアもないのでそのために祈ってほしいなど。調査されているので、祈りが具体的でした。ということは祈りの応えも具体的に見えるのではないかと思いました。
この時に、では自分は自分の教会の周りのことをどれだけ知っているのだろうと思いました。そうした時にほとんど知らない自分の姿を知りました。このように、調査をして知るということもとても大事だと思いました。
なぜ、子どもの集会なのか。子どもは警戒心なく心を開いてくれます。大人は警戒して難しい。子どものうちからイエスさまを信じてほしいのもあるし、子どもが来ることでその保護者も来てくれる。集会はその保護者のためでもある。それも教会の中で集会を開いて連れてくるのではなく、教会の外で誰かの家や場所を借りて、集会を持とうとする。タイでのクリスチャン人口は1%。初めての人にとって教会に来るというのはとても大変なこと。だから自分たちが出て行って集会を持とうとする。日本ではどうしても教会に誘うという発想になってしまう。しかし違う視点、考え方があることを教えられました。

プレイヤーウォークでの洞察
祈りながら町を歩く中で、ただ歩いているだけでは分からなかったであろうことが教えられました。スピリットハウスが家の中にあり、町の入り口や中心には大きなスピリットハウスがありました。この中に霊が住んでいると考えられています。私が感じたのは、このようなスピリットハウスとは、目に見えないものや、目に見えない世界が、目に見える形として現れているものではないかということでした。そしてその地域を目には見えないが支配しているのではないかということでした。

視野が広がる
海外に行くと、日本で当たり前のことが、海外で当たり前でなく、海外で当たり前のことが、日本では当たり前ではありません。(食事、服装、トイレ、言葉、建物、宗教など色々)だから、海外からでしか見えない日本というものがあると思います。日本を違う視点から見ることができます。日本の中にいては分からないことだと思います。
このツアーで視野が広がったと同時に、自分の視野の狭さに気づかされました。また、自分の能力の足りなさと必要を感じさせられました。

タイ短期宣教プログラムの証  比嘉 めぐみ

タイ短期宣教プログラム
猛暑の今年8月、桒田学さん、比嘉めぐみさん、三木真結実さん、吉岡時子さんと私(佐味)は、雨季のタイ・バンコクへ短期宣教の旅に行ってきました(8/5-8/25)。現地で私たちを迎えてくださったのは、ブラジル、ウルグアイからの宣教師チーム。謙遜で暖かな人柄とイエス様とタイ人を心から愛して仕えるその姿に深く教えられました。プレイヤーウォーク(祈りながら町を歩くこと)や子供の集会、婦人集会、礼拝で賛美、劇、ダンス、日本食や折り紙教室など、様々な賜物を用いて奉仕しました。参加した一人一人が神様に色々なことを教えられ、変えられた旅でした。佐味

 私はこのプログラムに参加し、もう一度自分の人生を神様に明け渡し、献身を決心することが出来ました。この旅行で多くの素晴らしい人たち、宣教師たち、タイの方々、一緒に参加した仲間そして佐味先生と出会えたことを感謝しています。
 一人暮らしに慣れた者としては、このようなチームの中で、一人になって静まったりする時間がなかなか取れなかったり、いつも他の人と一緒に生活することは大変でした。
 この旅行に来る前は、その後どうするか何も決まっていなかったのですが、今は、神様が自分の教会、地域に留まって、そこで主に仕えるように導いておられると感じます。将来的には宣教師になって海外で主に仕えたいと願っています。牧師と相談して、教会の中で、伝道チームや将来、私たちの教会から送り出される宣教師たちをサポートするチームを作ったりできたらと考えています。
 今回、この旅で多くの方々と出会い、多くのことを学べたのは、教会の方々の祈りとサポートがあったからです。多くの人が犠牲的に時間と財を捧げてくださいました。彼らは、海外に行くことなくして、宣教の業に一緒に参加してくれたのです。そのことを感謝します。

タイでの再献身について  三木 真結実

タイ短期宣教プログラム
猛暑の今年8月、桒田学さん、比嘉めぐみさん、三木真結実さん、吉岡時子さんと私(佐味)は、雨季のタイ・バンコクへ短期宣教の旅に行ってきました(8/5-8/25)。現地で私たちを迎えてくださったのは、ブラジル、ウルグアイからの宣教師チーム。謙遜で暖かな人柄とイエス様とタイ人を心から愛して仕えるその姿に深く教えられました。プレイヤーウォーク(祈りながら町を歩くこと)や子供の集会、婦人集会、礼拝で賛美、劇、ダンス、日本食や折り紙教室など、様々な賜物を用いて奉仕しました。参加した一人一人が神様に色々なことを教えられ、変えられた旅でした。佐味

私は8月5日から25日まで、3週間タイでの短期宣教を通して様々なことを得、又、学ぶことが出来ました。現地の宣教チームの姿、伝道に対する思い、それぞれのバックグランドや神様からの召しに対する応答。彼らの姿勢から、神様が本当に彼らを召され、選ばれた事が御心であり、ご計画である事を知りました。主に信頼し、自分たちが完全でなくても、出来るところから少しずつ始め、何よりも神様の前にへりくだっている姿が私には見習うべきことであると思わされました。
私自身、この3週間の期間に自分自身の弱さをとことん示され、神様に何度もへりくだりなさいと語られました。そして自分の与えられているものをまず当たり前と思わないで、それを積極的に用いなさいと、マタイ25章のタラントのたとえ話の所から語られました。私という人間は他にどこにも存在せず、唯、主が私を胎内で形造られる前から知っておられたとイザヤ書にあるように、神様は私を形造る前から既に計画されていたということを知ったときに、私は自分が神様の前にゼロになって、ひざまずき、私自身をお捧げします、と祈りました。
又、引率の佐味先生から尊いお言葉を頂きました。それは、「イエス様の十字架はあなたがいつも罪を犯したときにそこに持って行って赦していただける所なのよ。」という言葉でした。これまで自分を責めてばかりいましたが、先生のおっしゃられた事を聞いたときに心が解放された思いがしました。私にはイエス様という既に勝利を収められた方がいる。そして私の弱さは神様の強さによって変えられることを信じました。
私という人間が、イエス様の証人となれるよう、又、地の塩、世の光となれるよう、そして弱さを強さに変えていただけるよう、日々、一歩一歩、主にあって成長していきたいです。

タイの証  吉岡 時子

タイ短期宣教プログラム
猛暑の今年8月、桒田学さん、比嘉めぐみさん、三木真結実さん、吉岡時子さんと私(佐味)は、雨季のタイ・バンコクへ短期宣教の旅に行ってきました(8/5-8/25)。現地で私たちを迎えてくださったのは、ブラジル、ウルグアイからの宣教師チーム。謙遜で暖かな人柄とイエス様とタイ人を心から愛して仕えるその姿に深く教えられました。プレイヤーウォーク(祈りながら町を歩くこと)や子供の集会、婦人集会、礼拝で賛美、劇、ダンス、日本食や折り紙教室など、様々な賜物を用いて奉仕しました。参加した一人一人が神様に色々なことを教えられ、変えられた旅でした。佐味

8月5日から26日まで、タイの短期宣教プログラムに参加しました。行った所はブラジルとウルグアイからの宣教チームが開拓伝道をして5年ほどのバンコクのランカムヘンというところにある教会でした。全部で20人ぐらいの小さな教会でした。
このプログラムに参加してよかったことは、そこにいる宣教師とともに時間を過ごすことで、宣教師の視点でタイの国が見たことです。それは例えば、隣人との接し方、町ですれ違う人との接し方、その村に対しての視点です。宣教師たちは、いつもopen mind です。また、Prayer walk(祈りながら、村を歩く)などを通して、自分の場所、家にとどまって祈るだけでなく、出て行っています。また、その村に対して、よく状況を把握しています。常に人々に対して、愛と祈りを持ち、救いへの思いをもっています。自分がクリスチャンであることを隠していません。このことは私にとって、大きな影響を与えました。
また、日本の教会を外から見ることで、様々なことに気づかされました。「不信仰によって神さまの働きをさまたげている」ということを学びました。日本では、霊的な世界を無視してしまう傾向があることに気づかされました。「エペソ6:11悪魔の策略に対して立ち向かうことができるために神のすべての武器を身につけなさい。」とあるように、今もサタンと神の国との領域の中で、霊的な戦いがあることを知りました。
また、行った先のブラジル人の宣教師の中で、元プロサッカー選手でサッカー伝道をしている人と出会いました。その人と出会ったあるタイ人は、その宣教師と出会う前に、手に聖書、もう片方の手にサッカーボールを持った人を見たそうです。このような不思議な証を聞いたとき、神さまは私たちが理解することは難しいようなことを通しても、救いへと導くことができるお方なのだと感じました。
日本から行った私たち日本人チームは教会などで、奉仕をしたり、朝は先ほど書いたように、prayer walk をしたりしました。またその他の日は、教会員の方の家で子供の集会をしたり、また日本食のクッキングクラスをしたりと、様々な活動をしました。言葉が通じないということで様々な困難を感じました。しかしそれと同時に言葉は通じなくとも、コミュニケーションはできるということを学びました。
タイを通して、様々なチャレンジを受けました。Prayer walkなど、日本でもしたいと思っています。

2010年5月 短期視察旅行 証  SK

今回、主の導きによって、某国での働きを視察すること、奉仕することが許されましたことを感謝します。1週間の短いトリップでしたが、主がたくさんのことを語りかけてくださり、そして神様に砕かれる経験をすることが出来ました。私が主によって与えられたチャレンジを、この場を借りてお分かちさせていただきます。

1. 本当の福音って?
ある宣教チームは、福音を伝えるきっかけとして、町の中で近所の人たちと関係作りを始めていました。そこの町の人たちは現地の習わしで特定の食べ物を食べません。それらの食べ物を食べる人に対して、現地の人は汚れているとの印象を持つとのことでした。ですから、そこで働く宣教師たちは、彼らに合わせて自分たちもそれらの食べ物を食べないことにしていました。
はじめにその話を聞いたときには、それが彼らにとって神様を受け入れることの妨げになるのなら、それは正しいことなのだろうと思いました。しかし、数日して考え直す中で、主の福音は彼らのそういった習慣や習わしからさえも、彼らを解き放ってくださる福音ではないかと思いました。確かに今の時点では、彼らにとって妨げになることをしないことは正しい選択でしょう。しかしいずれ、彼らが神様にお出会いするときに、古い習慣からも解放されるように、主の自由を彼らが知っていくことが出来るように励ましていかなければならないと思うのです。なぜなら、彼らにとっての福音が、特定の食べ物を食べないものであり、「食べる人」を裁くものであれば正しい福音が伝わっているとはいえないからです。福音は、全ての古い習慣や習わしからも私たちを解放してくださるものと信じます。
福音を伝える際に、どこまで現地の文化に合わせるのか、そしてどの部分は絶対的な福音であり妥協するべきではないのか、正しく見極める必要があると感じます。そのためにも、私自身が今後宣教師として奉仕をしていくために、主の福音を正しく理解していく必要があると深く語られました。

2. 最も貧しい者として
また都市部のスラムに住む人たちに福音を伝える働きの紹介をしていただき、いくつかのスラムを訪問する機会が与えられました。スラムの本当に厳しい生活の状況を見て、胸が痛むと同時に、1日だけここに来て彼らの生活を覗いているという現実に、罪の意識さえ感じました。もし自分の家に海外から人が来て生活だけ覗いていって何もせずに帰って行ったとしたらどう感じるだろうか、と考えさせられました。
また、ひとりのおばさんが私たちに食べ物を出してくださいました。彼女自身が貧しい状況の中にいるにもかかわらずです。しかし私は手渡された食べ物に口をつけることが出来ませんでした。ここでこれを食べたら、お腹を壊してこれからの旅に影響が出てしまうかもしれない、と考えてしまったのです。
しかしそのとき私は思いました。イエス様がこの場所にいらっしゃったら、この食べ物を喜んで食べただろうなと。イエス様は、自らがもっとも貧しい者としてこの世界に来てくださり、私たちの痛みを、苦しみを経験してくださいました。そしてもっとも貧しい者として私たちに仕え、私たちのために十字架にさえかかってくださいました。イエス様は、貧しい人たちの尊厳を奪うようなことをされる方ではありません。それを思ったとき、自分はイエス様に従って、十字架を背負う覚悟が出来ていないのだなと思わされ、涙が出てきました。しかし同時に、「神様、このように心の貧しく、愛のない私です。だからこそ、あなたの愛が必要なのです。ただ貧困を外から見て、上から目線で助けようとする者ではなく、イエス様がそうなさったように、貧しい者として彼らと共に住み、共に生きる歩みをさせてください。」との祈りが与えられました。なぜなら、貧しい中にいて食べ物を分け差し出してくれるおばさんの中に、貧しい中でも笑顔で迎えてくれる子どもたちの中に、そこにいて彼らに仕えている兄弟姉妹たちの姿に、イエス様を見たからです。そしてイエス様がもし今の時代に、この国に生まれたのなら、きっと最も貧しいこの地域に生まれてくださり、彼らと共に生き、痛みや苦しみを背負ってくださったと思うのです。イエス様と共に十字架を背負う歩みは楽な歩みではありません。でもイエス様は、「わたしのくびきは負いやすく、わたしの荷は軽い」と言ってくださっています。その約束を信じて、イエス様、あなたと一緒に、あなたのいらっしゃるところで歩ませてください。そのなかでこそ本当の愛と祝福、喜びを経験させてください。それが、今回のミッショントリップを終えての私の祈りです。

「わたしに仕えるというのなら、その人はわたしについて来なさい。わたしがいる所に、わたしに仕える者もいるべきです。もしわたしに仕えるなら、父はその人に報いてくださいます。」(ヨハネ 12:26)

証  原 拓央

短期宣教プログラム:ニュージーランド日本人合同キャンプ奉仕チーム
日本は真冬の2月9日から15日まで(原兄は3月2日まで)、原拓央兄、城山真穂姉、西本勇仁兄と佐味主事は、南半球、真夏のニュージーランドへ日本人合同キャンプで奉仕するために行ってきました。オークランドやクライストチャーチの日本人教会の他に、各地から日本語集会や日本人のクリスチャン・求道者の方々が120人以上(子供を含む)集まって、初めての合同キャンプを行いました。日本からのチームは、そのキャンプ中、子供集会を担当しました。
また、原兄は、キャンプの後、さらに2週間滞在し、ニュージーランド各地の日本人宣教の様子を視察し、証や説教の奉仕をしました。ここに、3名の方々の証を掲載します。

今回のOMF短期宣教プラグラムはニュージーランドに住む日本人の方々への伝道を目的としていましたので、私はこの宣教プログラムに参加して受けた恵みを3つの視点 (1)私(個人)(2)日本人クリスチャン(国)(3)海外の日本人教会(世界)に分けて証させていただきます。

(1) 私個人の視点( 私と神様 私と母教会 )
養鶏場の家に生まれた私は、明けても暮れても鶏肉と卵を食べて育ちました。家族に起きた事故を通して死の恐怖に悩まされ人生の行き先を見いだせず、まさに鶏のような人生を過ごしていた10歳の頃、教会学校で覚えた御言葉イザヤ書41:10の御言葉を通して死の恐怖から解放されクリスチャンになりました。
今回、ニュージーランドでの日本人キャンプや教会プログラムで、多くの日本人の方々に自分の救いの証をする機会が与えられたことで自分がどのような暗闇から救い出されたのかを再確認し、私と神様との個人的な出会いを改めて感謝するときとなりました。それと同時に、国外へ出ることで、母教会と私の繋がりを知るきっかけも与えられました。上に述べました私個人の証も今回の奉仕や働きに必要なスキルも、すべては日本の母教会から産み出され育まれたものでした。とりなしの祈りと共に金銭的にも母教会の多く方々に支えていただきながら送り出されてこのキャンプに参加しましたので、この度の短期宣教は私個人のミニストリーではなく私の教会がこのNZの日本人のために主に遣わされたのだという意識で臨むことが出来ました。それは結果的に私の母教会のビジョン「世界宣教と弟子化」を具体的な形で体験し、キリストのからだの一器官として生かされていることを確認する素晴らしい時となりました。

(2) 日本人クリスチャンとしての視点 ( 私と日本 )
私は将来、海外にすむ日本人のためにフルタイムで働く宣教師になるという召しを神様からいただいています。
そのようなわけで、今回のように海外で日本人の方々に日本語で伝道することで「日本」という国が、日本人クリスチャンとして私に与えられている神からの召し・伝道のターゲットのひとつであると再確認することが出来ました。自分が日本人として生まれたことや日本語を話すこと、日本人として救われ日本の教会に植えられていることは、自分の意志によるものではなく神様が私に与えてくださった特別な選び・召し・使命・計画であることを考えると、海外で日本人に対する「日本人だからこそできる役割」があるのではと思わされています。他人種多国籍の人々が集まるニュージランドには日本人の方々も多く暮らしておられます。そしてニュージーランドの各地で日本人の方々は互いに集まり、定期的に子どものためのPlay Groupや日本人だけで独自のイベントを催すなどして、日本人コミュニティーを作っておられます。言語はもちろん、やはり日本人でしか共有できない文化的世界観、深い心の領域があると複数の方々が教えてくださいました。その背後には国際結婚における夫婦間のコミュニケーション不足の問題があり、子育ての不安や孤独を味わっている多くの日本人女性がいるという現実があることを知りました。日本人クリスチャンとして自分に何が出来るのかと考えさせられる一時でした。

(3) 海外の日本人教会(世界中に散らばる日本人教会と日本国内の教会)
「日本に99%の救われていない人々がいるのになぜ海外の日本人への伝道なのか」と問われることがあります。この度の宣教旅行は、その問いに対する答えを見い出し明確にすることが私個人の目的の一つでもありました。毎年100万人以上の日本人が海外に駐在しており、海外でクリスチャンになる統計上の確立は国内の30倍であり、にもかかわらず日本へ帰国後はその8割が教会から離れてしまう現実を知りました。そこには、収穫は多いが働き人が少ないという海外の日本人教会側の課題と、受け皿となる日本国内側の教会の受け入れ体制や情報の不足が課題とされているそうです。これを解決するには、国内の教会と海外日本人教会との幅広いネットワーク・繋がりが必要です。具体的には海外で直接伝道と弟子訓練をする働き人、また国内で帰国者のフォローをする働き人、海外日本人教会と日本国内教会のパイプ役となる働き人がどうしても必要となります。そのような意味で海外邦人伝道は、実は日本国内宣教に直結する働きであり、日本国内宣教と海外邦人伝道は決して切り離して考えるものではなく車の両輪のような役割を持つということを知りました。これから世界中の邦人教会と日本国内の教会とさらには現地のネイティブの教会が互いに深く繋がることを願いつつ、このような短期宣教プログラムに一人でも多くの方々が参加され、海外と日本のパイプ役となればいいなと思わされた宣教旅行でした。

証  城山 真穂

短期宣教プログラム:ニュージーランド日本人合同キャンプ奉仕チーム
日本は真冬の2月9日から15日まで(原兄は3月2日まで)、原拓央兄、城山真穂姉、西本勇仁兄と佐味主事は、南半球、真夏のニュージーランドへ日本人合同キャンプで奉仕するために行ってきました。オークランドやクライストチャーチの日本人教会の他に、各地から日本語集会や日本人のクリスチャン・求道者の方々が120人以上(子供を含む)集まって、初めての合同キャンプを行いました。日本からのチームは、そのキャンプ中、子供集会を担当しました。
また、原兄は、キャンプの後、さらに2週間滞在し、ニュージーランド各地の日本人宣教の様子を視察し、証や説教の奉仕をしました。ここに、3名の方々の証を掲載します。

ニュージーランドのオークランドにある日本人教会にとってもOMFにとっても初めての試みであった合同キャンプでの日本からの奉仕者として、こんな私が遣わされた事、心から嬉しく思います。
4月からワーキングホリデーとしてニュージーランドに行こうと準備を進めていたこと、そのため就職活動や研修がないこと、幼児教育の学びをしていること、親がこの奉仕をすることを望んでくれていたこと、奉仕内容が子どもプログラムの担当であること、行くための時間・資金・動機どれを取っても足りないものはなく、与えられた機会を逃さない勇気だけが求められました。
参加することを決めてからは、幼児教育を勉強してきた者として自分の持てる力を発揮しなければ!!とがむしゃらに準備を進めましたが、準備を進めれば進めるほど不安が大きくなっていきました。準備不十分で心に不安を抱えたまま出国となりました。
いざ始まってみると、高学年には退屈なクラフトを用意していた私の前に集められた子ども達はちょうど喜んでくれそうな年齢の子ばかり。私には足りないユニークさや力仕事、言葉を持って神様を伝える事などは共に働く奉仕者が補い、目の行き届かない部分は保護者の方が補い、クラフトやダンスは存分にリードさせていただきました。
この経験を通して私が気付けたことは、出国前の私の高慢さでした。「自分でしよう」「自分がやらなきゃ」と神様に頼ることもせず、共に働く仲間やニュージーランドで準備をしてくれている人達の働きや祈りなど与えられているものも見えてはおらず、自分の足りなさばかりが目につき落胆していました。そんな私に失望するでもなく、叱るでもなく、前を歩き、手を引いていてくれた神様は、必要なものは全て備えておられました。また、たくさんの素晴らしい出会いという大きな恵みをも与えられました。

まさしく、聖書に書いてあるとおりです。「目が見たことのないもの、耳が聞いたことのないもの、そして人の心に思い浮かんだことのないもの。神を愛する者のために神の備えてくださったものは、みなそうである。」  I コリント2:9

主の山には備えがあり、弱い時にこそ強めてくださる神様に信頼し、新年度からのニュージーランドでの生活にも、私の将来にも、世界の未来にも、大きな大きな期待を持っていきたいと思います。

[あなたの道を主にゆだねよ。主に信頼せよ。主が成し遂げてくださる。]--詩篇37:5  西本 勇仁

短期宣教プログラム:ニュージーランド日本人合同キャンプ奉仕チーム
日本は真冬の2月9日から15日まで(原兄は3月2日まで)、原拓央兄、城山真穂姉、西本勇仁兄と佐味主事は、南半球、真夏のニュージーランドへ日本人合同キャンプで奉仕するために行ってきました。オークランドやクライストチャーチの日本人教会の他に、各地から日本語集会や日本人のクリスチャン・求道者の方々が120人以上(子供を含む)集まって、初めての合同キャンプを行いました。日本からのチームは、そのキャンプ中、子供集会を担当しました。
また、原兄は、キャンプの後、さらに2週間滞在し、ニュージーランド各地の日本人宣教の様子を視察し、証や説教の奉仕をしました。ここに、3名の方々の証を掲載します。

 OMFの短期宣教プログラムとして、NZへ行ってきました。今回このOMFの短期宣教プログラムに参加する前は、海外宣教については話として聞いたことがあっただけで、あまり深く考えたことも無く、実感もありませんでした。そうしたこともあり、日本から出発した時は「どうなるんだろうな0」と思っていましたし、自分にとって海外は初めてだったので、正直なところ不安だらけでした。しかし、冒頭の御言葉が与えられ「主にゆだねていれば大丈夫だろう」と思うようになり、結果的には神様の素晴らしい導きによって多くの経験をすることができ、約1週間の短い期間でしたが、とても良い時間を過ごすことができました。
 今回はJKC(Japanese Kiwi Connection)というNZにある幾つかの日本人教会が合同で行うキャンプの中のJ Kitsの奉仕をしました。J Kitsは5012歳の子供向けのプログラムで、ゲームや賛美(ダンス)、メッセージをするという内容でした。集まった子供たちはみんなパワフルで始めから終わりまでずっと元気だったので、私たちはキャンプの最終日ぐらいになるとヘトヘトでしたが、みんなに楽しんでもらえもらえることができましたし、なによりも子供たちに神様のことを知ってもらうことができました。キャンプが終わった後も子供たちは覚えたダンスを踊ってくれているようで、私たちも嬉しく思っています。実は、キャンプが始まる前は、私たちが計画していたプログラムが上手くいくのかどうか心配している部分もありました、しかし神様に守られ最後まで無事に終えることが出来ました。奉仕者一人一人も今回のことは良い経験になりました。本当に奉仕者一人一人を備え、支え強めてくださった神様に感謝します。
 日本に比べ、NZで救われる日本人はなんと約30倍にもなるそうです。今までNZと言われてもあまりピンとこなかった者だけに、その話を聞いて非常に驚きましたし、神様の御業は凄いなと改めて思い知らされました。また、その地に使わされている宣教師や牧師先生の方々もエネルギーに満ち満ちていて、大胆に神様の御言葉を語る姿はとても印象的でした。今回のJKCキャンプは初めての試みだったようですが、キャンプ中に6人もの人がバプテスマを受けることができました。今後も更にこのキャンプを通して神様の福音が語られることを期待しています。
 全てに於いて神様に感謝します。

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