証~貧困地域へのミニストリーを通して~ 横山 勇樹(その1)
横山勇樹兄は個人で短期宣教プログラムに参加され、2週間フィリピンのマニラ貧民街宣教に携わってこられました。短い間でしたが、充実した時が持てたようです。横山兄のように個人でこのプログラムに参加される場合は、現地の宣教師や教会の方とのコミュニケーションのために、ある程度の英語力が必要です。日本の若者も、主の働きのために英語の勉強にも、ぜひチャレンジしてほしいと思います。 OMF日本委員会主事佐味湖幸
私が貧困地域へのミニストリーに従事したいと思った一つの理由は、経済的貧困の実態を知り、そして、その貧困の中にいる信仰者の姿を見たいと思ったからです。私は日本で比較的裕福な家庭に育ち、経済的に困窮するということは一切無い環境でここまで生きてきました。十分な教育の機会にも恵まれ、4月からは仕事にも就き、ある程度の収入を得て、自活できるでしょう。もちろん生活の中で困難はあると思います。しかし、ある程度安定した仕事に就くことで、安定した収入を得て、安定した生活を描くことは自分にとって決して難しいことでは無いというのが今ある私の現状です。
そのような状態にいる私は、「貧困」「貧しい」という言葉を耳にするとき、またメディアから得られる貧困の実態を見てさえも、それらがピンとこず、実際に貧困がこの世界に存在することを教科書の上で学ぶこととしか認識できていませんでした。この世界の全ての人は神によって創られ、神に意図されて国籍を与えられ、どのような経済的困窮があろうと神に愛され、イエスキリストは全ての人のために十字架につき、愛を示された。それを頭の中ではわかっているし、その神の愛は恵みとしか言いようがないこともわかっている。しかし、実際に経済的貧困の中で戦っている人々を自分の目で見て、彼らと共に生活をすることでしかわからないことがあることもわかっていました。
また、私は「キリストに従います。」と公言しながら、どこかいつも、安定した生活を求め、人が羨むきらびやかな高い地位を欲しており、霊的豊かさよりもこの世的豊かさを求めており、そんな醜い自分の罪といつも葛藤していました。こんなこの世の醜い価値観は間違っており、なんとかそんな価値観を拭い去りたいともがいていました。そのような自分との葛藤の中で、このミニストリーに参加させてもらうことで、どんな貧しさがこの世に存在し、どのような貧しさの中で人は必死に生き、どのような愛で主はその人々を愛されているのか、そして、どれだけ経済的に裕福された生活を私が送っているのか、どれだけ自分の恵まれた環境を世界大で適切に捉えられているか、そして、この恵まれた環境に育った私に、主は何を期待されているのかを知る助けになるのではないかと思いました。また、これまで私が育ってきた環境と全く異なる経済的貧しさの実態をしることで、キリストの愛の深さと、福音の神秘をさらに発見することができると期待し、私はこのミニストリーに従事することを決めました。
私が2週間弱滞在した教会は、教会と言うよりも一つの広いスペースという感じで、驚きのあまり「これが教会ですか。」と聞いたのを鮮明に覚えています。楽器はあるものの、錆び付いていて、ドラムには穴が空いていました。服はぼろぼろだし、家も教会も傾いていて、雨漏りもしていました。正直、2週間やっていけるのか本当に不安でした。
期間中で印象に残っていることの一つが、幾つかのご家庭を回らせて頂き、そのご家庭のために祈る機会を持てたことです。祈りの課題は私にはこれまで馴染みのないものばかりで、驚きとともに胸が苦しくなりました。ある祈りの課題は、政府が区画整理のために家を勝手に取り壊しているにも関わらず、その家庭への補助金が一切無いため、今後家を買うために多額のお金をなんとかしなければならないというものでした。また、子供の教育にかけるお金がないため、退学させざるをえないかもしれないというもの。出稼ぎのために外国に出ているご主人のために祈ってほしいという祈りの課題など、最低限の生活を送ることに必死な中で祈られる彼らの痛切な祈りを共に祈ることができたのはとても貴重な時でした。そのように最低限の生活を送ることが先ず真っ先に祈るべき課題という状況に皆立たされており、経済的に厳しい人しかいないと言っても過言ではないにも関わらず、教会を中心としたそのコミュニティーは笑顔で溢れ、互いに労り合う愛があって、互いを高め合う謙遜さがあって、互いに遣え合っている姿がありました。誰一人として交わりから漏れることのないように気遣い合う心配りが、外から来た私にも即座に分かるほどでした。いくら貧しくても冗談を交わし合い、笑い合いながら、人を招き食事を共にする交わりを体験するとき、あたかも経済的困窮への祈りの課題が嘘であるかのような錯覚を覚えるほどでした。キリストの十字架によって罪が取り去られ、人と人とを隔てていた壁が取り去られ、互いの重荷を担いあい、愛し合う人たちの姿を見ることができたこの貴重な体験によって、主の愛の偉大さを再認識し、キリスト・イエスによって一つとされていることの深遠さに感動を覚えたことは今でも鮮明に覚えています。
「その2」へ続きます ⇒
証~貧困地域へのミニストリーを通して~ 横山 勇樹(その2)
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そのような中で、私自身も多くの人に祈られ、愛される経験をしました。ある時、私は教会の学生とバスケットボールをするために晩ご飯を後回しにして夜8時に家を出て、ホストには9時に帰ってくることを伝え、帰ってきてから一人でご飯食べることを伝えました。しかし、試合が長引いたせいで家に帰ったのは予定より1時間以上も遅く、夜10時をまわっていました。遅れたことを謝ると、「ご飯は?」と聞かれ、「頂きます。」と答えました。すると手には三つずつのプレート、フォーク、スプーンがあり、「まだ食べていなかったんですか。」と聞くと、「勇樹に一人で食べさせるわけにはいかない。」と言いながら食事の準備をしてくださいました。ご夫婦で2時間以上も食事をするのを待っていて下さったのです。その時、胸が熱くなって、どうにも言葉に出来ない感謝で喜びが沸々と沸き上がってきました。しかし、同時に、2週間弱しか滞在しない、歴史的も憎むべき日本人に対してどうしてここまでしてくれるのか?と胸が苦しくなる思いであり、また自分はこのような愛で人を愛していないことに対する恥ずかしさで悔しくなりました。
これらの経験によって私は、「何を中心に自分の人生を導こうとしているのだろうか。」「自分の人生で一番大切なものは何か。」と自問自答するしかありませんでした。物、お金、地位、名誉では人生は豊かにならない。経済的貧富の差は霊的貧富の差また愛の深さ広さには全く比例せず、人生にとって大切なことは、結局のところキリストの愛がそこに輝いているかどうかであることをそこから改めて学びました。経済的に貧しいものでも実は富んでいるという現実があり、キリストの体として互いに責任を担いながら愛し合っている彼らの姿は、どれたけ経済的に困窮していても、「富んでいる者であるように思いました。人生のものさしが経済的安定など、この世のものであるなら、ある意味私は成功者に成りうるのかもしれない。しかし、人生のものさしがキリストの愛が基準であるなら、自分の人生の捉え方を考え直さなければならないと痛切に思います。私もあのような愛のあるコミュニティを建て上げる者でありたいし、もっと積極的に誰かを愛するものでありたいと心から思います。
I コリント1
たとい、私が人の異言や、御使いの異言で話しても、愛がないなら、やかましいどらや、うるさいシンバルと同じです。
また、たとい私が預言の賜物を持っており、またあらゆる奥義とあらゆる知識とに通じ、また、山を動かすほどの完全な信仰を持っていても、愛がないなら、何の値うちもありません。
また、たとい私が持っている物の全部を貧しい人たちに分け与え、また私のからだを焼かれるために渡しても、愛がなければ、何の役にも立ちません。
愛は寛容であり、愛は親切です。また人をねたみません。愛は自慢せず、高慢になりません。
礼儀に反することをせず、自分の利益を求めず、怒らず、人のした悪を思わず、不正を喜ばずに真理を喜びます。すべてをがまんし、すべてを信じ、すべてを期待し、すべてを耐え忍びます。愛は決して絶えることがありません。預言の賜物ならばすたれます。異言ならばやみます。知識ならばすたれます。というのは、私たちの知っているところは一部分であり、預言することも一部分だからです。完全なものが現われたら、不完全なものはすたれます。
私が子どもであったときには、子どもとして話し、子どもとして考え、子どもとして論じましたが、おとなになったときには、子どものことをやめました。今、私たちは鏡にぼんやり映るものを見ていますが、その時には顔と顔とを合わせて見ることになります。今、私は一部分しか知りませんが、その時には、私が完全に知られているのと同じように、私も完全に知ることになります。こういうわけで、いつまでも残るものは信仰と希望と愛です。その中で一番すぐれているのは愛です。
このような貴重な体験を与えて下さったOMFの方々に、また全ての過程を導き祝福して下さった主に心から感謝いたします。