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「栄光に満ちた福音」
―OMF新宣教師オリエンテーションコースにて。Iテサロニケ人への手紙第一章より―
OMF総裁 パトリック・フン師

私たちは共に神の民‥‥カンボジアの教会で  現在OMFのオリエンテーションに参加している皆さんは、IBCM(その土地に根ざした、聖書的な教会形成の動き)いう言葉を何度も聞かれたのではないでしょうか。この言葉は二十世紀に作られたものでも、OMFが作った新語でもなく、初代教会の時代から存在しているものです。テサロニケに福音が伝えられ、福音が教会を建て上げ、その教会がさらに福音を伝え、伝えられた福音によって新たに教会が生まれる‥‥このような動きを背景に、パウロは神に感謝しつつテサロニケ人へ手紙を書いたのです。
 ここで私たちの働きにとても深くかかわる二つのことだけに焦点を当てたいと思います。一つは教会、二つ目は福音で、両者は互いに深く結びついています。
  I テサロニケ人への手紙一章一節にはこうあります。「パウロ、シルワノ、テモテから、父なる神および主イエス・キリストにあるテサロニケ人の教会へ。」この「教会」という概念について考えてみたいのです。OMFは教会開拓をする団体と考えられています。もちろん間違いではないのですが、ただ教会を開拓するだけではなく、私たちは教会が新たな教会を生み出すような動きが起こされるよう祈り求めています。神の恵みによって、そのような動きをどう開拓していくか‥そのために恵みを祈り求めつつ、行動しているのです。
 パウロは「テサロニケ人の教会へ」と言って手紙を始めています。この教会、エクレシアは神の民のコミュニティということです。ここでいくつかのことを考えてみましょう。まず「パウロ、シルワノ、テモテから‥‥」とあり、これは「私たちは神の民としてこの手紙を書いています」ということです。使徒十六章や二〇章に、パウロに同行していた様々な人々の名が連なっています。皆、様々な背景を持つ多様な人々の集まりでした。OMFも二十五か国から集まった千三百人以上の集団です。私はよく「あなたはOMFで初のアジア人の総裁ですね。OMFはこれからさらにアジア的になっていくのでしょうか?」と聞かれますが、いつも「いいえ。」と答えます。私はOMFがアジア的になるのではなく、さらに聖書的に、さらにキリストのようになることを願っています。「私たちパウロ、シルワノ、テモテ」という表現を見る時、神の私たちへの豊かな恵み、つまり単なる建物ではなく、共に神の民であること、エクレシアの恵みを私は改めて考えさせられます。私は様々な国籍、文化背景を持つ皆さんのゆえに神に感謝します。私たちは皆違っており、それらは全て神の恵みなのです。私たちは神の僕のコミュニティであること、これが第一の点です。
 第二の点は、「テサロニケ人の教会へ」という部分に見られます。数週間しかいられなかったテサロニケから追い出されるように去った時、パウロはまだ生まれたばかりの教会が困難や迫害に会う中、どうなっていくのだろうと案じたことでしょう。二節以下では「‥‥いつもあなたがたすべてのために神に感謝し、祈りのときにあなたがたを覚え、絶えず、私たちの父なる神の御前に‥‥思い起こしています。」とあります。彼は物理的にそこにいることはできなくとも、祈りによってつながることができたのです。私たちも又、毎朝の祈りを通して各国の教会とつながっているのです。
 福音はただ崇め祭られているものではありません。三節にあるように、福音が宣べ伝えられる時、そこにはインパクト、変革が、愛、信仰、望みが生まれるのです。毎朝祈る時、神がそのような変革をその地に起こして下さることを祈り、信じるのです。教会はその土地の神の民のコミュニティということ、これが第二点目です。
 第三の点は、教会は神によって保たれる神のコミュニティであるということです。「父なる神および主イエス・キリストにあるテサロニケ人の教会」とありますが、やがてその地を離れなければならなかった開拓者パウロは、神がその教会を保って下さると信じなければなりませんでした。教会を保たれるのは神なのです。教会は神の内にある教会であり、同時にテサロニケ、この世の中にある教会です。又、テサロニケにある教会は周囲の人々に、しかもマケドニヤとアカヤにとどまらず、あらゆる所に影響を及ぼしていきます。ことばが肉となってこの世に来られたように、私たちはどこの宣教地へ行こうとも、福音を私たちの生き様をもってこの世に表わしていくのです。
 テサロニケにもたらされた福音は、人々に大きな影響を与えました。宣教が許されない某国の国家公務員が私にこう言ったことがあります。「もし私たちがあなたがたクリスチャンのように愛し合うことができるなら、私の国は全く変わることだろう。」彼は様々な国籍のクリスチャン、中には歴史的、政治的に敵愾心を持つはずの国のクリスチャン同士が、愛し合い共に働く姿を目の当たりにして衝撃を受けたのです。これがみことばがこの世に与える影響です。
 パウロは続けて、「恵みと平安があなたがたの上にありますように。」と言います。この平安はただ葛藤がないということではなく、神や人と和解した関係を示します。神との和解が他者との和解を生み出す、それが福音の力です。教会は神と隣人と和解した神の民のコミュニティなのです。今日ここに集まっている私たちも、そのような者として共に働くことができます。
 教会に続いて二つ目の点に行きましょう。福音です。パウロはこの書の中で福音のことを「私たちの福音」、「神の福音」、「キリストの福音」と言っています。福音の著者は神である以上、私たちは申し訳なさそうに福音を伝えてはなりません。なぜなら私たちが伝えていることは神のみことばの権威に基づくからです。同時にこれは「キリストの福音」です。なぜなら福音の核は常にキリストだからです。私たちの働きの中心は常にキリストでなければならず、もしそうでないならばどこかが間違っているのです。そしてこれは「私たちの福音」です。あなたも私も個人的に福音の力を経験しているからです。神は福音の力によって変えられた器を求めており、そのような人が福音を伝える時、その言葉は力強く確信をもって伝わるのではないでしょうか。だからこそパウロは、「ことばだけによったのではなく、力と聖霊と強い確信とによって‥‥」(五節)語ったのです。福音の力によって変えられた皆さんも私も、このような情熱をもって福音を伝えられると信じます。
 福音についての二つ目のことは、福音を生きるということです。「‥‥どのようにふるまったかは、あなたがたが知っています。」とパウロは何回か言っています。「聞くだけではなく私の生き方を見て知っているでしょう?」と言うのです。宣教地に入った後、ただ言葉で伝えるだけでなく、福音を生きている様を人々が見ることがとても大事なのです。「雷鳴は多いが雨が少ない」という中国のことわざがあります。言葉数が多くても、その中にいのちがなくては何もなりません。福音を伝える上で言葉にも行いにも一貫性を持つことが不可欠です。
 福音について三つ目のことに移ります。六節にあるように人々は「みことばを受け入れ」、さらに八節に「あなたがたのところから出て‥‥響きわたった‥‥あらゆる所に伝わって‥‥」とあります。福音はただじっと留まるものではなく、神の民から目に見える形で出ていくのです。これはOMFが目指している「その土地に根ざした、聖書的な教会形成の動き」です。
 九、十節に「偶像から立ち返って、生けるまことの神に仕えるようになり‥‥イエスが天から来られるのを待ち望む‥‥」とあります。仕えることと待ち望むことが並んでいるのです。ここに私が「聖なる緊張」と呼ぶものがあります。私たちは、神により頼んで待つことと同時に、新宣教師としてまだ言葉が不自由でも、神の恵みによって今できることを通して、熱心に主に仕えるようにされているのです。
 福音が教会のこうした動きの中心であり、私たちの奉仕の中心です。福音が私たちのすること全ての中心です。OMFが「自分たちはこのように栄光に満ちた福音を握っているのだ」ということを常に覚える団体であり続けるよう願います。福音が人々の人生を変え、信仰、愛、希望をもたらす、それを見せて頂くことは余りに心踊ることなので、黙っていることなどできません。忠実に伝えられる時、福音は聞いた人々を変えずにはおかないのです。
 皆さん一人一人が、この栄光に満ちた福音のための忠実なメッセンジャーであり続けますように。


「子どものようになること」
タイ 坂本朋子

寸劇の衣装を着て大はしゃぎの子どもたち  早いものでもう九月になってしまいました。皆さまいかがお過ごしでしょうか?こちらは雨が降り続き曇ってじめじめした日々が続いたかと思いきや、急に晴れの日が多くなって気温が上昇したりと気候の変動が激しいです。そのせいか体調を崩している人がとても多く、こんな暑い中でもマスクをしている人々を見かけるほどです。そのように病原菌が蔓延している中でも、幸い私は健康が守られています。皆さまのお祈りに心から感謝いたします。
 最近子どものための働きをしている時間が圧倒的に多くなりました。でもこれは私が願っていたことであり、何より子どもたちと一緒にいる時が一番充実しています。タイにいると、タイ人も同僚の外国人も笑いのつぼが違うので、お腹の底から笑うことが少なくなってしまうのですが、そんな時、一番私に笑いを提供してくれるのが子どもたちです。バーンライ村の子どもたちの最近のお楽しみは、聖書のお話しを聞くだけでなく自分たちが実際に演じることです。一カ月同じ話をするのですが、最近では最終週に子どもたちに物語を演じてもらうことにしています。子どもたちの巧みな演技力?に思わず笑いが出てしまうこともしばしばです。又毎週動作をつけて賛美をしているのですが、CDが聞こえないくらいの大声で元気一杯賛美してくれるので、それにつられてこちらも大声で思いっきり賛美しています。
 せっかく始まったゲーさんとの聖書の学びが、彼女の家庭の事情で一時的に出来なくなってしまったり、がっくりさせられることもあるのですが、とにかく祈り続け、全てのことを益と変えてくださる全能の主に一切のことを委ねて行きたいと思います。その一方で、新しい働きの機会も開かれつつあります。ランパーン県のメー・モッという所に、OMFの宣教師によって開拓された小さな教会があり、タイ人の牧師もしばらくの間与えられていたのですが、最近になってこの牧師が今年いっぱいでこの教会を辞任することを表明しました(明確な理由は知らされていませんが経済的な理由のようです)。そのため同じ県にいる私たちのチームが、この教会が消滅してしまわないように今後サポートしていくことになります。ちなみにこの教会は子どもの数がとても多く、水曜日の夜の集会においても、何人かの子どもたちが大人の聖書の学びに参加し、祈り御言葉を読んでいる姿に励まされました。しかし同時に、教会学校など子どもへのフォローアップが皆無に等しいため、何かこの分野でお手伝い出来たらと願っています。ライトハウスのゼロからの教会開拓とは違う、既存の教会のサポートという、思ってもみなかった働きの機会が与えられたことにチャレンジを覚えつつも、感謝しています。メー・モッの小さな群れが守られますように、そして私たちのチームにもどのようにこの群れをサポートしたらいいか、知恵が与えられますようにお祈りください。


「中高生学生青年キャンプに行きました」
日本 木下理恵子

中高生キャンプのみんなと  このニュースレターが届くのは十月、秋なのだなと思いながら書いています。皆様はお元気でお過ごしでしょうか。いつもお祈り、ご献金をどうもありがとうございます。
 今年の夏は、ホーリネス教団の中高生学生青年キャンプに行って来ました。ホームレスのおじさん相手の奉仕が長かったため、私は中高生とちゃんとやっていけるのかなあと不安でした。でも本当にかわいい、素晴らしい子達でした。
木下師メッセージ中  キャンプでは人を救いに導く喜びについて語り、その喜びへの第一歩として、みんなに三分間の救いの証を書いてもらいました。そしてそれを二人ずつ組になり、分かち合ってもらいました。自分の証を一生懸命準備している姿、又証しし合う時、笑顔でしている子の多かった事、身振り手振りや、聖書を片手に証している子もいました。証し後の感想を聞くと、待ち切れない様に最初に出てきたのは、「嬉しかった」。聞いた私も嬉しくなりました。「緊張した」「難しかった」もありましたが、「楽しかった」子が沢山いました。この証しする喜びを忘れず、学校などで更に多くの人に証しし、この喜びを体験し続けられますように。
 キャンプファイヤーを囲んでのキャンプの感想でも、「一生に一人は救いに導きたい」「聖書一冊通読したい」など、チャレンジをしっかり受け止めていてくれる姿に感動を覚えました。「あなたの若い日に、あなたの創造者を覚えよ。」(伝道者の書一二・一)と仰られる主が、若い人たちの心の柔らかさをどれだけ大切に思っておられるか、改めて思わされた事です。
二人一組で証しをし合っています。  また四十五名のキャンパーに二十九名のカウンセラーやワーカーなど、多くの奉仕者が本当に多くの素晴らしい奉仕をして下さいました。こうした多くの助けが無ければ、出来なかったキャンプだと言う事も痛感しました。教団としても、若い人たちを育てていこうと言う意気込みを感じた事です。
 キャンプが終わり、いつもの生活に戻っている子達が、この夏主から語られた事、主の前に決意した事を忘れず、一つ一つ実行していけるようお祈り下さると感謝です。
 私の体力に関してもお祈り、どうもありがとうございました。船酔いする事も無く、五日間体調が支えられました。まだ以前の体調では無いのですが、キャンプ前より体力の回復が早まっているように思います。お祈り、本当に感謝です。


「イギリス、マレーシア」
日本 ディアスポラ伝道 横山好江

第28回ヨーロッパ・キリスト者の集い(イギリスにて)  移動の多い奉仕が続いた八月も、力強い主の守りと導きのうちに全うすることができました。皆様のお祈り、ご支援を心より感謝いたします。
 第二十八回ヨーロッパ・キリスト者の集い(八月四〜七日、イギリスにて)には、二七〇名(部分参加含む)がヨーロッパ各地、また日本から集められ、御言葉と交わりを通して養われました。主催担当のロンドンJCF(日本語教会)を牧会するヤング宣教師夫妻は、OMFディアスポラ伝道部の同労者ですので、私は特別な思いで祈ってきました。同教会の若い世代が「集い」実行委員会の働きを担い、会期中も献身的に奉仕して下さいました。数名の実行委員の長年の願いがかなって、小坂忠さんが日本から招かれました。私達がレディング時代にご一緒したパトリック・マケリゴット師が特別講師として来られ、流暢な日本語で語られたメッセージが参加者の心に響きました。「集い」で初めて企画された分科会「帰国者セミナー」では、日本から参加した姉妹方二名と共に私が奉仕させていただきました。姉妹方が日本で進めておられるブリッジビルダーの働き(帰国者と教会をつなぐ橋渡し)について語っていただき、海外で救われた者の経験を、主がどのように帰国後に用いられるかを具体的にお伝えすることができました。主がそのように計らってくださったことに御名を崇めています。
 八月下旬は、OMFディアスポラ伝道部の部長であるケンプ師の東南アジアの旅に同行しました。マレーシアでは、クアラルンプールにおける難民のための働きを視察しました。同地の幾つかの教会が、UNHCR国際連合難民高等弁務官事務所と手を結んで、ミャンマーやカンボジア等からの難民のため、子ども達には学校を運営しながら、婦人達には職業訓練をしながら良い働きを進めています。ペナンでは、近隣の共産主義国(A国)からの若い労働者を対象とする伝道活動を視察しました。A国から伝道師を複数招き、数ヵ所で集会を続けています。救われ、主の弟子として整えられた若者達が、A国に続々と戻って証し人としての業を進めています。日本ではケンプ師と共に、在日中国人のための働きを視察しました。宣教の主が、国境を越えて移動する民の上に進めておられる御業に、用いられやすいディアスポラ伝道部でありたいと願い祈ります。

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