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2010年8月号  page1  page2


「より高い召しに向かって」
フィリピン アンディ・スミス師

街角のトライシクル  サムはこうなるとは思ってもいませんでした。彼は貧しいイスラム教徒の家庭で八人の兄弟姉妹の中で育ちました。家族は他の人の土地にある小さな小屋に身を寄せ合って住んでいました。サムの夢はエンジニアになることでした‥‥しかし、神のご計画は他のところにあったのです。
 高校を卒業した彼は、二年間コンピューター・サイエンスのコースで学びましたが、卒業後に仕事を得ることはできませんでした。それから彼は結婚し、いったん守衛の仕事に就き、それから市場で米を売って生計を立てました。
 サムには一人の親友がいました。彼はかつてイスラム教徒でしたが、イサ・アルマシ(救い主イエスの意)を信じ、彼が新たに見出したその信仰をサムに伝え始めました。又、彼はサムのために、他の町でのラジオのアナウンサーとしての仕事も見つけてきてくれました。こうしてサムは家族から離れた町で仕事を続け、同時にそこで行なわれていた聖書の学び会にもほぼ毎晩出席し、キリストについてさらに深く学んでいきました。
 一年後、サムは郷里の村に戻ることになりました。しかし村でやっと得られた仕事はトライシクル(オートバイの横に乗客用のサイドカーを取り付けたタクシー。フィリピンでは庶民の足となっている)の運転手というものでした。運賃から得る収入は低く、やっと生活していける程度の稼ぎしか得られない貧しい生活です。
フィリピンのある街角のカフェで(写真の人物と本文とは関係ありません)  「なぜ主は僕を村へ戻したあげく、こんな仕事しか与えて下さらないんだろう?」とサムは思いました。「僕より教育のない人達だって、もっとましな仕事に就いているのに‥‥。」半年間彼はこう自問自答しながら悩み続けました。
 再び、彼の友人が助けの手を差しのべてくれました。彼は「キリスト者がイサ(イエス)と交わり、霊的に成長していくと、今度は周囲の人たちとの距離が遠くなってしまうことがよくある」ことを、サムに思い出させてくれたのです。サムはハッとしました。「主は僕が生まれ育った時から一緒だった村の人たちに仕えるようにと、僕を故郷に戻されたに違いない。僕が彼らに福音を伝えることを、神は望んでおられるのだ。」
 こうしてサムはトライシクルの運転を、故郷の人々に仕え、彼らにイサを伝えるための機会として考え始めたのです。
 サムと同業の運転手たちは、客を待つ間によくギャンブルをして時間をつぶしていました。時には夢中になるあまり、せっかくやって来た客たちを無視してしまうことすらありました。これでは皆が仕事を失ってしまうと感じたサムは、ある朝、仲間たちに「ギャンブルはもう止めよう」と提案しました。「ギャンブルを止めれば、もっと客が増えるよ」とも言い、びっくりした仲間たちに、サムは預言者とイサ・アルマシについて彼が教えられたことを話し始めました。
フィリピンのある街角で  サムの話はイスラム教徒とクリスチャンの両方の視点が混じったものでした。仲間たちの一人はイマーム(イスラム教聖職者)の息子でしたが、サムが語ったことは彼にとって全く初耳の話でした。貧しい農民の息子が自分よりも詳しく知っていることに驚きながら、このイマームの息子もサムの話に熱心に耳を傾けました。十四人のトライシクル運転手(十二人がイスラム教徒で二人がカソリック信者)が、サムの証に興味を持って聞き入ったのです。時折彼らの側から質問さえ挙がりました。中にはサムを困らせようとせんばかりの、意地の悪い質問もありました。
 しかし、サムはイサ・アルマシがどんなお方かを自分で発見するように強く勧め、イサ・アルマシの人生と教えからは大切なことをたくさん学べる、と断言しました。そして「彼を信じたなら、その信仰によって皆一つにされ、やがては天国でより素晴らしい未来が待っているんだ」とも伝えました。
 いつの間にか三時間が経っていました!昼食時間をゆうに過ぎていたにもかかわらず、誰もそのことに気がついていなかったのです。そして話の最中は客は来ず、そのため話が中断させられることもありませんでした。しかもサムが話を終えた直後、その時刻は普通なら最も客が少なくなる時間帯だったにもかかわらず、突然七人もの客がやって来たのです。これを神様からのしるしだと感じた彼らは、続けてイサについて学ぶことにしました。
 今日もトライシクル運転手たちの間で、イサ・アルマシについての話し合いは続いています。サムと仲間の運転手たちは、客を待つ間はいつもそれぞれの意見を分かち合っています。一人のイスラム教徒の運転手は、聖書に書かれているイエス・キリストがコーランに書かれているイサ・アルマシのことだと初めて知って大喜びでした。
 サムは仲間の運転手たちの生活ももっとよいものにしたい、と考えています。相応な健康保険や年金を受給できるようにと、社会保障口座を開くよう皆に勧めました。福音を伝えるだけではなく、隣人の生活をより良いものにしようと積極的に動いているのです。
 サムの最大の願いはこの仲間たちがイサを信じ、皆でイサ・アルマシに従うコミュニティとなることです。この願いは子供の頃に思い描いた将来への夢とは全く違うものになりました。しかし今、サムは神はこのために自分をずっと導いてきて下さったのだと確信しています。


「二年目はニャックルアン」
カンボジア 小川文子

九月からのニャックルアン・チーム 日本もカンボジアもそう変わらない気候のこの頃ですが、皆様いかがお過ごしでしょうか。いつもお祈りありがとうございます。守られて、私は八月頭でカンボジアに来て丸一年になりました。語学審査に通れば「一年目(フルタイムの学び)」も終了です。病気もせず事故にもあわず、大きな支えが常に与えられて一年目を過ごせたこと、主の豊かな備えを心より感謝します。二年目は半分語学、半分働きになり、私の場合は早速プノンペンの喧騒を脱して田舎へ行くことになりました。西村信恵師の仕えておられたおなじみのニャックルアン(以下NL)です。NLチームの要であるチョー師夫妻が十月から一時帰国に入るため、ポーター師夫妻が赤ちゃんを連れ四月にNL入りし、さらに九月から私を含む女性三名が加わりポーター夫妻を支えることになりました。ベテランのレベッカ師、数年目のドリーナ師、二年目の私を一緒に送るのは、独身宣教師がチームに一人という状況では孤独になりやすいので、二名か三名を一緒に遣わした方がいいと最近話し合われた結果によるものです。私にとっては、そのような意味でも恵まれたチームに加えてもらい、大好きなNL教会と幼稚園で、開拓の実際を学びながら子供達にも関わることができる、信じられないほどの好環境と言えるでしょう。NL教会はまだ牧師はいません(訓練中)が、既に自分たちで色々なことがよく出来、数年後には完全に自立し宣教師もいなくなる予定の教会です。そのような教会なので、私のような者でもむしろいいというか、教会の横に立ち共に歩むことはできるかなと思っています。九月からのチーム、教会、地域の方々との関係のために、新しい地での働きが祝されるように、なおお祈り頂ければ幸いです。

【祈りの課題】
1. 8月16日に、一年目が終了できるかどうかの語学の審査があります。審査に通り、ニャックルアンへ行くことが出来ますように。
2. 新しいニャックルアン・チーム(チョー夫妻、ポーター一家、レベッカ師、ドリーナ師、小川師)がしっかりと主に結ばれて立て上げられますように。宣教師と教会員一人一人に魂への情熱と機会が日々与えられ、主の業が進みますように。


「日本にいるカンボジア人」
日本 菅家庄一郎、容子

日本の大学で学ぶセーン君と菅家師 日本フィールドで長く働かれ引退される先生方 「妹が死んでしまいました。先生は以前に、イエス様を信じる者は必ず神様が守ってくださると言っていましたよね。あれはどういう意味だったのですか。妹は医者に診てもらった時には何ともなかったらしいのですが、霊媒師のところにいっておかしくなってしまったようなのです。神様は悪霊より強いのですか。」皆さんに祈っていただいているカンボジア人学生のセーンくんより電話がありました。妹が突然亡くなってしまったそうです。その死因は定かではありませんが、この事を通して彼は霊的なことについて真剣に考えるように導かれているようです。また、しばらく前には、彼が日本で一生懸命バイトしてためて、カンボジアに送った小包の中にいれておいた8万円が見事に抜き取られてしまい落胆していました。困難が続いているセーン君に主からの励ましがありますように。また、これらの困難によって彼がむしろ神様に近づくことができるようにお祈りください。(庄一郎)
OMF人材育成検討委員会のメンバー 市川で療養中の西村師が、ある日興奮してやってきました。「すごく嬉しいことがあったの!」ダイエーで買い物中、懐かしい響きの言葉が後ろから聞こえてきたそうです。「あなたカンボジア人?」小さい子供を連れたその女性は、日本人がクメール語で話しかけてきてびっくり仰天の様子。話してみると、ご主人は医大で勉強中で、三歳の息子と妊娠中のピァップさんは、つい半年前から市川にやってきたそうです。信恵さんから紹介され、早速連絡を取って駅中のシャポーで会いました。市川で初めて会ったカンボジア人でした。ピァップも、自分たち以外この辺りにはカンボジア人はいない、と言っていました。話してみると、プノンペンのご主人の実家は、なんと私達が住んでいた家のすぐ近く。お互い懐かしい話に花が咲き、時間の経つのも忘れてしまいました。けれど、日本語もできず、知り合いや友人もおらず、急に全く違う環境におかれた彼等の生活は大変です。商売で成功している大家族で育ったピァップと息子のノーリン君は、ご主人が大学に行くと、二人で寮にいるのは寂しくて堪らず、バスで市川まで来てシャポーで一日過ごすことも珍しくないとのこと。お金に困ったこともなく、お料理もしたことのない彼女が、限られた奨学金で家計をやりくりし、子供を見ながら家事をするのは大変です。カンボジアを離れて三年、全くといっていいほどカンボジア人と出会う機会はありませんでした。神様が与えてくださった出会いを感謝し、彼等の隣人となり、福音を伝えたいと願っています。どうかこの家族に神様の救いと祝福がありますようにお祈り下さい。(容子)

【祈りの課題】
1. 8月1〜2日、庄一郎師は、JECA鹿行千南区域夏期聖会で「キリストと共に」という題で2回の宣教に関する講義をさせていただきます。参加される方々と共に、よき学び・交わり・祈りの時となりますように。
2. 8月13日、庄一郎師はキリスト兄弟団青年全国大会の分科会で、23日には日本キリスト教団、ホーリネスの群れの「日本伝道の幻を語る会」の宣教大会の部で、それぞれ講義または説教をさせていただきます。主にあって用いられますように。


「有澤家の子どもたち」
北タイ・ミェン族 有澤達朗、たまみ

札幌聖書キリスト教の井口牧師ご夫妻と:OMF委員と宣教支援委員になってくださっている 私たち夫婦はイクジナシ(育児無し)。にも関わらず子どもに恵まれた第三、第四期(二〇〇一年〜二〇一〇年)でした。チェンマイ時代から始まった有澤ファミリー。その子達は日本名を欲しがりました。そこで消息・近況を日本名でお伝えします。いったい誰が、誰なのか?当ててください。
長男の賢(ケン)は結婚してアメリカ在住。長女の智慶(チカ)は二度目のアメリカ留学中で二つ目の学士号取得を目指しています。次男の文明(フミアキ)は弁護士の免許を取り就職したものの、只今有澤家から勘当中。三男の壇(ダン)はミェン語による幼稚園設立の夢を胸にチェンマイ市の大学で研修中。四男の貴(タカシ)は親を悲しませるようなことをして停学処分の謹慎中で、聖書教師燈先生ご夫妻のお宅ででっち奉公。五男の繁善(シゲヨシ)はいつ爆発するか知れない病をかかえながらも高蛋白質の食事で体力を取り戻し復学・卒業したばかりか、さらに専科へ進学。次女の響(キョウ)は兄の貴が行った燈先生宅で翻訳者になるべく研修中。
神様からミェン族の子供達を委ねられ、喜怒哀楽を分かち合い、彼らに助けられて、宣教の奉仕ができました。皆様のお祈りに感謝いたします。そして今、帰国後も日々彼らのために祈らされています。(たまみ)
こんなメールをいただき感謝しました。「一つ気になることは、有澤達朗さんが頑張りすぎているように感じることです。‥‥自分がやらなければダメだ、という思いにならないようにすることが大切。聖霊に満たされ、聖霊の実が自分の中に結ぶようにされることが大切ではないでしょうか。」頑張らないように気をつけます。「頑張るな」、至言です。自我を張り通すと聖霊を消すことになるでしょう。
「祈ります」と言ってくださる方は「頑張って」とは言いませんが、働きを共有してくださる決意が伝わってきて、とても励まされます。実際、そのような多くの宣教の担い手の方々に支えられてきました。重いかもしれませんが、祈りで働きを背負ってくださる‥‥そういう祈りの同労者の方々が大勢与えられるようお祈りください。(達朗)

【祈りの課題】
1. 8月2〜4日、インドネシアで行われる大学間協力地域開発会議という場でミェン語正書法に関する論文発表をします。ミェン語の文字がタイ国北部の地域に貢献し、ミェン族と国のためになるという主張が関係者に理解されますように。
2. 9ヶ月の日本滞在中に、高齢の親たちへ福音の適切で明確な伝達が行われ、今後のことをよく話し合うことができますように。救いが実現しますように。

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