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2006年8月号  page1  page2


「ブルネイ −その歴史と人々−」

街角で(写真と内容とは関係ありません)  ブルネイ・ダルサラームは「平和な地」を意味します。ブルネイは五千二百七十平方キロメートルという小さな国で、東マレーシアのサバ州とボルネオ島北西海岸のサラワク州の間にくさびのような形で存在する国です。
 ブルネイの最初の発見者はボルネオ島奥地の部族出身の三人―パテル・ベルバイ、アワング・セマウン、アラク・ベタターと言われています。このベタターが初代の国王、スルタンとなりました。
 一三六三年から一四〇二年の在位中、アラク・ベタターはイスラム教を擁護し、自らの名前と称号をスルタン・ムハンマド・シャーと改めました。それから二百年間、ブルネイは勢力を拡大し、ボルネオ島全体とフィリピン南部の一部をその支配下に置いていました。
 しかし十七・十八世紀、ヨーロッパ諸国の植民地化勢力が台頭するにつれ、ブルネイの支配力は衰退していきます。一八三九年、元兵士で英国人探検家のジェームス・ブルックがブルネイ国王を助けて、サラワクで起こった反乱を鎮圧、その報酬として一八四一年に彼はサラワクの藩王に任ぜられました。しかしイギリスの後ろ盾でブルックは領土を拡大し、彼の在任中にブルネイは領土を失った状態となりました。
 一八八八年、ブルネイは英国の保護領となり、一九四六年にサラワクは英国の直轄植民地となりました。その後ブルネイは一九五九年には自治領となり、ついに一九八四年にはブルネイ・ダルサラームとして完全な独立を果たしたのです。
 一九二九年にブルネイ国内のスリアに油田が発見されたことで、ブルネイは経済発展の道を歩み始めました。オマー・アリ・ファイフディン国王は一九五〇年から六七年までの在位中に国を繁栄と近代化へと導きました。その子息が現スルタンのハサナル・ボルキアです。
 スルタンは絶対君主で、政府代表、首相、総務相長、国軍最高司令官、そしてブルネイ国のイスラム教のリーダーでもあります。スルタンはその支配下の者たちに良いものを与える父親的なイメージを持ち、広く人々に尊敬されています。
 しかし、選挙は行なわれず、政府批判は禁じられています。民主的構造は一九六二年に凍結され、「非常事態」状態は今もなお存在しています。
 ブルネイの人口は約三十七万三千人で、その多くはマレー系です。マレー系のブルネイ人は、マレー半島、南タイ、スマトラ、ボルネオ島内、そしてシンガポールといった南東アジア一帯に広がる二千五百万人のマレー人口の一部分をなしています。ブルネイの公用語はマレー語ですが、英語もビジネス目的で広く使用されています。
 ブルネイ国民はアジアで最も経済的に豊んでいる人々とみなされています。その豊かな富の多くは石油と天然ガス資源からのものです。ブルネイ国民に対し、教育と医療は無料で提供され、所得税はなく、住宅補助手当ても充実しています。
 マレー人は伝統的な生活様式を積極的に取り入れて暮らしています。家族や地域コミュニティの結束は固く、マレー人であることはイスラム教徒であることとして、その教えを固く信じ守って生きています。その壮麗なモスクを誇りとし、彼らの寛大で暖かいもてなしの心もよく知られています。
 一般的に知られている「マレー人のイスラム教君主国」の概念は、イスラム教、マレー語とその文化、そして君主制の融合を目的としたものです。
サルタン・オマール・シャイフディン・モスク ブルネイのキリスト教
 十四世紀、ブルネイのスルタンが島の大半を支配していた時期に、著名なカトリック信者のオドリック・ポーデノンがボルネオ島を訪れた可能性があります。もしそうであるならば、彼がボルネオ島の土を踏んだ最初のクリスチャンということになるでしょう。
 ヨーロッパ勢力が香辛料貿易に介入してくる中で、十六世紀からはイエズス会司祭らがボルネオ島を訪れていたという記録が残されています。一六〇八年、ペレイラ神父はマラッカの上司に対し、ブルネイに宣教師を派遣してほしい旨の手紙を書き送っています。しかしその要請は聞き届けられませんでした。当時こうした司祭らが来訪した末に、殺害されてしまうという悲劇的な結末がしばしば起こっていたのです。
 一八四六年、ボルネオ島に国教会の宣教師を派遣すべく、ボルネオ教会ミッション(後に他宣教団体に吸収された)がイギリスで設立されました。又、聖公会司祭として初めてフランシス・マクドゥーガル司祭がマレーシアを訪れた後、一八四〇年代終わり頃にはこうした来訪が何度か繰り返されました。しかし、定期的な礼拝の場がブルネイの首都に初めて開かれたのは、聖アンドリュー・ホールが開かれた一九三一年でした。
 ボルネオにおける福音宣教初期には、神の大きなみわざによって、トゥルーサンとラワス地域の全ての部族民、そして国境沿いに住む多くのルン・バワン部族が主を信じました。今日、部族教会は政府に公式教会として登録されることを拒んでいますが、教会による部族伝道は続いています。
 首都バンダルスリブガワンにある聖公会の聖アンドリュー教会と、姉妹教会でセリアにある聖マーガレット教会とクアラ・ブライトの聖ヤコブ教会を筆頭に、全体として見れば、教会はよく建てられています。聖公会教会はブルネイで公的に登録された数少ない教会の一つです。
 ブルネイのクリスチャンの大多数はローマ・カトリック信者です。ブルネイのカトリック教会は設立されて百年以上の歴史がありますが、一九九一年に全てのカトリック修道士と尼僧は国外追放されました。
 福音派のクリスチャンは全人口の内で約四.六パーセントです。ボルネオ福音教会は国内で法的にはその存在を持たず、外国人による伝道も禁止されています。クリスチャンがイスラム教徒に改宗することは許されている一方で、イスラム教徒が他の宗教に改宗することは禁じられています。
 ブルネイの中国人の多くは中国古来の様々な宗教を信じていますが、その十五パーセントはクリスチャンです。(「オペレーション・ワールド」より)ブルネイの部族人の多くがイスラム教徒ですが、密林の村々に住む部族にはクリスチャンがいます。マレー系のクリスチャンはごくわずかで、厳しい迫害にさらされています。
 ブルネイ教会とOMFの関わりは限られており、特に中国人教会で、教職や人々を励ますことや、時々聖公会やベテル教会で奉仕をするといったことに限られています。国内の厳しい制約により、働きは公にはなされない目立たないものです。
 この未伝のブルネイのマレー系イスラム教徒の人々への関心と注目は高まってきています。どうかお祈り下さい。


「語学学校の学びを終えて」
吉澤恵一郎・香

語学学校最終日。皆で記念撮影  六月末で九ヶ月間の語学学校での学びを終えました。本当にたくさんの国の人たちと一緒に学ぶ時間が与えられたこと、カルチャーショックに苦しみながら、たくさんの人たちに助けてもらったことはかけがえのない経験でした。必ず、宣教師として働いていく中で、この経験が生かされるのだろうと思います。肝心の学びは思うように進歩しないことにがっかりすることもありましたが、最後に校長先生から「驚異的に進歩しました。」とのお褒めの言葉を頂いたので、素直に喜びたいと思っています。しかし、何度「もっと英語ができたなら。」とつぶやいたことでしょうか。語学が不得手なことで、宣教師として働くことに自信をなくしていました。でも、神様は「何事かを自分のしたことのように考える資格が私たち自身にあるというのではありません。私たちの資格は神からのものです。」( II コリント三章五節)の御言葉によって英語が苦手な私に、宣教師として働くことを励ましてくださいました。神様に励まされてゴールは無いと言われる語学の学びをこれからも、続けていきたいと思います。(恵一郎)
 いよいよ帰国の準備が始まりました。英語学校も終了し、荷物を整理しながらイギリスでの生活を振り返っています。
 英語学校では、様々な国から来ている、同じ信仰を持つ友と出会い、ともに励まし合い、祈り合うことができました。
 出席させていただいている教会でもイギリス人の友と課題や苦しみを分かち合い、一緒に賛美し祈り合う時を持つことができました。
 英語を学ぶことを通して、言葉の壁を越えることの難しさを知りました。また、言葉が不十分であっても、生きてきた背景が違っていても、同じ神様をともに礼拝できる楽しさを味わうことができました。日本とは違う歴史・背景、文化を持つ世界で生活することと、異文化を超えて信仰によって理解しあえることを体験し、学ばせていただきました。驚きの連続でしたが、一年前には全く予想することのできない経験ばかりでした。
 この経験が、今後どのように生かされるのでしょうか?神様がどんなドラマを用意してくださっているのか、帰国の準備をしながら期待に胸を膨らましてます。(香)

【祈りの課題】
1.帰国の手続きを滞りなく済ませ、無事に帰国できるように。
2.帰国後も多くの変化があるので、特に子どもたちの心と体が守られますように。


「クロチェに着いて」
カンボジア・クロチェ  今村裕三、ひとみ

家の前から眺められるメコン川に映る夕日で癒されます  六月二二日にクロチェに無事に引っ越し出来ました。日本での引っ越しとやや違い、荷物が砂埃だらけになり、一部の物が壊れましたが、雨が降らず感謝でした。(降っていたら荷物は泥まみれで、さらに大変な状況になっていたでしょう)家は川沿いの景観の美しい所にあります。まだ見たことはありませんが、「河イルカ」が近くに生息しているそうです。
 デング熱に罹り、タイに治療に行っておられたダニエル師は、回復されました。お祈り感謝します。しかし、療養のためにスイスへ帰られました。クロチェの宣教師チームは私たちと台湾人のウェイウェイ師の三人となりました。元々、ウェイウェイ師は六月に別の場所に移られる予定でしたが、私たちとの引継ぎのためにそれを延長してクロチェに残ってくださっています。その場所も宣教師が一時帰国するために、人手が足りません。こう事実だけを並べると困難を覚えますが、それだけ神様に期待する気持ちの高まりを感じます。今は教会の人たちの状況をつかむことに時間を費やしています。それぞれの方はとても貧しく、様々な経済・健康の問題を抱えておられます。しかし、それぞれの歩みを見ると神様のくすしい御業なしにはあり得なかったことばかりです。神様は決して何事も無駄にされない方であり、また教会は宣教師のものではなく神様の身体であることを覚えることができ感謝です。クロチェでの私たちの働きが神様の働きの邪魔をすることなく、神様の栄光を表すことが出来るようにお祈りください。(ひとみ)
 いつも変わらぬお祈りを感謝します。先日は、クロチェに住み始めて初めての休日を楽しみました。プノンペンでは週に一日の休日が取れていませんでしたので、ゆっくり霊肉ともにリフレッシュできました。
 五月下旬から六月は次から次へと予想しなかったことが起こり、主に祈る毎日でした。ダニエル師の帰国に伴い、チームリーダーに任命されました。そして、宣教師が引き上げる計画中のクロチェでは、私たちの予想を超えて宣教師の数が減りました。
 今のところ、クロチェでの生活も守られており感謝です。教会の方々に暖かく迎えられ、一人一人との関係作りから始めています。七月中旬には、プノンペン聖書学校を卒業するセイハー兄がクロチェ教会に帰ってきます。教会から霊的・経済的な支援を受けて、卒業後は三年間教会で仕えるという約束に基づくものです。過去にクロチェ教会から聖書学校に送った学生の内、初めてクロチェ教会に帰ってくる兄弟です。彼は、教会リーダーとして奉仕する予定です。これで教会リーダーは三人になります。神学の学びを系統的にした者は彼しか教会にはいませんので、教会の期待も大きいです。セイハー兄が一番若いリーダーになりますので、うまく教会の交わりのなかに加わり、リーダーの役割を果たしていけるようにお祈りください。(裕三)

【祈りの課題】
1.クロチェ教会のリーダー(コン兄、ブンソン兄、セイハー兄)のために。特に、神学校から帰ってきたばかりのセイハー兄の奉仕のために。謙遜に、そして忠実に神に、人に仕えることができるように。
2.プノンペンで共に学びをしていたダニー姉は菅家容子師とカンボジア人のクリスチャンがフォローアップしてくださることになりました。ダニー姉の信仰の成長の為に。


「海を越えての協力」
北タイ・チェンマイ 邦人伝道 野尻孝篤師・明子師

葬儀司式の野尻師と通訳の有澤師  この一ヶ月間、特に、海を越えての教会間の協働、ネットワークということを覚えさせられています。
 近くにあるバーン・サバイ(青木恵美子師・早川文野姉主管)というエイズ患者のシェルターでスタッフとして働く若い女性が礼拝に出席されるようになり救われました。今月帰国され神戸の教会に出席され受洗をも準備されています。ドイツで奉仕しておられた芳賀正師より、イタリアのミラノの日本語教会・内村師からの問い合わせが送られ、一人の姉妹がチェンマイ教会に紹介されました。日本語教師ですが、手術をすることになったりする中で、ドイツ、ミラノ、チェンマイ、日本での祈りが積まれ、最近、イエス様を受け入れられ、今、平安と希望を見出しておられます。また、ボランティアとして一ヶ月奉仕されていた、元看護婦の方が、様々な課題の中から、昨日、帰国直前に救い主を受け入れられ、明るく輝いて帰国されました。大阪の教会をご紹介しました。
 チェンマイの魂の救いと成長が多くの国々の教会の方々の祈りとご奉仕によって実現していることを覚え御名をあがめています。
 バーンサバイの早川文野姉のお母様がタイに共に来られ昨年、信仰を持ち受洗されましたが先日、召されて天の教会に移されました。チェンマイ教会の最初の葬儀は百人ほどの参列の方々に天の希望を与える素晴らしいものとなりました。(孝篤)
国王在位60周年記念パレードで  六月、タイ国はプミポン国王在位六十年のお祝い一色でした。当地でも目抜き通りを一万人ほどのパレードがあり、日本人会も参加。男女、青と赤のハッピ姿で横断幕と小旗を振っての行進で、私も役員の一人として加わりました。王の王、主の主に礼拝を献げたいと思います(明子)

【祈りの課題】
1.最近礼拝出席を回復されているご高齢の夫妻の新生のために。求道者の方々が続けて教会に来られ、信仰に導かれるように。
2.チェンマイでクリスチャンとなられて日本に帰国された方々が、教会生活を継続されますように。


「大事なことは『主にあって』『主のために』」
一時帰国中  西村信恵

北海道聖書学院の皆様と  北海道巡回の終わる六月最後の日曜日、希望の丘教会の夜の礼拝の前に、渡辺先生が羊が丘に連れて行ってくださいました。ずっと雨だったお天気もその日は気持ちのいいくらいの晴れでした。「少年よ、大志を抱け」と語ったクラーク博士の銅像を眺めながら、ふと銅像の横を見ると、なんとそこではおみくじが売られていてがっかりしました。本当は、「少年よ、主にあって、大志を抱け。」と語られたのになあと思いつつ、今度はウィリアム・ケアリーの語った「主のために大いなることを計画し、大いなることを成し遂げよ。」という言葉も思い出していました。北海道の教会では、若者が多く集っている教会がたくさんあり、頼もしく思いました。暗いことの多い、就職率の厳しい、生きにくい日本の社会の中で、青年達が大志を抱くこと、大いなることを計画し成し遂げること、は必要ですが、大事なことは「主にあって」抱く事であり、「主のために」であることです。青年達だけでなく、わたしも含め、クリスチャン達一人ひとりがそのように生きていくことができたらと思わされました。
羊が丘にて  北海道滞在中は、緑の中を歩く機会も多く、ゆっくりと休養もとることができ、心も体もリフレッシュできた時でした。北海道の平賀先生に健康診断もしていただき、健康状態も良好でした。移動が多く、よい出会いがあってもすぐにお別れしなければならないことの多い中、三週間の滞在中、北海道聖書学院を拠点に過ごすことができ、学院生の皆様と家族のように過ごせたことも感謝なことでした。カンボジア人留学生で信仰を持ち続け成長しているホーさん、イギリス時代の友人、姉の大学時代の友人、思いがけない出会いを通して神様は一人一人の人生の中で続けて働いておられ、みんな何処かでつながっている不思議さも思わされました。巡回が祝されますように、続けてお祈りください。感謝して。

【祈りの課題】
1.8月は、母教会での交わりやキャンプの参加、後半は大阪巡回です。健康が支えられ、巡回が守られますように、宣教に目を向ける方々が多く起こされますように続けてお祈りください。
2.実家に滞在中、歯の治療や免許の更新など、出発前に済ませておかなければならないことができたらと思っています。スムーズにそれらのことができるようお祈り下さい。

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