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カンボジアでの短期宣教ボランティア体験  福永 幸恵

福永幸恵さんは個人で短期宣教プログラムに参加され、カンボジアの宣教師の子供たちのプログラムのお手伝い、インターナショナルスクール訪問、ニャアックルアン教会・レインボー幼稚園訪問をされました。

 7月22日から8月7日まで、短期宣教ボランティアとして、カンボジアに行く機会が与えられました。行く前は、初めてカンボジアに行く事や、初めて会うアメリカからのチームとの奉仕など不安な事がたくさんありましたが、振り返ってみると、とても恵まれた時がすごせ、また神様がすべて備えてくださってたという素晴らしい経験もする事ができました。
 カンボジアに着いて最初の週は、プノンペンでの、オリエンテーション、準備、観光など、カンボジアやOMFについて学んだり、チームの人たちと交わりの時間を持ちました。その後、シアヌークビルという場所へ移動し、5日間のコンファレンス中、3歳から高校生までの宣教師の子供達のためのプログラムで奉仕をしました。1日5~6時間、聖書のお話、賛美、工作、プール、ゲームなどして子供達と一緒に過ごし、またチームとは、共に祈り、賛美し、御言葉を分かち合う時間もありました。コンファレンスの後は、ニャックルアンへ行き、ユース集会、日曜礼拝、セルグループでの分かち合い、村での伝道、教会幼稚園の訪問など、様々な経験をさせていただきました。ほとんどクメール語で、宣教師の方や、牧師先生に通訳してもらいながらの交わりでしたが、同じ主を信じる人たちとの交わりに加わる事ができ、とても恵まれました。その後、シェムリアップに行き、小さいお子さんが2人いる宣教師のご家族のお家に泊まらせていただきました。観光などができたのもよかったのですが、何よりもこのご家族との交わりが祝され、コンファレンスで会った4歳の子が私が来た事をとても喜んでくれて嬉しかったです。
 カンボジアでの滞在は、あっという間に過ぎてしまいましたが、振り返ってみると、いろいろな出来事を通して、主は一つ一つの事を備え、導いてくださった事を教えられました。また、長い間、宣教という働きに関わりたいと思い、祈ったきた事が今回このような形で答えられたということを経験できたことも感謝でした。
 私が宣教に興味を持ったのは高校時代、東南アジアで宣教師の子供達と共に寮生活を送り、宣教師の先生方に学校で教えてもらっていた時でした。『宣教地』に住み、『宣教』ということが日常的に話されている中で過ごし、私もいつかそのような働きに関わりたいと思いはじめました。その後、アメリカの大学で学んでいた時も、何かの形で海外で宣教の働きに関わりたいという思いを持ち続けていました。そして大学院在学中、今働いているクリスチャンアカデミーという、宣教師の子供達も多く通っている学校で働くという仕事が与えられ、日本に帰国することになりました。日本で宣教師の子供達と関わっていくという仕事につくことができ感謝でしたが、心のどこかにいつかは海外に、という気持ちがいつもありました。そんな中、祈りつついろいろな可能性を探る中で、短期宣教ボランテイアの話を聞き、夏休みにカンボジアに行くことができました。
 この経験を通して、宣教師の子供達のサポートということも大事な宣教の働きの一部なことを改めて教えられました。そして、短期宣教という機会を通して、今与えられている仕事を続けながらも宣教の働きに関わっていけることをも気づかされました。また、高校時代に東南アジアに住み、宣教師の子供達と寮生活を送った事、祈りつつ待っていた期間に経験してきたキャンプでの奉仕、CAJでの働きなど今までの経験が用いられる奉仕の機会が与えられた事も感謝でした。
 今回、このような機会を通して、国や文化、言葉の違いをこえた、神の家族の交わりを経験できたことも大きな恵みでした。カンボジアにもいろいろな国から宣教師の方達が来ていますが、様々な宣教の働きの話を聞く事ができ、たくさんの事が学べ感謝でした。また、カンボジアに行くことを通して、日本も宣教地であり、たくさんの宣教師の方が来て下さっていることを覚え、日本での宣教の働きについても、もっと知り、共に祈っていきたいと思わされました。今回のカンボジアでの経験が、与えられている仕事、教会での奉仕や交わり、伝道、宣教師の方達との交わりの中で、生かされる事を祈りつつ、続けて世界の宣教の働きを覚え、祈りの輪に加わっていきたいと思います。

海外宣教実習証し  I兄

2014年7月7日-16日、東南アジアのA国を訪問し、そこでの様々な宣教師の活動を見させていただき、プレイヤーウオークをしてきました。色々な角度から現地の方々に関わり愛を注いでおられました。現地に行くことにより参加者全員がA国への祈りの思いが強められて帰ってきました。その時の証しです。

 私がこの宣教実習にあたって目的としていたものは、新たな視点が与えられる事でありました。今までの価値観が通用しない世界に行くことで、私に新たな気づきが与えられる事を願いました。不安がありましたが、出エ33:14 「わたし自身が一緒に行くであろう。」と励ましがあり、信仰をもって出発しました。
 ある程度予想はしていましたが、A国での異文化体験は私の想像をはるかに上回っていました。その世界はカオスでした。しかしカオスの中に秩序が不思議とありました。もう故障しそうなバスがすごい音で走っていました。バスの中からノリヨ、ノリヨとおじさんたちが叫んでいました。バスは寿司づめでした。雨がバケツをひっくり返したように、そして毎日降りました。道に信号がなく、車が来ない時を待ち道をわたりました。4車線ある通りでも同じように渡りました。中央分離帯で人が沢山待っていました。道には赤いものがたくさん吐き捨てられていました。現地の噛みタバコのようです。ごみがそこらじゅうに散らばっていました。犬も放し飼いでした。現地の方には失礼でしょうが、異臭が漂っていました。映像などからはわからないA国の現実を肌で感じました。
 孤児院の子ども達の姿は私を慰めてくれました。孤児院も衛生的には劣悪な環境にありましたが、子ども達が元気に賛美する様子に力をいただきました。そして話す中で医者や牧師を目指している子ども達に希望を感じました。また小さい子は愛に飢えているのか甘えてきて、それは言葉を越えて私に何かを訴えているようでした。神はこの子たちを愛しているという思いが私に迫ってきました。神のあたたかいまなざしがひと時感じられました。
 とはいえ言葉が通じないストレスは大きなものでした。A市の市場で買い物をしましたが、英語は通じる時と通じない時があり、A国語はチャレンジしましたが、こんにちはとありがとうくらいしか通じませんでした。そして孤児院でプログラムを行ったとき、私の用意していたゲームが時間の都合上できなかったことも、私をがっかりさせました。準備していた救いの証も機会に恵まれず残念でした。それらの事が重なったせいでしょうか。はっきり原因がわかりませんが、金曜日の夜には一睡もできなくなってしまい、その結果土曜日にはお腹をこわしてしまいました。
 まさか自分がストレスで体調を崩すなどと思ってもみませんでした。しかしここまで追い込まれた事も、これをなされたのも主であることを今は思います。計画していたことをとどめられたのも意味あることだと思います。思い通りにいかない事、旅先ではあたりもあればはずれもある、それは当然の事なのだと受け止めるのに、異文化体験に不慣れな私には時間がかかりました。
 日曜日の礼拝の中で語られたメッセージと、その中で話された言葉に神様からの声かけがあったように思います。メッセージは祈りに関する話でしたが、どんな時でも祈りは聞かれている事、ALL THE TIME  GOD IS GOODであること。A国も激動の時で新旧色々な物が入り乱れていますが、その中で守るべきものは何か、何を変えていくべきなのか、それは神に聞くことでしかわからない事です。また日本も今は豊かですが、これからの事に関してはA国と同じく全くわかりません。私自身もお腹をこわし、私の歩みが一度止められる事で、私の歩みを見直しさせられました。私は今の自分でけっこういけると傲慢にも思っていたところがありました。自分には今回特に求められていた柔軟性がありませんでした。しかし祈りは確実に神に聞かれている事、そして神ご自身は変らずGOODな方である事に目をとめさせていただきました。
 今回の新たな視点をもつという目標に関して、私は一つの結論を得ました。新たな視点を持つために、今までの視点は根底から見直さなければならない事です。これには今での慣れたやり方をいったん捨てるという痛みを伴います。しかしそこを通らないと見えてこない世界があるならば、献身者としては、クリスチャンとしてでしょうか、行かなければならないかと思います。正直なところ、今はまだ消化不良のこのお腹のような理解の中にあります。ただパウロのように前に向かって体を伸ばしつつ前に進む、そのきっかけをつかめたこの宣教旅行に感謝します。A国での体験がこれからどのように生かされていくのか楽しみです。様々な方の背後の支えと祈りがあったことにも合わせて感謝したいです。ありがとうございました。

A国宣教実習レポート  F兄

2014年7月7日-16日、東南アジアのA国を訪問し、そこでの様々な宣教師の活動を見させていただき、プレイヤーウオークをしてきました。色々な角度から現地の方々に関わり愛を注いでおられました。現地に行くことにより参加者全員がA国への祈りの思いが強められて帰ってきました。その時の証しです。

1.格差について
 私がAという国で最初に考えさせられたことは、格差ついてでした。
 私はA国の貧しい部分と、富んでいる部分を両方見ました。
 B村の水道のない、雨水を溜める生活、当然舗装されていない道路、骨組みに竹を敷いただけの家屋を見ました。本当に貧しいとはどういうことなのかを知りました。
 つぎにAタワーの最上階で、高級なレストランに行きました。そこでスムージーを飲みながらA市の景色を眺めました。今日明日の水について悩んでいる人がいる一方で、このホテルで食事をする人間が存在することの現実を見て複雑な気持ちになりました。
 しかし、同時に私は飲んでいるスムージーがあまり美味しくないことに気づきました。
 日本にはもっと美味しい飲み物が沢山あります。私は、自分がそのレストランで食事が出来る人々より、更に批判されるべき側に立っている人間なのだと気づいて、衝撃をうけました。

2.自分のできることについて
 2つ目は、自分のできることについて考えさせられました。
 A国では、孤児院や、B村で着替えや文房具を配ってまわりました。
 それは求められていることではありましたが、それを行っても彼らの抱えている問題が何も解決しないことをおもわされました。道で物乞いをする人に物を与えたところで、彼らは決して豊かになることがありません。私は彼らを救うことができません。
 A国に起こっている様々な問題は、その一つ一つがとても巨大でした。貧困一つをとっても、それの原因となっている政治的、宗教的な問題は到底私達の手に負えるものではありませんでした。物を配り、プログラムをこなしましたが、結局自分は彼らの為に何もしてあげることが出来ないことを痛感しました。

3.祈りが変えられたこと
 3つ目に、祈りが変えられたことを感謝しました。
 行く先々で、私達は「祈ってください」と求められました。
 病気の為に、怪我の為に、家族の救いの為に。私達はその場で、短く日本語で祈りました。
 それは単純な祈りでしたが、いつも祈っている以上に、そこに働かれる神様の力を感じました。私はそのとき、彼らの為に祈ることができることに気づかされました。
 今まで私は実際に貧しい人を見たことがなく、、食事の前に「食べ物のない人たちが守られるように」と、漠然と祈りつづけてきました。しかし、様々な人に出会うことによって、一つ一つの顔を思い出しながら祈れるようになっている自分に気づきました。私の祈りは、神によって変えられました。
 私は何もできませんが、彼らの為に神に祈ることはできると気づきました。
 「何事でも神の御心に適うことをわたしたちが願うなら、神は聞き入れてくださる。これが神に対するわたしたちの確信です。」( I ヨハネ5:15)
 「イエスは彼らを見つめて、「それは人間にできることではないが、神は何でもできる」と言われた。 」(マタイ19:26)
 私の力では何も出来ませんが、私の祈りには力があります。この天地を創られた神様は私の祈りを聞き届け、御手を振るってくださる主権者だからです。出会った貧しい人々の為に、A国という国の為に、重荷を与えられた宣教師の先生方の為に祈ろうと思いました。
 そして何も出来ないながらも、自分に与えられているものをどのように有効に活用できるか考えようと思いました。まだ考えはまとまりませんが、自分の時間や持ち物を、神様の御心に従って使っていこうと、改めて決心されました。
 A国で与えられた学びを主に感謝します。

A国での海外宣教実習においての証  S姉(その1)

2014年7月7日-16日、東南アジアのA国を訪問し、そこでの様々な宣教師の活動を見させていただき、プレイヤーウオークをしてきました。色々な角度から現地の方々に関わり愛を注いでおられました。現地に行くことにより参加者全員がA国への祈りの思いが強められて帰ってきました。その時の証しです。

 私は宣教に対しての視野を広げてほしいと願って参加を決めました。研修一か月前になって、A国でのスケジュールを頂きました。孤児院やB町で子どもたちへのプログラムをすることになっていました。A国の子どもたちの3分の1は栄養失調状態だということでした。私は貧しい地域の子どもたちを画像や映像でしか見たことがありません。貧しい子どもたちの為に祈る時、遠くに感じ、どこか形式的になっていたのではないかと思います。しかし、現実にあることなのだ、とりなしの祈りを必要としている子ども達がいるのだと実感して祈ることができるようになりたいと思わされました。そして、そんな子ども達、青年達に対して宣教をなさっている先生たちの働きを知ることを通して、主から福音宣教の情熱をもっと頂きたいと願って祈って参加しました。

 A国での海外宣教実習を通して、異文化を経験したこと、宣教の情熱を頂いたこと、異文化同士でも一致できることを学びました。その事を分かち合いたいと思います。

異文化を経験したこと
 まず、異文化経験についてです。夕方6時過ぎにA国の空港に着きました。現地JTBのガイド、ミャスさんが、A国について説明して下さりながら、夕食を食べることになっているレストランに向かいました。A国料理の夕食後、ホテルに行って休みました。とても豪華なホテルでした。いわゆる一般観光客としての1日目を終わりました。二日目は地図とちょっとした会話がわかるプリントを頂いて、豪雨の中、与えられたタスクをこなしていくという、オリエンテーリングを行いました。見知らぬ外国に言葉が分からないまま放りだされるという体験をしました。ひとりきりでなく二人だったので良かったです。日本と似ているところ、日田(出身地)と似ているところを見つけて、A国を理解しようとしていました。解らないものを解ろうとすることはとてもエネルギーのいることだと知りました。言葉が通じない、日本と比べてマーケットは不潔で、戦後復興時の日本に似ているかも?昭和初期の日本?と、思ってもそれは実際経験したことが無いものです。気候は日田の一番大変な時期と似ていて、交通はありえないほど荒々しくて、混雑して、やかましくて、タクシーやお店の人はぼったくろうとする人が多くて、外食は安心してできない、住宅の設備は整っていない、そして、タイトスケジュールで洗濯する時間もほぼないという、日本で暮らしている時の大変な経験をいっぺんに経験するようなものでした。日本と比べて、過去の体験と比べて理解しようとしましたが、比べたからといって現実の大変さが減るわけでもなく、これがA国期間限定バージョン宣教スタイルなのだと受け入れました。日本ではありえないと思う異文化経験でした。自分の常識ではやっていけない、文化が違うということを経験しました。それを通して、学んだことは、常にフレキシブルに対応して従うということでした。訳もわからずに従うというのではなく、よく聞いて、解らないことはドンドン積極的に尋ねて、主を信頼して、相手を信頼して、委ねて従うということでした。そうすることで、主にある豊かな交わりを経験することができました。

宣教の情熱を頂いたこと
 次に宣教の情熱を頂いた恵みです。
 Y先生と医療チームに連れられて、孤児院に行きました。120~130のキリスト教団体が支えている孤児院があり、そこを、年に1,2回いけるか行けないかでようやく回っているとのことでした。週に二日巡回しています。健康診断と治療を行い、ビタミン剤をプレゼントされています。私達学生は2か所の孤児院で子どものためのプログラムをさせていただきました。英語のみのプログラムで私はダンス賛美の担当でした。緊張しながらも一緒に神様を賛美できて感謝でした。一緒に行った医療チームは青年たちでした。Y先生が医学生対象にサポートしている聖書研究会から導かれてクリスチャンになった人たちで、子どもたちに対して重荷を持ち、医療ボランティアをしています。一緒に過ごし、何とかコミュニケーションをしようとしているうちに仲良くなり、覚えた日本語の賛美を歌ってくれ、A国語の賛美も教えてくれました。
 「その2」へ続きます ⇒

A国での海外宣教実習においての証  S姉(その2)

2014年7月7日-16日、東南アジアのA国を訪問し、そこでの様々な宣教師の活動を見させていただき、プレイヤーウオークをしてきました。色々な角度から現地の方々に関わり愛を注いでおられました。現地に行くことにより参加者全員がA国への祈りの思いが強められて帰ってきました。その時の証しです。

← 「その1」よりの続きです
 B村を訪問するときはお年寄りのクリスチャンが案内してくれました。名前はラジャマさん。足がお悪くて、祈ってほしいと言っておられました。毎週土曜にノンクリスチャン家庭を開放して頂いて子ども伝道をしておられる方です。ラジャマさんたちは家の修理など、愛の奉仕の結果、ノンクリスチャン家庭を開放して頂いています。ラジャマさんに案内されて歩いて行くとだんだん子どもたちが集まってついてきます。毎週来てくれている子どもたちだそうです。始めにラジャマさんが祈ってくださって、子どもたちが、覚えている讃美を3曲歌ってくれました。みんなノンクリスチャンと聞いていたので驚きました。ダラでも2か所で子どもプログラムをさせていただきました。青年たちに教えていただいたA国語の賛美が用いられ、主が子どもたちと心ひとつにして下さいました。主を賛美する喜びで私たちの心を一つにして下さいました。子どもたちはメッセージを聞き、共に祈り、礼拝をささげました。
 子どもたちは非常に不衛生な環境にいて、十分な栄養が与えられていない状態です。孤児院の子どもたちは学校に行かせてもらっていますが、貧しい家の子どもたちは教育を受けられずに働かなければならない状況です。私は子どもたちに何ができるだろうと、この国の貧困に対して何ができるだろうと思わされました。そんななか、詩篇111篇5、10節が示されました。主の御手の中にあるA国で主を恐れることを教えることが子どもたちにとって、ノンクリスチャンにとって大切だと思わされました。主によってA国人自らが一人一人聖書から教えられ、共に聖書の価値観で生きていくことによって知恵が与えられ、祝福されることが大切だと示されました。A先生の働きを通して、青年クリスチャンたちを通して、ラジャマさんを通して、A国人の必要にそった方法で御言葉と愛の技が届けられていました。世界から協力と励ましを受け、A国にいるクリスチャン同士が協力し励ましあう中に宣教の業が行われていました。クリスチャンが主に在って思いやりを持って理解しようとし、生活に寄り添い、聖書の価値観「主を恐れる」ことを共に過ごしながら示し、良い影響を与え、人知をはるかに超えたキリストの愛を共に経験して感謝していくこと、お互いに励ましあい、祈りあって生活している姿を見させていただきました。Y先生とA国人クリスチャンの宣教の在り方を見させていただき、私も励まされ、私もそのように宣教するものでありたいと情熱を頂きました。

主によって、御言葉によって一致できる
 主日礼拝は約30年前にB族が宣教して出来た教会へ行きました。A国語で賛美し、祈りし、メッセージが語られました。開かれた御言葉はエペソ5:23-32でした。30節の「わたしたちは、キリストのからだの肢体なのである。」が心に響きました。A国の方々と共に礼拝をささげることを通して、イエス様に在ってこそ、イエス様によってだけ異文化同士のものが一致できるのだと思わされました。イエス様の体の一部であるお互いが愛し合い助け合うことを示され、主の御心、御言葉に従うことができるようにと祈りました。御言葉に従うこともクリスチャンだからこそだと思います。同じ御言葉に従うクリスチャン同士なのだと思いました。

 A国に来て異文化を経験し、宣教の情熱を頂き、異文化同士の者でも主に在って一致できることを学ばせて頂き感謝です。私は実習教会へ1年ごとに違う教会に遣わされていますが、同じ日本でも同じ教団でも、それぞれ文化と歴史が違う教会でした。異文化の中で宣教するということを教えていただいたことは日本においての宣教においても通用することだと思わされました。同じ日本人でも、同じ教会で育った者でも、異文化をお互いが持っていることを思わされました。主に在って思いやりを持って理解しようとし、生活に寄り添い、聖書の価値観「主を恐れる」ことを共に過ごしながら示し、良い影響を与え、人知をはるかに超えたキリストの愛を共に経験して感謝していくこと、お互いに励ましあい、祈りあって生活していくことを実践したいと思います。自分の力ですることはできません。聖霊の助けにすがりつつ祈りつつはじめていきます。

東南アジア短期宣教報告  O兄

2014年7月7日-16日、東南アジアのA国を訪問し、そこでの様々な宣教師の活動を見させていただき、プレイヤーウオークをしてきました。色々な角度から現地の方々に関わり愛を注いでおられました。現地に行くことにより参加者全員がA国への祈りの思いが強められて帰ってきました。その時の証しです。

 主の御名を賛美します。短期宣教実習で7月7日から16日まで東南アジアA国へ短期宣教実習旅行で行ってきました。たくさんの方からお預かりした尊い献品も児童養護施設(以下施設)に無事配ることができ、そこにいる子どもたちや施設の方たちにとても喜んでいただけました。ありがとうございました。
 この国は仏教徒が90%、クリスチャンが5%いると言われています。ですが外国人が宣教をすることが禁じられており宣教師も就労ビザなどで働きながら福音を伝えております。 経済成長は著しくこの数年輸入に関する関税は変わったみたいで日本からの輸入車が多く走っていました。家賃も年ごとに倍になり宣教師たちの経済を苦しくなっていると聞きました。
 私は今回の宣教実習で多くのことを体験させていただきました。そしてそこで2つの大きな変化がありました。ひとつは「貧困」への考えと、そして世界宣教に対するイメージの変化です。
 まず貧困についてですが、私は初めて施設やスラム街を見ました。そこで見るものは映像や写真で見るものと違いそれらのものでは語れない臭いがあり哀しみがありました。貧困がこの国を覆っている印象を受けました。聞けば貧困により教育を受けることができない、自分たちで貧困から抜け出すための仕事を見つけることができないといった負の連鎖がそこにあるということでした。
 私はこの実習の前半は胸が締めつけられていました。又別の貧困層が貧困からの救いを求めて仏塔に自分たちの収入のほとんどを捧げているため尚貧しくなっているとありました。
 ですが、祈りと参加者同士の交わりの中で、主がこの国と民を愛しておられること、貧しいものの味方であり、主が何よりこの国の現状を嘆いておられること知ることができました。このことが私に多くの慰めと励ましを与えてくれました。そして宣教師がその国でどのような働きをしているのかを見ることを通して主の御業を見ることができたことも大きかったです。
 宣教師たちは使徒の働きに出てくるような、悔い改めを説き、救いに導く‐という働きのみにとどまらず、刺繍などの技術や識字教育をし、その国の問題に彼ら自身が立ち向かわせるため仕える存在でした。私から見てその取り組んでいる働きこそが「大胆な宣教」でした。
 また、この国には140以上の部族と言葉があります。その中で主たる部族の言葉が共通語となりつつあり、一方で地方の少数部族は”話し言葉”が存在していても文字としては存在しない現状があります。その中で共通語の流通により「死にゆく言葉」となっている少数部族があります。ある部族においては文字化する働きがなされ、ある部族では聖書翻訳のプロジェクトがなされています。これらを通して彼らの言語(文化)を助けることになり、このプロジェクトが少数部族を生かし、福音が伝わることを広げています。
 宣教師の働きの中に困っている人に敢えて物資を届けない働きを見ました。もちろん届ける働きもすばらしい働きであり、それを今回させていただきました。届けることも、敢えてそれをせずに働きをしている両方も神の御業であると考えます。その上で私たちが、彼らの目には富める国からやってきて物資を届ける人になっていないだろうかとも考えさせられました。実際本当に必要なのはその地でのきれいな水を確保する技術や貧困から抜け出すための教育・技術ではないかと感じます。そしてそれらに解決をもたらすのは何においても主の働きであり、十字架の愛であることを見させられました。施設にいる子たちもこの日本にいる子たちもすべて世界の光であり、主に愛された者です。
 宣教旅行は私個人の献身生涯に大きな大きなインパクトが与えられました。異文化を体験することによって私の土台が変わり、今は新しい土台を元に再構築し主にお仕えしていく段階であります。この作業は1日2日でできるものでなく2年3年とかかるかもしれません。ですが、この作業の中で何度も主に取り扱われ成長し主の御言葉を大胆に伝えていく者となっていきます。主に感謝し報告いたします。

海外短期宣教旅行の証  N姉

2014年7月7日-16日、東南アジアのA国を訪問し、そこでの様々な宣教師の活動を見させていただき、プレイヤーウオークをしてきました。色々な角度から現地の方々に関わり愛を注いでおられました。現地に行くことにより参加者全員がA国への祈りの思いが強められて帰ってきました。その時の証しです。

 私がこの宣教旅行に期待していたことは、宣教とは実際にどういうことなのか教えられたいということでした。宣教報告会などで、お話を聞いたり、授業でならうだけでは、実感として理解できなかったからです。私はほとんど日本から出たことがありません。A国に来て日本との違いしか感じられませんでした。言葉、気候、におい、食べ物の種類、味つけ、不衛生なこと、シャワーでお湯がでないこと。たくさんの貧しい人々を見ました。しかし日本のように清潔で整った国にすること、貧しい人々を助けること以上に、この国でクリスチャンがどのように神様に用いられているのか、宣教とはなんなのか教えてくださいと祈り続けました。
 一方で、私は食事が全く受け付けられず、旅行中ほとんどA国料理を食べられませんでした。現地の人を理解したいと思っても言葉がわからず、食事ができないことで、ただ一緒にいて出された食事を喜ぶこともできない私は、A国の人を理解して受け入れるすべが何もないのだと、ただただ落ち込むばかりでした。しかし、スケジュールが進んで、自分の行ないによって自分の人生や価値をはかる仏教の価値観に縛られたA国の人たちのことを教えていただき、私もどこか同じような価値観を持っていることに気づかされました。何かをするために来たのではないと思いながらも、何か自分で価値あると思える働きをすることによって、自分がそこにいる意味を見いだそうとする、そうしなければ安心できない自分がいることに気づきました。そうではない、ただ神様に造られた存在として神様に愛され、受け入れられる尊い存在とされていることを伝えたいと思いながら、どこかその価値観に生きていない自分自身を感じました。食べることができず、体調も崩れて本当に何もできませんでしたが、いたわってくれるメンバーや先生方の気遣いを素直に受けていいんだと思えたとき、「ここまで来て何もできないだめな私」を見て落ち込み、固くなっていた気持ちが楽になってそこにいることができるようになりました。
 日曜日になってB族の教会に行きました。そこではA国の人たちが洗礼を受け、聖餐を共にして、讃美歌を歌っていました。言葉はわかりませんでしたが、一つになって主を賛美している姿に、同じ神様をあがめていることに感動し、私たちは同じ礼拝の民とされていることを感じました。また、その夜、宣教師の方々との食事会のために、日本食を準備しました。食事は食べられないままでしたが、日本から持ってきた、梅干しや、のりを食べたとき、天ぷらを揚げたとき心から懐かしく、うれしい気持ちになりました。油ものが受けつけられなかったのに天ぷらを食べたくて、いくつか食べたとき本当においしいと思いました。「私はこんなにも日本食が好きだったんだ」と日本人である自分を初めて実感しました。違いばかりが目に入ったA国で、主にあって一つとされることを知りました。しかし、主がつくられた全くちがうお互いの違いの大きさ、つくられた神様の偉大さをあがめました。こんなに違う私たちが同じ主にあって一つとなることができるものとして造られている不思議に、驚きと喜びを感じました。
 月曜日、識字教育と、エスノアーツの働きを教えていただきました。A国の人たちが自分たちの言葉で聖書を読むことができるようにすること、自分たちの芸術が尊いものであることを認め、賜物を用いることを助ける働きを知りました。 I コリント9:20の御言葉が開かれ、「ローマ人にはローマ人のように」という言葉の意味の深さを思いました。この民族を知り、認め、この人たちに届く方法をそのただ中で模索しておられる姿を通して、A国の人たちに心から仕えておられるのだと感じました。A国の人たちが神様に造られた存在としての自分を知らないために、自分たちの存在、文化を価値の無いものにしてしまっている。そのゆがんだ自己認識に回復を与え、「神を愛し、自分を愛するように隣人を愛する」本来造られた形への回復を助ける働きが宣教なのだと思いました。同時に、ここに来て初めて日本人である自分を知った私は、今まで、日本人に意識して日本人のように仕えてこなかったことを教えられました。神様に造られた日本人である自分をもっと知り、それを賜物として愛し、神様との愛の関係をもっと深めたいとの思いが与えられました。そしてそこから、自分を愛するように隣人を愛することも始まるのだと思いました。いま与えられた場所で、神様に在って愛すること、他の人が神様との関係を回復するための手助けをすることを教えられ、実践できるものにされたいと願わされました。貴重な機会を与えくださり、祈っていた以上の恵みと憐れみに満ちた宣教旅行としてくださった主に心から感謝し御名を賛美いたします。

A国の10日間  M姉

2014年7月7日-16日、東南アジアのA国を訪問し、そこでの様々な宣教師の活動を見させていただき、プレイヤーウオークをしてきました。色々な角度から現地の方々に関わり愛を注いでおられました。現地に行くことにより参加者全員がA国への祈りの思いが強められて帰ってきました。その時の証しです。

 初めにこの短期宣教実習の話を聞いたとき、私はどこか他人事のような気がしていました。私には世界地図においてA国の場所すらはっきりとわからなかった。
 学校に入学して生活の切り替え途中の私は外に出ていくことが億劫に感じられた。自己負担経費のことも少し荷が重かった。希望は出したものの、のらりくらりと頭の片隅に置きながら時が流れました。そんな私の背中を押しだしたのは「これはフェイスミッションです。」の一言でした。出発前の学びの期間を通して主が与えて下さることであれば期待して祈ること、主はその御計画に私を通して人や物事を巻き込んでいく事をゆるして下さることを覚えました。行く前から主は備えて下さっていたことを思い出します。
 A国での10日間、日記を読み返し、記憶をたどったとき、主は本当にたくさんのことを私に語って下さいました。
 一番大きな事は主が私にA国を見せてくれた、ということです。
 働く人々、孤児院の子供たち、クリスチャンの医学生たち、貧しい地域、宣教師の方々、活気溢れる市場、きらびやかな寺院、物乞いをするお母さんの横でせき込む幼子、教会、都会のきれいな公園。その全ての背後に主がおられる真実です。
 貧困やよい働きの背後にある問題、心の痛みを覚える問題に主が誰よりも関わっておられ、とりなして下さっていることを知りました。A国には私が想像していたよりもたくさんの働き人がいました。光を燭台の下に隠すことなく働いている兄弟姉妹たちに私が励まされているのです。A国に住む人たちを主が創造されました。わたしはその顔をこの10日間で知りました。ほんとに一部の名前がわかる人たちを与えて下さいました。これが私の1番の喜びです。私は確かにお客様でした。でもこれから私はA国にいる顔の見える人たちの為に祈ることが出来ます!ハレルヤ!
 旅行中、早天で開いた御言葉(詩篇107編41~43)と学校に来て下さった宣教師の言葉がずっと思いの中にありました。
 『福音は貧しい人にも、富んでいる人にも、そして信じている私たちにものべ伝えられなければならない。』
 そしてA国を通して私が今置かれている日本、私のバックグラウンドである韓国の事を主は見せて下さいました。これも私にとって大きなことでした。全ての民が主を礼拝するために造られたこと、主が私に与えて下さった召しのこと、置かれた場所で主の最善をつくすことが出来るように更に祈りたいと願いました。

出て行く宣教へと押し出されて  K兄(その1)

2014年7月7日-16日、東南アジアのA国を訪問し、そこでの様々な宣教師の活動を見させていただき、プレイヤーウオークをしてきました。色々な角度から現地の方々に関わり愛を注いでおられました。現地に行くことにより参加者全員がA国への祈りの思いが強められて帰ってきました。その時の証しです。

1.今回の海外宣教実習を準備するに当たって、世界宣教に関わる6つの方法について学びました。その6つの方法とは、「祈る」、「学ぶ」、「動員する」、「歓迎する」、「送り出す」、「出て行く」というものでした。私は韓国で留学生活を送っていた時に教会へと導かれ、神様と出会いました。その時に私を教会へと導く役割を果たしたのがISF(International Student Fellowship)という宣教団体でした。ISFは韓国に来た留学生たちを神様の愛によって歓迎し、友だちとして彼らに神様の福音を伝え、愛を分かち合っていく働きをしています。私は救われた後、自然にISFでスタッフとして、留学生たちに仕えるようになっていました。ISFを通して、「歓迎する」という方法で、世界宣教の働きに加えられていきました。もちろん、海外への短期宣教旅行に誘われることもしばしばありました。しかし、私は、自分には韓国の国内で委ねられた大切な働きがあると思っていたので、短期間の宣教旅行にはまったく興味がありませんでした。出て行くのなら、神様の確かな召しを受けて、しっかりと準備をして出て行きたいと思っていました。しかし、今になって思うのは、そうした考えは、自分が外に出て行くということに対する消極性の現われでもなかったか、ということです。私は明らかに自分が外に出て行くことに対して消極的になっていました。
 そんな私に転機が訪れたのは去年でした。それは、妻が私たちの所属団体から送り出されるA国への短期宣教チームに加えられたことです。私は、ずっと妻がA国に行くことに反対でした。しかし、そんな中、その次の年に行われる学校の海外短期宣教実習で訪れる国がA国になるということを聞きました。私たち夫婦は、A国訪問を通して示される神様のみこころがあるのかも知れないということを感じました。それは、外に出て行くことに消極的だった私の背中をぐっと押してくださる神様の御手を感じる時でもありました。

2.外に出てみて感じたのは、やっぱり出てみなければ分からないことがあるということでした。今は情報の溢れている時代です。私たちは日本にいながら、知らない国の人たちや風景を見ることができ、知ることができます。関心があれば、深く学ぶこともできます。A国についてもそうです。私たちはA国の政治状況、歴史、宗教、貧しさ、不衛生、交通渋滞など、さまざまなことを、日本にいながらにして見聞きすることができます。しかし、情報として、あるいは知識として知っているということと、実際に体験して知るということは、やっぱり違うんだということを、今回の宣教実習を通して改めて実感しました。マーケットで買い物をしてみて、バスやタクシーに乗ってみて、孤児院や貧しい村の家庭を訪問してみて、仏教の寺院を訪問してみて、初めてAという国、A国に住む人たちを少しばかり「知った」という気がしました。
私は韓国で歓迎する宣教の働きに加えられ、様々な国から来た留学生たちと出会いました。しかし、今回の宣教実習で思い知らされたのは、自分が韓国で出会った留学生たちの国について、あまりにも知らなかったということでした。そして彼らを理解できていなかったということでした。短い期間ではあるものの、外に出てみることによって、その経験が歓迎する宣教の働きにも大きな助けになるということに、今さらながら気づきました。

3.今回の宣教実習で最も印象に残ったのは、子どもたちとの出会いでした。宣教実習を準備する中で、私たち夫婦の間に長男が生まれました。私はそれまで、生まれたばかりの赤ちゃんをかわいいと思ったことはほとんどありませんでした。しかし、大きな母親のお腹から出て来た自分たちの子どもを見て、初めて心の底からかわいいと思いました。そして、あまりにも小さくて、か弱い姿に愛おしさが込み上げてきました。この子は私たちの助けなしには一日として生きて行くことができないんだということを、生まれたばかりの我が子を見て思いました。
 「その2」へ続きます ⇒

出て行く宣教へと押し出されて  K兄(その2)

2014年7月7日-16日、東南アジアのA国を訪問し、そこでの様々な宣教師の活動を見させていただき、プレイヤーウオークをしてきました。色々な角度から現地の方々に関わり愛を注いでおられました。現地に行くことにより参加者全員がA国への祈りの思いが強められて帰ってきました。その時の証しです。

← 「その1」よりの続きです
 妻子とのわずかな時間を過ごした後、宣教実習へと旅立った私は、A国でもたくさんの子どもたちと出会いました。私たちはある孤児院を訪問しました。子どもたちが住んでいる環境はとても劣悪でした。十分な栄養が行き届いていないのか、日本なら高校を卒業するくらいの年齢の子どもたちも、小学校を出たばかりぐらいにしか思えないような体格をしていました。きれいな水はなく、トイレはとても汚いものでした。しかし、私たちを迎えてくれた子どもたちはとてもかわいくて、目がきらきらしていました。特に印象的だったのは、まだとても幼いモモという男の子でした。モモは人懐っこく私の首に手をかけてきました。モモは体臭がとてもきつかったですが、そのかわいさは私たち夫婦に与えられた子どもとまったく変わりがありませんでした。私は思わずモモを抱き上げていました。自分でも予想していなかった行動でした。
 モモの頭にはいくつかの傷跡がありました。蚊か何かの虫に刺され、適切な処置を受けられなかったかのような跡でした。その頭を見ながら、きれいな水で傷口を洗うこともままならない子どもたちの生活環境を考えました。この生活環境は何とかならないものかと思いました。せめて、こけてけがをしたとしても、きれいな水で洗ってもらえるぐらいの改善はできないものかと思いました。子どもたちのために何かしてやれないかという思いは切実でしたが、その日限りの訪問者である私には、何もすることがありませんでした。ただ祈ることだけでした。
 しかし、私が目にしたのは、問題だらけの現実だけではありませんでした。そこにはイエス・キリストという希望がありました。私たちが訪れたのはキリスト教系の孤児院でした。私たちは賛美と聖書のお話を準備して行きました。拙い英語で賛美し、イエス様の愛を伝えましたが、子どもたちは聖書の話をよく知っていて、賛美することをとても楽しんでいました。「祈りましょう」の一言に合わせて目を閉じた子どもたちの純粋で敬虔な表情には、思わずハッとさせられました。中には、牧師になりたいという少年たちもいました。
 子どもたちの将来のために解決しなければならない問題は山積みだと思います。問題は多岐に渡り、複雑に絡み合っていて、何をどこから解いていけばいいかすら分からないほど深刻であるかも知れません。しかし、イエス・キリストという希望の光がすでに灯されているということも決して見逃してはならないと思いました。子どもたちに仕える者を召し、働きを始められた方がイエス・キリストである以上、希望は失望に変わることがなく、私たちも祈り続けていくことができると思いました。

4.孤児院を離れる時、牧師になりたいという夢を語ってくれたある少年が、see you againと言ってきました。私はその一言を聞いて、一瞬言葉が詰まりました。一体どういう気持ちでsee you againと言ってきたのだろうか、という疑問が、頭の中を駆け巡りました。単なる挨拶のつもりで言ったのか、本当に「また会いたい」、「会いに来てほしい」、というつもりで言ったのか、分かりませんでした。単なる挨拶であるのなら、何だか寂しい気がしました。プレゼントを持って来た、ただ一度きりの訪問者と見なされているのなら、今回の孤児院訪問に何の意味があるのかと自問自答したくなります。逆に、本当にまた会いたいと思ってくれているとすれば、それはそれでうれしい反面、また来ることができるのか、というプレッシャーも感じます。いずれにせよ、その短い別れの言葉は、とても重くのしかかってきました。
 この重い別れの挨拶に、一瞬の間を置いて、私は思わず、しかし冷静に、そして祈るように、see you againと返事をしました。少年がどのように受け取ってくれたかは分かりません。しかし、see you againという私の返事は、神様が与えてくださったと確信しています。
 短い宣教実習の日程も、あとは日本に帰るだけとなった時、私の正直な気持ちは、またA国に来たい、というものでした。それは、はっきりとしたA国宣教への召しを受けた、というようなものではありません。それはとても漠然としたものでした。しかし、またA国に来たいという気持ちになったという事実だけは、ごまかすことも、否定することもできませんでした。
 A国を離れる時、私の財布にはA国の通貨がまだたくさん残っていました。私はそれを換金しませんでした。そのまま残して置くことにしました。この残された通貨の使い道は知っておられるのは神様だけです。
 日本に帰った私は、実家で子どもの世話をしている妻と電話で話をしました。当然のことながら、A国でのことを分かち合いました。そして私たちが通話の最後に確認し合ったのは、またA国に行きたいね、ということでした。この後、神様が私たち夫婦をどのように導かれるかは分かりません。ただ、「祈る」、「学ぶ」、「動員する」、「歓迎する」、「送り出す」、「出て行く」のいずれかの方法で、私たちを神様の宣教の働きに召しておられることだけは確かです。まず、心を静めて、神様のみこころを尋ね求め、そのみこころに従っていきたいと思います。

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